第一次上海事変
前回は「宣伝戦」に関わる昭和6年の新聞記事を拾ってみたのだが、今回は昭和7年の記事をいくつか紹介させていただくことにしたい。
この年の1月に租界(外国人居留地)のある上海で日支の衝突(第一次上海事変)が起きている。上海には日本資本の工場などが多かったのだが、満州事変勃発直後に「上海抗日救国連合会」が組織され、ストライキが敢行され、租界には抗日ポスターが貼られ、学生や労働者による集会が頻繁に開催されて「打倒日本帝国主義」が叫ばれていた。そして1月18日には日蓮宗の僧侶と信徒が襲撃されて、一人が死亡し二名が重傷を負う事件が起きた。この事件はアメリカが仕掛けたものであることが、後に大阪朝日新聞記事で報じられている。
【上海特電二十日発】民国日報不敬事件に次で日蓮僧らに対する襲撃により憤慨した上海青年同志会員十数名が、二十日上海租界の三友実業社を襲い遂に巡警と衝突、双方死傷を出した事件について、二十日午後一時から開かれた第四次上海居留民大会散会後、一千余の居留民は総領事館におし寄せ村井総領事に決議文を実行委員を経て手渡したほか総領事の内意を聴かんと迫り館内に雪崩れ込まんとして一時せり合い甚だしく空気険悪となった。総領事は邸前に出で、『決議の趣旨は全く同感にて誠意をもって最善を尽す』旨を挨拶し漸く収まったが、総領事館より更に陸戦隊本部に向った約五百の居留民は途中北四川路を通行中、老鞄子路附近において支那人に二階からビール瓶様のものを投げられたので興奮せる群衆はいよいよ激昂し、その家と覚しい数軒の雑貨店のショーウィンドーの硝子を滅茶苦茶に打ち壊し警戒中の工部局警官ともみ合いをしたが、さらに一町ほど先のオデオン活動館前で支那側公安局巡警ともみ合い、これを制止せんとする公安局外人巡査数十名と大乱闘を演じ邦人に数名の重軽傷者を出したが外人巡査一名も重傷を負うた。
昭和7年1月21日 『大阪朝日新聞』 神戸大学新聞記事文庫 外交110-4
事態は陸戦隊の出動によりて収まったが、電車、自動車は立往生し店は門を鎖し、一時悽愴の気が漲った。
その後28日に最初の軍事衝突が起き、支那兵の射撃により90余名の死傷者が出たという。
当時の上海市には英米日伊などの国際共同租界(外国人居留地)とフランス租界があり、租界の治安はそれぞれの国が兵を派遣することで保たれていたのだが、支那兵が攻撃する事態となって少数の兵士で国際共同租界の居留民を守ることは到底困難であり、地理的に近い日本のさらなる増兵が求められている。
【上海二十九日発電通】米国総領事カニングハム、英国総領事フレナン両氏をはじめ上海在留の各国総領事は二十九日意見交換の結果
昭和7年1月30日 『大阪毎日新聞』 神戸大学新聞記事文庫 外交110-65
もし日本軍が支那軍を掃蕩し得ざれば上海の事態はますます悪化し、如何なる結果を将来するやも測られず、共同租界、仏租界などはこの勢いに乗じて支那兵が不法行為に出づべく危険至極であるから、この難局を救う唯一の方法は日本の実力で支那兵を徹底的に圧迫するほか手段なし。
なぜこのような事件が起こったのか。大阪毎日新聞の社説がわかりやすい。
南京政府は名あって実なく、支那は文字通り無政府状態に陥らんとしつつある。かくの如く国家の威力も政府の実力もなき支那において、普通国家におけるが如き秩序と治安の維持されないのは、もとより怪しむに足りない。
上海における排日が、よし市長の禁止命令があっても、到底根絶し得られないことも、かかる情勢の下には当然すぎるほど当然である。この無政府状態は、最近日を経るとともにますます悪化し、遂に上海における共同租界の行政庁たる工部局をして、租界内に戒厳令を布くの余儀なきに至らしめ、その結果、各国の陸戦隊および陸兵は、それぞれ部署を定めて警備に当ることになった。我陸戦隊もまた閘北方面の警備につくことになったが、これがためには、技術上或地点の占拠を必要とするに至ったのである。
昭和7年1月30日 『大阪毎日新聞』 神戸大学新聞記事文庫 外交110-75
然るに支那兵は突如として我警備兵に対して挑戦し来り、遂に二十八日深更より二十九日朝に至る日支兵の衝突となったのである。支那軍は自ら治安に任じ得ざるに、何のために我陸戦隊に戦を挑み来れるや。これ自ら事を構えるものといわなければならぬ。吾等は国際的義務に当れる我陸戦隊が、暴戻なる多数の支那兵のために、その生命を奪わるるに至れることを痛憤するとともに、これ等の陸戦隊員に満腔の同情を表するものである。上海の事件は、支那に全然統治力なきために起されたるものにして、これが善後の策を講ずるためには、まず最先にこの事実を認識しなければならぬのである。
本来支那兵は治安維持のために働くべきであるのだが、明らかに日本兵を狙って射撃してきたのである。普通に考えて日本が非難されるべき筋合いはないと思われる。
この第一次上海事件のきっかけとなった1月18日の日蓮宗の僧侶と信徒が襲撃事件は、当時上海公使館附陸軍武官補であった田中隆吉が1956年になって、板垣征四郎大佐に列国の注意を逸らすため上海で事件を起こすよう依頼され、その計画に従って自分が中国人を買収し僧侶を襲わせたことを雑誌『別冊知性』で発表している。田中は東京裁判で検事側の証人として出廷した人物が、そこでは上海事件については触れていない。そもそも板垣征四郎の死後8年近くたって怪しい人物が語ったことをそのまま信用できるとも思えない。
世界の世論はどうであったか
支那が上海で事件を仕掛けたのは上海には租界があり、宣伝戦で外国の干渉を招いて日本の孤立化をはかることが容易な環境にあったからだろう。しかしながら、世界の世論は日本の行動を理解してくれていたようだ。イギリスのイヴニングニュースですら、正義は日本側にあり、英国政府は日支間の紛争に関与すべきではないと述べている。
三十日デーリー・メール社の夕刊たるイヴニングニュースは社説で、この事件に対するイギリスの立場を明かにして置く必要があるとて左の如く論じて居る。
吾人は上海におけるイギリス人の生命財産を保障するに足る十分な軍隊と外交的技量を有して居る。日支間の紛争については我等の関する所ではない、この問題をイギリス政府が取り上げるようなことがあれば愚の骨頂である。…中略…事実日本はイギリス及び他の外国政府がしばしば東洋及びその他のところで執ることを余儀なくされたところの行動を執って居るのみである。イギリスが日本に対して敵対する如き行動又はお節介な非難を浴せかける如き態度に巻き込まれることは狂気のさたである。何んとなればその結果は何等イギリスと利害関係なく戦争に巻き込まれ、結局非難を背負うことになる恐れがあり、日支の紛争において正義は日本側にあり、今回と同様な行動を他国が執った事例を挙ぐれば十指に余るものがあり、日本としてはこれを指摘し得るのだ。…中略…
連盟ではなおこの問題で討議しているが、連盟の理論的仕事は敵対の防止であり、敵対状態が生じた後に「正直なる斡旋者」の衣を着て実は各国外務省の手先として出しゃ張るべきではない。日支両国の紛争は彼等自身に任せておいた方が干渉するよりも遥に満足に解決されるであろう。
昭和7年2月2日 『東京朝日新聞』 神戸大学新聞記事文庫 外交110-158
ところが英米は、わが国に対して公式に抗議文を提出している。
両大使が抗議文を提出したのは2月1日で、抗議の要点は以下のようなものであった。
一、上海共同租界は一種特別の性質を有する居留地で日本の専管居留地でない、故に日本軍がこの地域を根拠として軍事行動を執ることは租界本来の性質を破壊するものである
昭和7年2月2日 『大阪時事新報』 神戸大学新聞記事文庫 外交110-136
二、同様の理由により日本租界附近に占拠することに対しても異議を差挟まざるを得ない
三、日本軍の軍事行動は自衛措置の範囲を逸脚し徒らに無辜の人民を殺傷する傾きがある、この点に関し日本政府は今少し軍の行動を抑制せられんことを希望する
四、英米両国は上海に重大なる経済上の利益を有し通商上の関係も深いこの地域において日本が軍事行動を行うことは両国民の生命財産の安固を危殆に陥れるものである
芳沢外相は、列国共同警備の一環として租界の治安維持のために行動していると反駁した。
英米の日本に対する抗議は、経済戦を有利に戦うためではなかったか
以前このブログで、アメリカが対支貿易で日本を超えたのは満州事変が勃発した昭和6年であることを紹介したが、アメリカやイギリスが支那に排日、日貨排斥を仕掛けた目的は、当時の新聞に目を通せばおおよそ見当がつく。
支那向輸出において米国が急増しているのはさきに契約したる小麦一千五百万ブッシュルの約半額が引渡し済みとなった結果もあるが、排日貨運動により日本商品の退却したる間隙に乗じて米国商品の進出したることを現し、英国品の進出がさまで著るしくないのは国民政府の財政が破綻にひんし金融界混乱のため代金決済に不安が伴った結果であるが、それでも日本商品の減少の甚だしいこととは比較にならない。
昭和7年2月5日 『東京朝日新聞』 神戸大学新聞記事文庫 国際貿易36-100
そして2月10日の大阪毎日新聞は、満州事変勃発以降対支輸出が激減していることを伝えている。
昨年九月以降十二月に至る四ヶ月間に北部、中部、南部および香港で被った本邦輸出貿易の平均実害は前年同期間に比し実に六四パーセントに達しており、なかんずく南部に至っては八九パーセントの減少を示している。これを重要輸出品についてみるに最も減少せるものは綿織糸の八一パーセントを筆頭として絹織物の五九パーセント、水産物の五五パーセント、綿織物の五四パーセント、これに次ぎ鉄製品の一八パーセントを最低に、ほとんど全重要商品が影響を受けており、その結果本邦商品に代って支那市場に進出したものは主としてヨーロッパ品で織物のごとき英国品の進出最も目ざましいものがある。
昭和7年2月10日 『大阪毎日新聞』 神戸大学新聞記事文庫 日中貿易5-132
わが国の対支輸出額が激減した後を埋めたのはアメリカばかりではない。イギリスも大幅にシェアを伸ばしている。
2月28日付けの大阪毎日新聞が対支輸出貿易の数字を詳しく報じている。数字の部分はわかりやすいように数表にしておいた。
支那は日本にとっては米国に次ぐ大市場である。殊に上海を中心とする中南部支那は日本の工業を代表する紡績業にとっては文字通りの生命線市場である。その第二次生命線*が数年来排日運動という形においてぢりぢりと触まれて来た。殊に九月以来の排日運動は猖獗を極め、それがわが対支貿易にどう現れたかは次の数字を見て戴きたい。*第二次生命線:ここでは上海を指す。第一次生命線は満州。
九月以降四ヶ月において中部支那合計七割、南部支那八割九分、まるで全滅に近い惨状である。
日本対支貿易の支配権を掌握しているのは大阪の実業家である。…中略…一方支那の排日の後には蒋介石の統率する抗日会があり、蒋介石の背後に排外貨によって、さらには国貨愛用運動によって、支那工業の勃興をはかる浙江財閥が糸を引いていることは周知の事実である。…中略…
支那人は古来ジュウ*的国民性を有し利益の希求のためにはあらゆる愛憎の念を超越し得る便利な性質を有している。*ジュウ的:ユダヤ的
昭和7年2月28日 『大阪毎日新聞』 神戸大学新聞記事文庫 日中貿易5-136
論より証拠上海への輸出は一月末以来全く杜絶しているのに拘らず、天津、青島等北支諸港向き日本貨物は本年初めより漸次増加し、青島の如きは昨今各船とも満船、排日運動のなかった平常時の状態に完全に復帰している。
この減少は蒋介石の勢力の全支那に普及していない証左ともなり、また経済的に南北支那の利害関係が必ずしも一致していない事実の実証でもある。
のちに「鬼畜米英」という言葉がよく用いられるようになるのだが、このような言葉が国民の間に広く浸透していくためには、英米ともににとんでもなくひどい国であるという認識が広まっていなければならないはずである。今の新聞とは異なり当時の新聞には、支那の排日の背後で、また国際連盟の背後で、英米両国が何をしていたかについて、結構詳しく報道されており、国民も、英米がわが国に対してこれまで何をしてきたかについてよく認識されていたと思われる。
昭和七年の記事を漁っていたら、次のような記事が目に入った。当時に於いて英米の政治経済や報道は彼らが牛耳っていた。
天津に於ける対米輸出品取扱い者はユダヤ系の外人七割に華商三割であると云われている。是に依って今度の策謀をユダヤ系のそれと俄かに断定することは早計であろうけれど吾々は是迄に常にかかる早計を裏書するような多くの事件を想い起すことが出来る。…中略…
支那に於ける昭和二年の排外運動の際、長江筋の外人一切が引揚げたのに、彼等ユダヤ民族のみ数百名残留して動乱の中に居て、日英が長年月に亘って植え付けた総ての勢力を自己のものとして、両国を始め諸外国を唖然たらしめたのを想い起す人は少くないであろう。又山東出兵を楔機として起った排日運動の裏に活躍したのはユダヤ系の英人であったことは当時新聞が報じた通りである。…中略…
斯くの如くして動乱の影には必ず彼等の策動があり、又必ず自己の勢力伸張に成功している。満蒙上海事件を因とせる今度の排日貨運動、或は日支問題の粉糾による米国其他が対日経済封鎖を唱道して人心を激化せしめつつある今日、此機に乗しての今度の経済封鎖の策動が万一にも彼等の陰謀とするならば、ことは簡単どころかかなりな重大性が潜むものと警戒しなければなるまい。
昭和7年3月18日 『大阪時事新報』 神戸大学新聞記事文庫 中国12-108
既に時効にかかったようなユダヤ禍が今又新に問題となる所以である。
彼らは世界各国に分散し、その資金力でそれぞれの国の政財界に強い影響力を持つが、居住する国に対する忠誠心を持つわけではない。彼らの策謀は公式記録には残るはずもなく、どこまでが彼らの仕業なのかを判断することは容易ではない。支那の排日は英米が仕掛けたことは事実だが、その背景にユダヤ系組織が絡んでいたとしてもその証拠を残すことはない。彼らのモットーの一つに「自ら手を下すな」があり、必ずそれぞれの国がやったように仕掛けるのである。
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