11/23国際連盟理事会における松岡演説
前回、前々回の歴史ノートで昭和七年(1932年)十一月二十一日の国際連盟理事会における松岡洋右の演説のポイントを纏めてみたが、その日に中国代表の顧維鈞も演説を行っている。そして十一月二十三日に松岡は理事会で、二十一日に行われた顧維鈞演説の反論を行っている。
この演説も前回記事で紹介させていただいた『松岡全権大演説集』(GHQ焚書)に出ているが、大阪朝日新聞にその要約が出ている。松岡は顧維鈞の不戦条約の解釈の誤りを指摘したほか、顧維鈞が日本軍侵略の根拠とした「田中上奏文」なるものは存在せず、内容は明らかな捏造であることを述べている。「田中上奏文」は昭和二年に田中義一内閣総理大臣が昭和天皇に、支那の征服には満州・蒙古の征服が不可欠で、また世界征服には支那の征服が不可欠であると上奏した文書と中国が世界に宣伝していたのだが、わが国から抗議されて民国政府の機関紙『中央日報』で真実の文書ではないと報じたことから、偽書であることは明らかである。
さらに松岡は支那のボイコットについて以下のように述べたという。
…ボイコットは支那が外国から譲歩を強奪せんとする場合その手段として使用せられているのであって、ボイコットは正に変装された戦争である。顧維鈞氏はボイコットをもって自由行為の、平和的法式であるといわれた。支那は実際においてボイコットの合法化を容認している。余はこれをもって極めて重大問題なりと思惟するものである。
支那のボイコットはアメリカに対して行われたものが、近年において外国に対して赤裸裸にかつ効果的に行われた組織的ボイコットの最初のものであるが、当時アメリカ政府はその往復公文書においてボイコットをもって不正規、不法の外交手段恐喝の一様式であり支那政府の掩護の下に実行せらるる敵対行為であると断じかかる行為を終熄せしめるのが実に帝国(清国)政府の任務であると述べている。アメリカ政府はその見解を強行するため太平洋艦隊に待機を命じかくして右運動を二十四時間内に終熄させたのである。
「神戸大学新聞記事文庫」外交121-57
この松岡の演説に対して顧維鈞が起ち上って発言したのだが、根拠のないプロパガンダ的な言辞を繰り返すばかりでまともな反論は出来なかった。国際連盟における松岡演説の影響は決して小さくなく、議論で松岡に勝てないと悟った支那やアメリカ等はその後様々な手を打っていたことが当時の新聞に報じられている。
国際連盟総会の多数派工作
理事会のあと十二月六日に国際連盟の臨時総会で満州問題が討議されることに決定していたのだが、総会で「日本の満州国承認の即時取消を要請する」決議を通過させようとする多数派工作の動きがあった。どこが主導権を取ったかは今となれば確認は困難だが、おそらく支那か連盟事務局か米国いずれかが背後で動いていたものと思われる。国際連盟の総会決議となると、大国でも小国でも同じ一票となるので、小国の票をどれだけ取り込むかがポイントとなる。上の画像は十二月一日付の大阪毎日新聞の記事である。
しかしながら参加国の中には、満州問題で連盟は解決案を突き付けるのではなく、日支両国間で交渉させ和解に導くことが連盟の役割だという意見が少なくなく、連盟側も当初の方針通りに強引に進めることは厳しく、現地を再調査すべきという議論もあったようだ。十二月二日の神戸新聞は次のように報じている。
…連盟が当初の予測を裏切って今さらかくの如き妥協的態度をとるに至った有力な原因は、アメリカが民主党の勝利により日支紛争問題解決のため連盟へ巻きこまれることを極力さける方針に出たためであって、アメリカを唯一の頼みとした連盟内の支那および小国側は最近甚だしく悲観しておる。
右の如き情勢に対し、わが外務省はあくまで従来の方針を一貫して主張すべく、苟も帝国政府の対満既定政策に干渉圧迫を加えんとする種類の提案に対しては絶対反対すべく陣容を堅固にしつつある。
「神戸大学新聞記事文庫」外交121-145
十一月に行われたアメリカの大統領選と上院下院選挙で民主党が勝利し、満州問題に関するアメリカの方針が変わる期待もあったのだが、フーヴァー大統領はルーズヴェルトの就任を早めるために早期辞職を拒否したため、翌年三月四日の任期までは、共和党のフーヴァー政治が続くことになったのである。
奇策を次々と繰り出す南京政府
また支那ではいったん沈静化していた排日運動を活発化させるべく、南京政府が全国に向けて排日密令を発し、公然と日貨排斥、排日運動が横行するようになったことを十二月四日の大阪毎日新聞が伝えている。
今回の排日は従来と非常に性質を異にする。すなわち排日運動は国際連盟で顧維鈞代表から日本の侵略行為に基因する必然的反動行為と言明されており、またさきに行政院長代理宋子文が在京中の各国公使と会見の際、これまた日貨排斥は国民の愛国運動で政府はこれを取締ることは出来ぬ、決して排日行為にあらずと暴言的声明をした。これらの事実は排日運動の背後に国民政府があることを公然如実に示したと同時に支那側にとって「排日行為は自衛手段にほかならぬ」と今後排日運動に対する国民政府の態度を内外に発表したもので、排日を是認し全国民に排日の油を注いでいる。…中略…
国際連盟の俎上にある満洲問題の成行如何は排日運動とは非常に重大な関係がある。もし連盟支那側に有利に展開せんか排日はさらに一段尖鋭化を見るべく、わが出先官憲は目下全国に兆しつつある排日風潮と相待って支那側の態度をすこぶる重大視している。従って排日の前途は楽観を許さぬ状態である。
「神戸大学新聞記事文庫」外交121-162
また同日の神戸又新日報は、支那は国際連盟総会直前に日本に対する損害賠償を提訴する動きがあることを伝えている。記事文中の「ゼネヴァ」とは国際連盟の本部が置かれていたスイスのジュネーヴ市のことであり、「リ卿報告書」とは「リットン報告書」のことである。
外交部長羅文幹はゼネヴァの支那代表部に宛て訓令を発し、総会前に連盟事務局および加盟国に、報告書に根拠し日支事件の支那側損害賠償を提訴し、総会席上支那代表より動議を出し日本に損害賠償支払いの要求をなさしめることとなった。上海事件の損害は支那政府と国民の直接、間接損害二十億ドル無辜の民の死者千七百三十八名、行方不明者七百十九人に達するほか、満洲における損害は調査の結果を待ち賠償要求をする。右はわが代表の活動により、連盟の空気が漸次支那に不利にならんとしているので、これで総会に波瀾を起させようとする支那の窮余の作戦とみられている。
「神戸大学新聞記事文庫」外交121-166
この国は計画していた通りにならないと、自国が有利になるために相手を困らせることを次々と考案して繰り出すことが良くある。目的のためには手段を択ばないのは昔から同じで、この国は条約や契約を平気で破り、世界を騙すことも厭わない。
12/6国際連盟総会における松岡演説と翌日の総会での各国の主張
わが国の主張を認める流れが生じた時期もあったのだが、臨時総会の開催日が近づくと国連事務局や支那、および小国の反日的態度が次第に深刻になっていったという。そして十二月六日十一時に予定通り国際連盟総会が開催され、支那代表の顔恵慶が「リットン報告書」を礼賛する演説の後、松岡洋右が演説を行った。松岡は冒頭で、支那代表の述べた内容はこれまでに答弁し完全に論駁を加えており再び彼と論争する必要はないと思うので、わが国が特に強く述べておきたい諸点について話したいとして演説に入っている。この演説も『松岡全権大演説集』に日本語原稿の全文が掲載されている。
松岡は支那の無秩序状態が近い将来に回復するとは思えないが、リットン報告書では支那の統制についてあまりに楽観的であることを指摘した後、支那がわが国との条約を無視してボイコットを繰り返し、わが国の権益を侵されてきたことなどを語っている。続けて松岡は、満州独立について以下のように述べている。
独立運動の魁は、まず最初、満州在住民族の指導者たちによってなされた。このことは調査団報告書に反してきわめて明瞭な事実であり、かつそれは、九月十八日事件(㊟柳条湖事件)直後、八日を出でずして既に開始されたものである。満州におけるわが軍隊が、直接軍事行動の開始を考慮し、わが政府がその起こりつつある事態の重大性を察知する以前に、その独立運動は満州の支那人の指導者たちによって開始されていた。この運動の事実を知ったわが政府は、支那の国内問題に、絶対不干渉の伝統的政策に準じて、関係の及ぶことを避けるため、応急手段を講じたのである。九月二十六日わが外相幣原男爵および陸相南大将は、日本の民間軍部代表者たちに、同運動に関連せざるよう各自注意することを訓令したのである。
しかし、彼等の尽力にもかかわらず、満州における民衆指導者たちの運動を中止することはもちろん、我々日本人の彼らに対する同情を阻止することすらできなかった。彼等満州民族は、苛酷な執政者の下に永年苦しめられてきた。そして遂に、民族独自の政府を組織するときを知った彼らは、この機会に乗じて遂に起ったのである。…中略…満州国承認に関して、次の事が言える。即ち新政府は、日本国民全体の同情を得たこと。同政府に、過去四十年我々を悩ました問題解決の意図あることを確かめ得たこと。また同政府の出現によって、支那本来の敵対的煽動が終息されたこと。同政府の樹立は、日本の満州に於ける軍事的、経済的重要性を認めた理解ある人々によって組織されたこと。将来に対する平和確立の約束を得た等を我々は知り得たのである。しかして我々もまた平和を望んだ。我々は過去現在にわたって満州を我が物にしようとは思わなかった。我々はただ、満州におけるわが権益維持を欲したのみである。かくて、我が満州国即時承認は解決されたのである。そしてわが政府は、わが同胞並びに満州国の要求に応じて、承認手続きを履行したのである。 …中略… 実際上、一国家の他国家に対する承認は、全然、その政府の統治権内にあるもので、第三者の国家によって抗議される理由はあり得ないのである。このことは欧州並びにアメリカの歴史に於いても、たびたび前例のあることである。余はまた、日本の満州国承認の結果が全極東の健全なる発達を阻害するものでないということを強調しておきたい。
『松岡全権大演説集』大日本雄辯会講談社 昭和8年刊 p.87~89
さらに松岡は、支那には武装された人間が二百万から三百万と世界中のどこの国よりも数多くいるのだが、国民党政府は揚子江の数地方を統治しているだけで行政は不十分であることを述べている。また支那では共産主義勢力が強大化し、彼らは外国との条約に関しては一方的廃棄の革命原則を持続し、数多の省を統治し、支那の心臓部に食い込みつつあることを指摘した。これから支那の治安が良くなることは考えにくく、我々が満州国を承認したのは、この地域の治安を安定させるためにはこれ以外の方法は無かったと強調した。
さらに松岡は満州問題の解決策はどうあるべきかについて、次のように述べている。
今や総会は解決に対して、提議を為すか為さざるかを決定しなければならない。我々はいかなる提案も、次の原則に支配されなければならないものと思惟する。
一、解決条件は有効に実行し得られるものであり、更に極東の平和を安全に保持するものでなければならない。
二、支那の無秩序状態に対する解決案が、発見されなければならない。
三、連盟によって何らかの解決案が見出される場合には、連盟はその実行に関して、自ら責任を負わなければならない。支那の現状を考察するに、その実行は困難に遭遇する恐れがある。したがって連盟は、それに必要な犠牲を払う決意と手段を講じなければならない。連盟加盟国中、誰がかかる企てに協力参与するものがあるであろうか?
日本は、連盟が平和の保障となっていることを十分に承知している。連盟の精神は、極東の平和を確立し、全世界の平和の維持に貢献せんとする日本の根本的政策に一致しているのである。したがって、日本は世界の進歩発展及び人類安寧の増進に対する貢献に参与していると信じている。
同上書 p.93~94
満州国が独立し張学良軍を満州から追い出してようやく満州の平和が訪れたのだが、満州国を否定し満州の統治を無秩序な支那に戻して満州問題の根本的な解決策になるとは思えないのだ。
翌十二月七日の総会では各国の代表が登壇しているが、小国は予想されていた通り日本を侵略国としリットン報告書支持を表明したが、フランス、イギリス、イタリア、ドイツなどは堂々と正論を述べたことを大阪毎日新聞が伝えている。例えばフランス代表、イギリス代表の発言は以下のようなものであった。
仏国代表
リットン報告書の事実を叙述せる部分は別問題として報告書の結論を吟味しその中より紛争当事国に提示すべき何等かの指針を発見するのが適当で、日本の受諾出来ないような勧告を作るが如きは連盟として重大な責任を負わねばならぬことと力説…
英国代表
一、日支両国はともに宣戦布告せざりしこと、即ち「満州は世界の他の如何なる”場所にもその類例を見ざる特殊事情の存するものなれば、国境を越えて軍隊が出動しただけをもって簡単に隣国侵略の行為なりということはできない」といって従来小国がやっきとなって日本を侵略国なりと判決を下そうとした軽挙妄動に大鉄槌を加えた…
「神戸大学新聞記事文庫」外交121-213
12/8国際連盟総会における松岡演説とその後の動き
そして二日後の十二月八日に、この年の最終の国際連盟総会が開かれ、松岡が演説を行っている。決議は年明けに行われることが決まっており、松岡にとっては最後のチャンスであった。この演説も『松岡全権大演説集』に全文が掲載されているが、この日の松岡は草稿なしのメモだけで総会に臨んだというから大した英語力である。
彼がこの演説を終えると、日本の主張に反対を表明していた小国の席からも拍手が起こったことが伝えられている。この演説は多くの日本人に先入観を持たずに読んでいただきたいと思うのだが、長い演説なので最後の方の有名な部分だけを紹介することとしたい。
申すまでもなく連盟の目的は平和にある。列強、即ち米国にしても、英仏その他にしても目的は同様平和にある。日本の目的もまた、種々な逆宣伝あるにかかわらず実に平和にある。我々の目的の相互間に差異あるとは思えぬ。ただその手段に関して多少の差別ありと為すものである。我々は現にわが国家にとって生きるか死ぬかの重大問題と取組み合っている。…中略…
たとえ世界の世論が、ある人々の断言するように、日本に絶対反対であったとしても、その世界の世論たるや、永久に固執されて変化しないものであると諸君は確信できようか? 人類はかつて二千年前、ナザレのイエスを十字架に懸けた。しかも今日どうであるか? 諸君はいわゆる世の世論とせらるるものが誤っていないとは、果たして保証できようか? 我々日本人は現に試練に遭遇しつつあるのを覚悟している。ヨーロッパやアメリカのある人々は今、二十世紀における日本を十字架に懸けんと欲しているではないか。諸君! 日本は将に十字架に懸けられんとしているのだ。しかし我々は信ずる。確く確く信ずる。僅かに数年ならずして、世界の世論は変わるであろう。しかしてナザレのイエスが遂に世界に理解された如く、我々もまた世界によって理解されるであろう。…
同上書 p.126~128
松岡は、現状では国際連盟が支那の味方となり、支那も連盟が味方していることを内外に宣伝している現状を述べた後、近い将来ソヴィエトの共産主義が支那の大部分を蔽うことになることは明らかだと語っている。そうなれば、支那に投資をしてきた欧米列強はどういうことになるのであろうか。松岡は最後に次のように述べて演説を終えている。
もしわれわれがソヴィエト・ロシアと支那に起こる事態に超然主義を執ろうという約束でも結んだとしたら、果たしてそこに何が来るか?
国際連盟の目的が真に世界平和にあるとせば――余は勿論かく信ずるものであるが――しかも極東の平和が世界の平和の一部であるとせば、諸君はそのいずれを選ばんとするのであるか? 諸君は今日、全東亜の怖るべき現状の真っただ中にあって唯一の希望である日本を弱めんとする途を選ぶのか、それは直ちに以て極東を一層の混乱に陥らしむるばかりであろう。乃至はまた日本の立場を力づけてくれようとする途を選ぶか? それは必ずや極東に平和と秩序を再建し得るの曙光をもたらすであろう。
諸君! この両途のいずれを執るかの答えは一に諸君の手に握られている。
同上書 p.129
この演説が終わったあと、松岡は出席していた各国から絶賛されたことを十二月十日付の神戸新聞が伝えている。文中の郭泰祺は支那の代表である。
三回に亘る小国代表や郭泰祺の演説は識見低劣信念薄弱、松岡代表の堂々たる大演説の前には太陽にてらされた蛍のように見えた。散会後仏代表ボンクール氏、英代表サイモン氏、京都会議以来の知友ヘルシアム卿などが押かけて握手攻めにし『あんな見事な即席演説は今迄聞いた事がない』と絶讚を浴びせた程である。
『神戸大学新聞記事文庫』外交121-218
実際にその後の中国は、松岡が予想した通り長らく内戦が続いた。一九四九年四月に中国共産党が中華民国政府の首都南京を制圧すると国民党は壊滅状態となり、十月に毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言している。しかしながら、その後も旧国民党、富裕層などによる反共・反政府運動が続発し、上海などの外国資本は香港などに撤退することを余儀なくされているのである。
話を国連総会に戻そう。国際連盟における「論戦」としては松岡が、支那や「小国」を圧倒したのだがこの時点ではいつ決議を行うかはまだ決まっていなかった。支那はいつまでも国連に頼るわけにいかず、その後様々な動きをしていることに注目したい。
駐米支那公使館から国民政府外交部に達した密電によると、目下ワシントンにあって米国当局者間において極秘裏に行われつつある米国の露国承認に関する交渉は着々進捗中と伝えられ、米国の露国承認の確証を得た国民政府は露国との国交回復を一転機として、従来終始一貫して来た国際連盟至上主義から急旋回して米露両国に対し急激なる接近策を講ずるに至った。
即ち有利なる利権を提供し日本および英仏を牽制することに十四日の外交委員会で決定、この案は第三次中央全体会議に提出されるはずである。
「神戸大学新聞記事文庫」120-194
【錦州連合二十一日発】国際連盟にみきりをつけた張学良は愈々一身の保全をはかるべく積極的行動を開始し、着々対日満戦備を整え且つ麾下の精鋭第一旅王以哲軍を宝山線に、第二旅を開魯北方に、第三旅黄顕声軍を開魯通遼方面に進出せしむる密令を発し、既に玉以哲の命により何桂国前敵総司令は部下を指揮して宝山線進撃の準備中である。かくて錦西熱河省境は俄然戦雲漲るに至った。
「神戸大学新聞記事文庫」外交120-215
こんな動きをする中で、国連に対しては満州問題について修正案を提出している。
連盟支那代表部は二十七日連盟事務局に対し、過般十九国委員会が可決した問題の日支紛争処理決議草案に対する支那側の修正案を提出した。確聞するにその内容は左の四項を提議せるものである
一、満洲国の否認
一、日本が連盟規約その他の国際条約を侵犯せりとの明確なる声明
一、リットン報告書の採択
一、連盟規約第十五条第四項の規定による報告書作成のための猶予期間即時決定
「神戸大学新聞記事文庫」外交120-232
松岡は論戦では支那を圧倒したのだが、総会の決議は議場における議論の優劣で決まるものではない。総会決議は参加国一国一票ずつの多数決で決まることとなっており、大国も小国も票の重さに差異はなく、各国の代表が個人的に松岡の演説を絶賛しても、実際の投票はその国がどう判断するかで賛否が決まることになる。ところが国際連盟では、他の参加国に便宜を与える条件で自国の有利なように投票させるような行為は禁じられておらず、以前記した通り実際に多数派工作で動いていた国が存在したことは当時の新聞でも報じられていた通りである。
国際連盟の総会で満州の議案が決議されたのは一九三三年二月二十四日なのだが、決議の日程が決まるまでに支那は正月早々にわが国に紛争を仕掛けようとした。その点については次回に記すことにしたい。
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