昭和三十年に関東軍の自作自演に書き換えられた柳条湖事件
満州事変は1931年(昭和6年)9月18日に奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、日露戦争で大日本帝国に譲渡された南満州鉄道の線路が爆破された事件 (柳条湖事件)を機に日支間の武力闘争がはじまり、関東軍が満州全土を占領するに至る事変を言うが、今日の教科書などの叙述やマスコミなどの解説も概ね同様で、戦争原因となった満鉄線路の爆破は関東軍の自作自演と記されている。しかし当時の記録や解説書では、満鉄線路を爆破したのは支那兵であると書かれていた。もちろん支那は日本兵がやったと主張し続けたのだが、世界的は日本の主張を認めていたのである。
しかしながら、以前このブログで書いた通り、昭和31年に発行された雑誌『別冊 知性』の12月号に、元関東軍参謀の花谷正の名前で「満州事変はこうして計画された」という記事が掲載されたことが契機となって満鉄線路を爆破したのは関東軍であると歴史が書き換えられてしまった。
ところが『別冊 知性』に発表された記事は、当時23歳であった東大生・秦郁彦が本名を伏して花谷の手記として発表したものであり、しかも関東軍の指導者であった板垣征四郎や石原莞爾らは既に物故していたので、その裏付が充分に取れているわけではない。なぜこのような文章を根拠に、戦前の新聞記事や書籍の内容総てが否定されることになってしまうのか。
関東軍が自作自演した可能性を全否定するわけではないが、私は戦後に入ってから歴史が書き換えられたことや、柳条湖事件直後の支那の動きに、「宣伝戦」の臭いを強く感じてしまうのだ。実際に当時の新聞でこの事変がどのように報じられていたかを確認してみることにしたい。
柳条湖事件を報じる新聞記事
前回の記事で書いた通り、コミンテルンの工作により満州に於いても排日運動が活発で、6月27日には陸軍参謀中村震太郎が張学良配下の関玉衛の指揮する屯墾軍に拘束され殺害され、中国側は日本による陰謀であるなどと主張していたという。また8月18日には青島にある国粋会本部が中国人集団に襲撃され、さらに日本人女学生数十人がピクニック中に強姦される事件も起こっている。
そんな中で柳条湖事件が9月18日に起きている。「神戸大学新聞記事文庫」で事件直後の記事を探すと、9月20日付の満州日報の記事が目に入った。
十八日午後十時半、支那兵が満鉄線を爆破して我守備兵を襲撃したるにより、日支両国兵の衝突となった。関東軍司令部は軍の出動を命じて対応策を講じ各地を占領する等、其後の状況は逐次本紙又は号外によって報道する通りである。思うに先日来頻々たる日支両国間の不祥事続出し、此れに関する支那官憲の態度は誠意を欠き、全国新聞紙は事実を無視した虚構記事を根拠として反日的論評を縦にし、しかも各地反日会は非法的行動によりて、日貨を掠奪して憚らず。斯くの如き対日態度を変更せざる限りは、其結果の甚だ憂慮す可きものある可きは、吾等の早くより心配した所であった。…中略…
支那側に於て何時の事件の交渉にも真面目な態度を採らず、事件そのものを玩弄し、日本の国家を侮弄する傾向があったからである。即ち徒らに時日を遷延するによりて解決を困難ならしめ、有耶無耶の裏に事件其物を葬り、我国の外交をして暖簾に腕押の嘆あらしむるを常例とする。しかも其間に言論機関によりて極力逆宣伝を行う。
昭和6年9月20日『満州日報』 神戸大学新聞記事文庫 外交98-8
現に中村事件に関しても、支那の多くの新聞が甚だ無責任な議論を載せて居る。何れも事実無根、又は大尉が殺されたとしても加害者が匪賊である事を論拠と為すものである。これは支那側の(恐らく官辺からの)宣伝を丸呑みに為し、日本側の云い分は全部虚構であるとなし、之れを前提と為す所の議論である。故に後に支那側の調査が、中村大尉の被害及び加害者が官兵である事実を認めた上は、支那新聞の議論はすべて覆えさねばならぬ。
しかも斯くの如き無稽の議論によりて輿論を煽動し、反日熱を鼓吹した事が両国民の感情に亀裂を与えた事の甚大なるを思わねばならぬ。此れが中村事件のみでなく、従来の殆んどすべての日支交渉に対する支那側の態度である。従来支那の内外の事情を諒察して日本政府及び国民は寛容の態度を取り、時に好意的警告をさえも与えたのであったが、遂に其反省を見るに至らなかった。之れが日本各界の対支感情硬化の原因である。
わが国は、激しい排日運動が続いており居留邦人を守るために駐屯軍を置いていたのだが、その駐屯軍が狙われて自衛権発動を余儀なくされた今回の事件は、日支両国で協議して解決するべき問題と考えていた。しかしながら支那は、日本との単独交渉を拒否したのである。
国連に訴えて、列強の理解を得ようとした支那の宣伝戦
関東軍は支那兵が満鉄線を爆破したあと攻撃を仕掛けて来たので応戦したと主張し、支那側は関東軍が自ら線路を爆破したのち攻撃を仕掛けて来たと主張したのだが、沿線に支那兵の死体が残っていたことは写真にも残されている。
しかしながら支那は、日本側に原因があることを国際連盟に訴えて、列強の理解を得ようと動き出した。
上の記事は9月23日付の神戸新聞だが、国民政府は21日の会議で以下の通り方針を決定したという。
右会議席上で決定した対策は
昭和6年9月23日『神戸新聞』 神戸大学新聞記事文庫 外交98-99
一、本件を支那側に有利な外交的解決に導くため政府は当分努めて温和冷静を持し日本に口実を与えない
二、国際的宣伝によって列強の同情を集めることに努力し夷を以て夷を制す
三、他面において政府の処置と別に一般愛国運動として排日運動を煽り民意を収攬すると同時に日本を牽制す
四、この事件を好機に広東との妥協を達成せしむ
というにあり、右の実行手段として国際連盟及び列国への宣伝に努めていることは既に実行しておるところであるが、さらに英米に対して日本の膺懲牽制方を運動し且つ欧米各国並に労農ロシアに特使二十三名を派遣してその実現に努めることをも決せられた趣である。
このような支那の動きについて、アメリカの新聞はどのように伝えていたか。翌日の大阪毎日新聞には次のように解説されている。
ニューヨーク本社特電【二十二日発】…米国新聞に報ぜられるところでは支那は明かに新聞宣伝戦に勝ち、米国民の同情を集めるに成功している。実戦で支那は受太刀でも、対外宣伝戦では確かに日本が受太刀で憎まれ役になっている。だから日支問題に深い知識のない一般米人には日本が帝国主義的軍国主義を強行しているかの印象を与え政府側の平和主義と陸軍側の侵略主義が角突き合いしている醜態を暴露し日本の立場はますます悪く印象される状態だ。
たとえば二十二日のワールド・テレグラム紙は社説で
日本は支那に戦を挑みケロッグ不戦条約を破った。今や日本は近世史上最大の侵略戦争に乗り出したのである。支那はかかる侵略に対して太平洋九ヶ国条約およびケロッグ不戦条約によって守護されていることを知っている。米国は日本に対し条約違反者として経済的財政的ボイコットを強行すべきだ。と述べイヴニング・ポスト紙も
日本も中世紀的の一東洋国だ。日本は突然の軍事行動によって支那から奉天を奪った。この行動は昔の日本を支配した蕃族の酋長の行為に全く等しい。西洋諸国は今回の事変に対して如何なる態度に出づべきか。恐らく国際連盟あるいはケロッグ不戦条約を通じて調停を試みるだろう。われわれは今日の世界は重荷を負えるその肩にさらに戦争の重荷を負うことを望まないから彼等が日本を抑制することを望んでやまない。と述べ、ニューヨーク・タイムス紙は穏健な論調だが国際連盟の奮起を促すと同時に、満洲事変が連盟の無能を裏書したという意味のことを述べている
昭和6年9月24日『大阪毎日新聞』神戸大学新聞記事文庫 外交98-121
アメリカは支那の市場を狙っていた事情から、支那を支持するのは当然である。その上国連が調停に入るよう圧力をかけ、実際に国連はこの問題で協議を開始したのである。
上の画像は同日の大阪時事新報だが次のように伝えている。
【ゼネバ特電二十三日発】日本代表芳沢公使は今夜連盟に対して日本の満洲に於ける軍事行動に関して詳細なる報告を提出し、尚お審議二日間の延期を求めた。支那代表は依然満洲事変に対する連盟の直接行動を主張し、煽動的宣伝に之努めているが、併し此宣伝は余り効果あるものとは思われない。而して昨日理事会が可決した満洲事変の平和的解決を勧告せる決議に基き、理事国にあらざる三十六箇国も総会に於いて之を支持する意向であり、同時に連盟の調停行動を十分支持することになろう。日本代表は、本国政府の回訓を心持ちに待っているが、英、仏、独、伊、スペイン、日本の各代表者よりなる理事会特別委員会は、平和的解決を求める方策につき協議を進めている。
昭和6年9月24日 『大阪時事新報」神戸大学新聞記事文庫 外交98-123
支那は国連を巻き込むことに失敗したが宣伝戦では日本を圧倒していた
しかしこのような局面で、外交力の差が歴然とする。ドイツは比較的中立的な立場にあると考えられる国だが、日本の対応の不味さを批判している。
法治国たる日本ともあろうものが支那人の主張するほどの条約無視を平気で行うものとは信じられないが、然し日本人は独りよがりで満洲の細かい問題はヨーロッパ人が皆知っているが如き前提で行動するようなやり方は、少くも外交上の戦術の非常な不手際な点を暴露するものであって日本のために惜む。
昭和6年9月28日 『大阪朝日新聞』神戸大学新聞記事文庫 外交99-30
たとえば鉄道沿線に一万五千の守備兵を置ける如き権利は一九〇八年及び一九二二年の条約で確定していることは学者の間では知っている。それに対し国際的干渉がないから国際法上は日本の既得権には違いない。しかしヨーロッパの一般民衆はそんなことは忘れたか知らないか位な状態だ。満洲問題の如きは極東の隅で隠れたローカルの些事として取扱わず、何故日本は常に堂々たるプロパガンダをもってもう少し日本の既得権と特殊地位をヨーロッパ人の頭に納得出来るように置かないのであるか。その点の外交上の策略が欠けているのでたとえ条約上に適ったことをしても誤解され易いと。
ドイツにいた支那留学生で組織する祖国擁護同盟はベルリンの新聞代表を招待して大変な御馳走をし、「日本の強盗的行為は支那のデモクラチックな統一を妨ぐるのみならず支那の国土を分割に導くものだ」と宣伝したのだそうだが、ドイツは支那の発する情報は真実でないと考えていたようである。ドイツでこのような状態であれば、多くの国が同様な認識であった可能性が高いと思われる。
結局国際連盟は支那が期待した通りには動かず、英米も動きを止めたのだが、そこで簡単に引き下がるような支那ではなかったのである。
外交においても唯一の頼みたる国際連盟に振られ英、米ともに同情のないことが明かとなったので、対日外交政策も一変する必要に迫られているが如く連日臨時中央政府会議を開いている。その結果外交舞台以外に宣伝に全力を注ぐことになり、某々外国通信員、上海における外国新聞特派員、通信員の買収につとめ、一部はすでに上海より東四省に向った形跡がある。また中央党部の日本通として知られた斎世英氏(郭松齢事件の黒幕たりし人)は俄に日本に潜行した。斎氏は蒋介石氏より重大なる依頼を受けているとのことであるが、いずれにしても国際連盟の支那に対する冷淡なる態度は南京政府を非常な窮地に陥れた。
昭和6年9月29日 『大阪毎日新聞』神戸大学新聞記事文庫 外交99-55
支那は国際連盟や英米から海外メディアに宣伝戦のターゲットを移し、さらにわが国の世論工作を開始したというのだが、その後まもなく支那に、再び国際連盟を利用するチャンスが到来する。その点については次回に書くことと致したい。
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