家康の生涯最大の危機とされる「神君伊賀越え」を考える  本能寺の変4

織田信長

本能寺の変の日の家康の動き (通説)

 天正十年(1582年)五月に徳川家康は重臣とともに安土城で饗応を受けた後、信長の命により京都や堺を見学し、本能寺の変が起きた六月二日の早朝には堺にいて、本能寺に向かう途上であった。
 ところが家康は、茶屋四郎二郎より本能寺の変の情報を入手した後、通説では、光秀軍や混乱に乗じた落武者狩りなどの遭遇を回避するために重臣らと共に堺から脱出し、伊賀の山を越えて命からがら三河に帰ったことになっている。これを「神君伊賀越え」という。

穴山梅雪

 また途中で家康と別行動をとった穴山梅雪あなやま ばいせつは、落武者狩りの土民に襲撃されて殺害されたことになっている。穴山梅雪とは武田勝頼滅亡後に甲斐武田家の名跡を継いだ人物で、家康と同様に信長から招待されて、それまでは家康に同行していた。家康に関する小説やドラマ、またブログの記事などは大半が同様な内容になっている。

通説と矛盾する当時の記録

 ところが当時の記録の中には、家康は悠々と三河に帰ったと記されているものがある。
 明智憲三郎氏の『本能寺の変四二七年目の真実』に茶屋四郎次郎の『茶屋由緒記』の内容が紹介されている。茶屋四郎次郎は京都の豪商で、冒頭で記した通り、家康に本能寺の変を最初に伝えた人物である。

 茶屋四郎次郎清延は家康一行の堺遊覧が済んだ旨を信長に伝えるため六月一日に(先発して)京都に向かった

 本能寺の変が勃発すると直ちに堺へ急信に走り、(途中の中間点に近い)枚方で、(その朝先行して堺を出た)家康家臣の本田平八郎と行き会った

 (さらに少し堺へ引き返した)飯盛山で家康一行と行き会い、事後処理を相談した。帰国して弔い合戦をすることに評議が決まり、所々山賊の蜂起に遭遇したが、四郎次郎が先発して金を撒いたので所々の者が案内を申し出て、家康は御機嫌よく三河へ帰った
明智憲三郎『本能寺の変四二七年目の真実』プレジデント社 p.165

 また、『伊賀者由緒忸御陣御伴書付』には服部半蔵ら伊賀者百九十人が伊賀から伊賀白子まで家康のお供をしたことが書かれているという。なぜ、伊賀者が家康の護衛をしたかについては、家康の家臣である大久保彦左衛門尉忠教が『三河物語』にこう書いている。

…信長がかつて伊賀の国を攻めとられたとき、みな殺しにして、諸国へ逃げた者も、つかまえて殺したが、三河へ落ちて家康をたのんだ人びとを、家康はひとりも殺すことなく、生活の世話をなさったが、国に討ちもらされていた者が、そのときのことをありがたく思っていて『こんなときにご恩をおかえししなくては』と家康をお送りした
同上書 p.166

 常識的に考えて二百人近い護衛を即座に集めることは難しいだろう。明智憲三郎氏は、家康はあらかじめ伊賀越えをルートに選んで、逃走のための護衛も準備したと推理されているが、私もその通りではないかと思う。

 また、穴山梅雪が死亡したのは落武者狩りの土民に襲撃されたのではなく、切腹して死んだことが三河深渦城主の松平家忠が残した『家忠日記』に明確に記されている

 六月四日  家康は堺にいたが岡崎へ帰ってきた。家康以下、伊勢を発って大浜に上陸した。町まで出迎えに行った。穴山は切腹した。…
同上書 p.168

 岡崎に到着したのが六月四日というのも注目だ。本能寺の変は六月二日だからわずか三日で、初めて歩く山道を進んで堺から岡崎に戻っていることになるのだが、二百kmを優に超える距離を一揆と何度も戦いながら命からがら逃げて帰ったにしてはどう考えても早すぎる。早駕籠にでも乗って、ほとんど何のトラブルもなく岡崎に戻ったのでないだろうか。
 ちなみに江戸幕府が編纂した正史である『徳川実紀』では、「七日に岡崎へかへらせ給ひ。主從はじめて安堵の思をなす。」とあり、さらに三日かけて帰ったことになっている。

家康は三河に戻ってからの動きに注目

 家康は信長の仇討ちをするために三河に戻ったのであるから、戦闘準備を整えて西に進んで光秀を討ちに行かなければ筋が通らないのだが、家康は直ちに織田領となっていた甲斐・信濃への進攻を開始し、六月十八日に甲斐を治めていた織田家重臣の河尻秀隆を討ち果たし、最終的には織田の領土である甲斐全土と信濃半国を手中に収めてしまっている
 家康には、信長の弔い合戦で光秀を討伐する意志など金輪際なかったとしか考えられない。家康が急いで三河に帰ったのは、武田を滅ぼして織田領になったばかりの甲斐・信濃を徳川の領土とすることしか眼中になかったのではないか。
 もしそうだとすれば、家康にとっては、甲斐を攻めるにあたり武田家を継いだ穴山梅雪の存在は邪魔でしかなかったはずだ。穴山梅雪は、一揆勢に殺されたのではなく家康により切腹させられたと考えるのが妥当なところではないのか。『徳川実紀』で、家康が戻った日が三日も違うのは、梅雪が殺された理由を一揆勢とした手前、家康らも何度か一揆勢に襲われる危険があったとしなければ辻褄が合わず、また光秀の討伐ではなく織田領の甲斐・信濃をあまりに早く攻めたのでは織田家に敵対する意図が露見してしまう。

徳川幕府の正史には「伊賀越え」についてどう書かれているか

 そこで、家康の行動を正当化するために、徳川幕府が編纂した正史には伊賀越えは家康の生涯最大の危機だったとし、大変な苦労をして三河に帰ったと記している

 徳川幕府が編纂した『徳川実紀』は歴代の将軍ごとに纏められていて、家康に関する記録は『東照宮御実紀』といい、『徳川実紀 第一編』(経済雑誌社 明治三十七年刊)に収められている。「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されているので誰でも読むことができ、全文検索機能を用いて「伊賀越」というキーワードで検索すれば「これを伊賀越とて御生涯御艱難の第一とす」という記述を容易に探すことができる。

 この前後を読むと「伊賀越え」に関する通説はすべてこの『東照宮御実紀』を参考にしていることがわかる。一部を紹介しておこう。

 我本國に歸り軍勢を催促し。光秀を誅戮ちゅうりくせん事はもとより望む所なり。さりながら主從共に此地に來るは始なり。しらぬ野山に さまよひ。山賊一揆のためこゝかしこにて討れん事の口おしさに。都にて腹切べしとは定たれと仰らる。
『徳川実紀 第一編』経済雑誌社 明治37年刊 p.48

 三河に帰って軍隊を引き連れて光秀を討ちたいところだが、ここから帰ろうにも初めて歩く道で野山にさまよい、山賊一揆のために命を落とすくらいなら都で腹を斬るべしと家康が言ったというのだが、嘘くさい話だ。

 穴山梅雪もこれまで從ひ來りしかば。御かへさにも伴ひ給はんと仰ありしを。梅雪疑ひ思ふ所やありけん。しゐて辭退し引分れ。宇治田原邊にいたり一揆のために主從みな討たれぬ。(これ光秀は君を途中に於て討奉らんとの 謀にて土人に命じ置しを。土人あやまりて梅雪をうちしなり。よて後に光秀も。討ずしてかなはざる德川殿をば討もらし。捨置ても害なき梅雪をば伐とる事も。吾命の拙さよとて後悔せしといへり。)
『徳川実紀 第一編』経済雑誌社 明治37年刊 p.48

 穴山梅雪は家康と一緒に進むことを辞退し、宇治田原あたりで一揆のために家臣と共に全員殺害された。一揆勢は光秀に命じられて家康を討うとしたのだが、梅雪を家康と間違えて殺したなどと書かれているが、別行動を取った人物が家康と間違えられて一揆で殺されたと断定できるはずがない。

 また『徳川実紀』には十九日に秀吉の使いが来て、十三日の山崎合戦で光秀を討ち取ったので上洛する必要がないことがわかり、一方で織田領であった甲斐国は信長が死んで一揆が頻発していたのでそれを鎮めるために甲斐に進軍したとある。
 先ほど記したように家康軍は十八日に織田領の甲斐国を制圧している。それを『徳川実紀』では十九日以降に甲斐に進軍したような書き方だ。そのように書くのは、家康が甲斐国をはじめから狙っていたと思われたくなかっただけのことだろう。

明智光秀と徳川家康との関係

 このように江戸幕府が編纂した『東照宮御実紀』には、真実であることが疑わしい話がいくらもありそうだ
 しかしながら何度も言うように、多くの歴史書や小説やドラマは、このような書物を参考にして書かれている
 歴史はいつの時代もどこの国でも勝者・権力者にとって都合の良いように歪められていくものであり、公式記録や正史には特にその傾向が強いと思うのだが、小説やドラマの大半はそのような記録を参考にして書かれることから、真実と異なる話が常識として国民に定着してしまうことが多い。

春日局

 前回、本能寺の変で明智軍を本能寺まで先導した武将が斉藤利三で、その妹が長宗我部元親の妻であることを紹介したが、この斉藤利三の娘の「福」は、のちに江戸幕府の第3代将軍徳川家光の乳母となり、その後「春日局(かすがのつぼね)」として権勢を誇り江戸城大奥の礎を築いたとされる人物である。
 乳母という立場は、その気になれば嬰児の命を奪うことは容易にできる。もし徳川家康と明智光秀とが敵対関係にあったなら、敵である明智光秀の重臣の娘を引き取って、孫の家光の乳母に抜擢できるであろうか。家康と利三との間に余程の信頼関係がなければ、このようなことは絶対にあり得ない話である。
 斉藤利三は本能寺の変の後、中国から引き返してきた羽柴秀吉との山崎の戦いで先鋒として活躍するのだが敗れて逃走し、その後、秀吉の執拗な捜索により近江堅田で捕縛され、六条河原で斬首となったとされている。

 処刑される前に秀吉軍から、謀反に加担した者の名前を執拗に追及されていたはずだ。その時にもし利三が家康の名前を白状していたら、秀吉が直ちに徳川家征伐に動いて、徳川の時代は来なかったかもしれない。 明智憲三郎氏は、利三がこの時に口を割らなかったから家康は安堵して、利三の娘の福を孫の乳母に採用することにつながったことを示唆しておられるが、的を得た指摘であるように思う。
 ところで徳川幕府の二代将軍は忠で三代将軍は家だが、明智光秀の名前の字を一字ずつ入れている。もし家康が明智光秀と敵対していたのならば、秀や光という字を将軍の名前に入れることを忌み嫌ってもおかしくない。家康と光秀とは繋がっていたと考えたほうが正しいのではないだろうか

 徳川家康を祀った日光東照宮に「見ざる言わざる聞かざる」の彫刻がある。この彫刻は何のために作られたのだろうか。
 人生訓としては普通の人間には含蓄がなさすぎるのだが、謀略を繰り返してきた家康にとっては、子々孫々の繁栄のために徳川家の秘密を一切外に洩らすなという強い思いが、この三匹の猿に込められているのかもしれない。

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