以前このブログでアルス社の「ナチス叢書」の何点かを紹介させていただいた。当時の「ナチス叢書」の広告を見ると、五十点以上が刊行される予定であったのだが、実際に刊行が確認できるのは二十五点にすぎず、GHQはその殆どすべて(二十四点)を焚書処分に付している。
今まで紹介させていただいた「ナチス叢書」はネット公開されている本ばかりであったのだが、今回は「個人向けデジタル化資料送信サービス」手続きを登録された方に公開されている書籍の中から、清水宣雄著『ナチスのユダヤ政策』(昭和十六年刊)の一部を紹介させていただくことにしたい。
この書物はなぜか「内務省検閲発禁図書」にも指定されていて、いろんな意味で戦後の日本から遠ざけられてきた書物である。
戦前戦中に於ける日本人はロシア革命をどう理解していたか
学生時代に第一次世界大戦を学んだ時に、なぜこのような世界大戦が起きたのか、ロシア革命とのつながりがよく理解出来なかったのだが、『ナチスのユダヤ政策』には、第一次世界大戦からロシア革命に至る歴史が以下のように解説されている。
ロシア革命がユダヤ人の手によってなされたることは、今日、人々のよくしるところである。
これより先、かの日露戦争におけるロシア革命は、わが日本の明石将軍とレーニンとの共同によりて企画されたものであったが、これに資金を供給したものが、アメリカのドイツ系ユダヤ銀行クーン・ローブ商会のヤコブ・シッフであると言われている。しかも一方、この時、日本の外債を一手に引受けたのもまた、このユダヤ人シッフであり、日本の強大なる武力によって帝政ロシアを倒さんと企画したものであった。
かくして、ロシアに於ける社会革命は、常にユダヤ人によって指導せられているのである。
革命直前において、各国に亡命中のロシアの革命主義ユダヤ人は、続々とロシアへ潜入したのであったが、ドイツも、かの有名な封印列車を仕立て、ボルシェヴィキの首領レーニン、ジノヴィエフ、ソコルニコフらのユダヤ人が、密閉された列車に乗せられて送り込まれたのであり、連合国側よりも、ユダヤ人トロッキーらが送り込まれたのである。
かくして、これに多くのユダヤ人財閥が資金を給与することによって、ロシア革命はなされるのである。…中略…
トロッキーに軍資金を与えたるものは、ヤコブ・シッフであった。トロッキーは二月革命の勃発を知るや、一九一七年三月二十七日、ノールウェー汽船にてロシアに向かい、途中イギリス海軍に捕らえられ、約一ヶ月捕虜収容所に収容せられたが、彼がユダヤ人なるの理由によって釈放せられ、ロシアに帰還するのである。またストックホルムではマックス・ワールブルグその他のユダヤ人がトロッキーに資金を与えている。
(第一次)大戦勃発するや、ボルシェヴィキは反戦を唱え、ここにメンシェヴィキと分裂。
初めオーストリア、ドイツ軍を破ったが、一五年には却って敗れ、八月にはワルシャワ、全ポーランドを失う。
一六年には一時これを回復したが、国内には既に物資欠乏し、兵士は戦いに全く飽き、社会革命歯の潜行運動は着々と実現した。大戦中、ロシアは農奴より身を起こしたと称される怪僧ラスプーチンによって支配されていたのである。彼ラスプーチンは宮廷の実権を完全に握っていた。彼はユダヤ人シモノヴィッチをその秘書とし、ツアーの財閥であり王妃の最も有力な相談相手であったディミトリをわが手におさめ、ガンスブルグやマヌイロー等ユダヤ人一味と密接に連絡を取り、マヌイローは首相となり、ガンスブルグは、ハンブルグのユダヤ人ワールブルグの娘と結婚し、国外ユダヤ金融網と密着なる連絡を保つのである。
かくしてツアー政府の裏切りは企画せられ、ロシア革命は進行しつつあったのであり、ロシア国軍総帥ニコライ・ニコラエウィッチの暗殺もラスプーチンによって計画せられ、かくて彼自ら国軍の総帥たらんとしたのである。
まことに、聖なるロシアは、全くユダヤ人に売り渡されたのである。
而して、その上にユダヤ的プロレタリアのソヴィエト連邦は建設せられるのである!ロマノフ王朝は、ユダヤ・ロシア人ラスプーチンによって撹乱せられ、壊滅へと陥れられ、遂に彼ラスプーチンは一九一六年一二月一六日暗殺された。
清水宣雄著『ナチスのユダヤ政策』(昭和十六年刊)p.35~37
戦後の一般的な史書には、そもそもロシア革命がユダヤ人による革命だとは一言も書かれていない本がほとんどだ。怪僧ラスプーチンがユダヤ人で、彼によってロマノフ王朝が撹乱されたことについては戦後は知られていないが、戦前戦中のロシア革命の解説書にはしっかり書かれている。
そしてこの怪僧は、第一次世界大戦中に皇后とともにドイツと結んで単独講和をはかったとして大貴族のフェリクス・ユスポフや皇族のドミトリー・パブロビッチらによって暗殺され、その後革命勢力が動き出した。
この時既にロマノフ王朝は最後の断崖に立ち、ロシアは、一九一六年下半期に至って食料の県外輸出を禁止し、首都ペトログラードは飢餓状態に陥れられ、民衆の食料品欠乏に対する不満はその極度に達し、遂に工場のストライキとなって二月二八日、所謂二月革命の烽火は挙げられた。
パンを与えよ!
戦争反対!
専制政府を倒せ!
群衆は革命歌を高唱しつつ街頭に氾濫、商店を略奪する。二月二十六日、遂に軍隊出動、群衆と衝突、然も忽ちに軍隊叛乱し、革命軍はペテログラードの殆ど全部を占領。
同上書 p.39
ツアーは戦線より首都に還らんとして成し得ず、やむなく退位せしめられた。
その後のロシア革命がどうなったかについては割愛するが、この当時ドイツもユダヤ人によって狙われていた。その点についても戦後の歴史叙述から抜け落ちている部分である。
ユダヤ人が牛耳っていた戦時ドイツ経済
ドイツでは、ロシア革命の起きた一九一七年頃からストライキが頻繁に起こるようになり、翌年に起きたキール軍港の水兵の反乱に端を発した大衆的蜂起と、その帰結としてドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が廃位され、帝政ドイツが打倒された(ドイツ革命)。この革命を起こしたのもまたユダヤ人なのであるが、ユダヤ人は第一次大戦に向けての戦時体制移行を契機としてドイツ経済を牛耳るようになっていった。同書には次のように解説されている。
ドイツの経済界は、ユダヤ人ラーテナウの意識的に誤れる統制経済をなすことによって、ユダヤの国際金融主義の下に屈し、一方また、ハンブルグ・アメリカ汽船会社社長たるユダヤ人にて親英主義者なるバリンによって、その対外経済政策が決定せられたのである。
ラーテナウは、ドイツの戦時経済の管理者となった。ユダヤ新聞ベリーネル・クーゲブラットは、彼の成功を見て、ヒンデンブルグ、ルーデンドルフ両将軍にも比すべき動功ありとして、全世界のユダヤ人と共に、彼のドイツにおける重大なる地位における功績を称揚したのである。
実にドイツに於ける戦時経済及び戦時諸会社は戦時経済及び戦時諸会社は、ラーテナウ及び同じくユダヤ人たるハンブルグ・アメリカ汽船会社社長アルベルト・バリンの案出せるドイツ敗北への偉大なる企画であったのである。バリンは、モルガンの親友であり、パウル・ワールブルグの親友である。
彼らは相互に密接なる関係を有する姉妹会社として中央購買会社、帝国穀物管理所、戦時軍用金属会社等々を多数設立した。而してそれらを基礎として、戦時経済機関及びこれら戦時会社を統括するものとして最高経済機関を設立したのである。
かくて、この最高機関による統制経済は、各会社の自由なる販売を不可能ならしめ、商品の販路を絶ち、生活必需品を暴騰せしめ、甚だしきに至っては、最高経済機関の名の下に、多数の食料品を保管し、しかもこれを放置して腐敗せしめる等の挙に出たのである。
しかも一方に於いては、軍用原料局の局長を兼任せるを奇貨として、原料局の下に、無数の戦時会社を設立し、これをユダヤ経済網として、戦時の利得をすべてユダヤ人の手におさめるのだった。…中略…
ユダヤ人は、戦時諸会社を自己のものとし、これを地盤として次第に全商業部門を支配するに至り、投機業者、暴利主義者、密輸入者等の黄金時代を現出し、正廉なるドイツ人が各層を通じて欠乏と犠牲の重苦にあえぎつつある時、ユダヤ人のみは、上下老若を問わず、飽衣飽食、豪奢な生活をなし、享楽の限りを尽くしていたのである。
かくしてドイツ国内経済はラーテナウの独裁する戦時統制経済によって、完全にユダヤ人の手に委ねられ、従ってまた、ユダヤ人の主宰する国際金融網の中に完全に埋没せしめられ吸収しつくされることとなったのである。
かくて、ドイツ経済は「外貨獲得」の下に、あの封鎖状態にある戦時下に、尚外貨に依存せんとして、国内の物資をかき集めては国外に輸出し、ために国内物資は急速に減少消耗し、一方に於いては、却ってその敵たる英米に物資を供給することによって、大なる利敵行為をなしつつあったのである。
かくして「外貨」に依存することは、ユダヤ自由主義的国際金融経済の上に自国の経済をおくことであり、従って、この基礎の上に統制経済を行うことは、益々統制的に加速度的に自国の経済力を金融資本に吸収せられ、自国を委縮縮小せしめることであって、自国を消耗せしめんがための統制なることを、ラーテナウ等のユダヤ人によって国民は巧みに欺瞞せられていたのである。
かくして、北方スカンジナヴィア地方が、明らかに援英ルートとして活躍せるを目撃しつつも国内のユダヤ的親英米派に操られ、これを積極的に攻撃獲得することによって、自国の自給自足広地域経済の確立へと進むことが阻止せられたのである。
開戦の当初、ドイツの軍部は「即戦即決」主義を持し、一般経済界もまた、近代戦は永く続くものに非ずとなす見解を取り、外国との交易が永く途絶することを予測せず、ドイツは隣接の中立国を通じて、重要物資の輸入をなし得るものと考え、特にアメリカの物資に期待をかけていたのであった。
しかもこのことが、即ちユダヤ的自由主義者の乗ずるところとなり、ドイツが北方へ進出することは、即ちアメリカを敵方に参戦せしめることなりとして、猛然たる反対をなし、かくしてドイツは、交戦権を発動して北方スカンジナヴィア地方を自己の自給自足圏に獲得することを最後までなし得ず、遂に最後までユダヤ的金融資本に依存し、外貨獲得によって国庫には多くの金を残しつつも、遂に物資の欠乏と、ユダヤ的社会主義者の策謀と、国外ユダヤ的反独宣伝に乗ぜられ、国内反乱の危機切迫。遂にドイツ軍首脳部も、意を決して、一挙イギリス本土を衝かんとして、殆んどそれまで消耗せられずして残されていた全海軍力をキール軍港に集結したが、時既におそく、一九一八年十月二十八日、水兵は艦隊の出動命令に応ぜずしてここに暴動勃発!
同上書 p.43~48
キール軍港の暴動を指導したのは独立社会党のユダヤ人シャイデマン等であったが、その後暴動は全艦隊に波及し、十一月八日には革命的共和政府が樹立され、帝政の廃止が宣言され、さらに十一月十一日には全世界に亙って休戦が宣せられている。
ナチスが抬頭した背景
戦争が終わったとはいえ、ドイツ国民にとって悪夢の日々はその後も続いた。ユダヤ人は経済だけでなくドイツの政治をも牛耳ろうとしたのである。
十一月十二日、人民委員は最初の宣言を発し、自由共和国の基礎を据え、普通選挙の下に憲法議会を開催することを宣言。
かくして、この間、いわゆる正常マルキスト等によって結成せられたスパルタクス団の反乱あり、リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルク等の暗殺あり、一九一九年二月六日ワイマールに国民議会開かれ、一方ヴェルサイユの講和条件の苛酷なるに激昂しつつも、この国民議会は、遂に、民主党の国法学者とされるユダヤ人プロイスが、他のユダヤ人と共に作成した所謂ワイマール憲法を、七月三十一日制定し、八月十一日公布したのである。
この屈辱的なるヴェルサイユ条約と、ユダヤ的なるワイマール憲法に対して、愛国的国民主義的団体は起ち上がり、ヒットラーがまた蹶起するのである。
同上書 p.50~51
戦後の歴史叙述では、ナチスがユダヤ人に何をしたかについては書いても、ユダヤ人がドイツに何をしたかについて触れている本は少なく、マスコミなどで解説されることも皆無に等しい。こんな一方的な記述では、なぜナチスが抬頭するようになったのかを正しく理解できるはずがないのだ。
GHQに焚書処分された「ナチス叢書」の全リスト
発刊が確認されている「ナチス叢書」をリストアップすると以下のとおりである。
「〇△」欄の「〇」は、「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている本で、「△」は「個人向けデジタル化資料送信サービス」の手続きをすることによって、ネットで読める本である。「個人向けデジタル化資料送信サービス」の手続きをすることで、リストアップしたすべての「ナチス叢書」が読めるようになっている。
上記のリストのうち、『日本とナチス独逸』が昨年復刊されています。
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