神社合祀による破壊活動が簡単に止められなかった事情~~神社合祀3

神社合祀

神社合祀で官吏はいかにして神社を破壊したか

前回は和歌山県の神社合祀により由緒ある神社のかなり多くが、その社叢とともに破壊されたことを書いた。しかし、何世代にもわたり地域の人々の信仰を集めて来た神社が、何の抵抗もなく破壊されたことは考えにくい。官吏らはどういう方法で破壊を推進していったのだろうか。

南方熊楠(Wikipediaより)

南方熊楠は和歌山の神社破壊の現状を松村任三や柳田国男をはじめ著名人に伝えて、神社合祀反対運動への協力を求めたことが知られているが、東京帝国大学農学部教授の白井光太郎に宛てた書簡が「神社合祀に関する意見」というタイトルで「青空文庫」に転載されている。これを読むと、当時の官吏がいかにして神社を破壊したかが具体的に記されている。

南方熊楠 神社合祀に関する意見

しかるに今、国民元気道義の根源たる神社を合廃するに、かかる軽率無謀の輩をして、合祀を好まざる諸民を、あるいは脅迫し、あるいは詐誘して請願書に調印せしめ、政府へはこれ人民が悦んで合祀を請願する款状(かんじょう)なりと欺き届け、人民へは汝らこの調印したればこそ刑罰を免るるなれと偽言する。かく上下を一挙に欺騙(ぎへん)する官公吏を、あるいは褒賞し、あるいは旌表(せいひょう)するこそ心得ね。さて一町村に一社と指定さるる神社とては、なるべく郡役所、町村役場に接近せる社、もしくは伐るべき樹木少なき神社を選定せるものにて、由緒も地勢も民情も信仰も一切問わず、玉石混淆、人心恐々たり


「神社合祀に関する意見」

官吏どもは、合祀を好まない人々を脅迫したり騙したりして合祀請願書に調印させ、政府に対しては人民が喜んで合祀を請願している嘆願書であると欺いて提出した。また一町村に一社だけが残される神社は、役所・役場に近いか、伐るべき樹木の少ない神社、すなわち連中にとって金にならない神社を選定しているので、由緒も規模も人々の意向も考慮されなかったという。

三重県の神社合祀事例

次に南方は三重県の神社合祀の事例を述べているが、立派な拝殿や本殿があった神社が取り壊され、みすぼらしい小祠のみがあるような神社に合祀されたようなことが少なくなかったようだ。

拙見をもってすれば、従来神恩を戴き神社の蔭で衣食し来たりし無数の神職のうち、合祀の不法を諤議(がくぎ)せるは、全国にただ一人あるのみ。伊勢四日市の諏訪神社の社司生川(なるかわ)鉄忠氏これなり。この人、四十一年二月以降の『神社協会雑誌』にしばしば寄書して、「神社整理の弊害」を論ぜる、その言諄として道理あり。今その要を撮し、当時三重県における合祀の弊害を列挙せん。いわく、従来一社として多少荘厳なりしもの、合祀後は見すぼらしき脇立小祠となり、得るところは十社を一社に減じたるのみ。いわく、従来大字ごとになし来たれる祭典、合祀後は張り合いなし、するもせぬも同じとて全く祭典を廃せる所多し。いわく、合祀されし社の氏子、遠路を憚り、ことごとく合祀先の社へ参り得ざるをもって、祭日には数名の総代人を遣わすに、多勢に無勢で俘虜降人同然の位置に立つをもって、何のありがたきことなく早々逃げ帰る。言わば合祀先の一大字のみの祭典を、他の合祀されたる諸大字が費用を負担する訳になり、不平絶えず。いわく、合併社趾の鬱蒼たりし古木は、伐り払われ、売られ、代金は疾(と)くに神事以外の方面に流通し去られて、切株のみ残りて何の功なし。古木などむやみに伐り散らすは人気を荒くし、児童に、従来あり来たりし旧物一切破壊して悔ゆることなかるべき危険思想を注入す。いわく、最も不埒なるは、神殿、拝殿等、訓令の制限に合わぬ点を杉丸太で継ぎ足し、亜鉛葺き等一時弥縫(びほう)をなし、いずれ改造する見込みなり、当分御看過を乞う等で、そのまま放置する


「神社合祀に関する意見」

何百年も地域で護り続けてきた神社の社殿や社叢が破壊されたばかりではない。今までよりも小規模な祠などに無理やり合祀されたり安普請の社殿でいつまでも放置されては、遠い距離を移動して参拝に行くことが馬鹿々々しくなり、地域の人々の不平不満が出てくるのは当然のことである。

なぜ神職たちは神社合祀に反対しなかったのか

また南方は、神社合祀に反対した神職は全国で一人しかいなかったと書いている。表立って抵抗する者は少なかったにせよ、心の中では反対する者はいたことだろう。しかしながら、なぜ神職たちの大半が、氏子たちが反対していることを知りながら神社合祀策に抵抗しなかったのであろうか。

私の推測ではあるが、明治以降は第二次大戦後まで神職は官吏または官吏に準ずる待遇を受けていたので、自らの生活を守るためには明治政府の施策に逆らえなかったという点がひとつ。

また、基本財産積立法により村社五百円以上、無格社二百円以上の現金またこれに相当する財産を現有している場合は、神社合祀の対象から外すことが出来たはずなのだが、前回にも記した通り、和歌山や三重や大阪などでは、その金額が何度も官吏によって勝手に引き上げられ、五~六千円にもなったという。現在価値にして一億円を超えるような金額を要求されては、神職だけでなく地域の人々も、それだけの資金をすぐに供出できるはずがなかった。そして何よりも重要なことは、前回記事にも書いた通り神社合祀に協力すれば俸給が増えるなどの見返りがあり、それを喜ぶ神職が少なくなかったのである

中村啓次郎代議士の明治四十四年の衆議院演説

何とかこの動きを止めさせようとした南方熊楠の同志には政治家もいた。

中村啓次郎(Wikipediaより)

『第二十七回衆議院重要問題名士演説集』に和歌山選出の中村啓次郎代議士の神社合祀に関する質問演説が掲載されていて、国立国会図書館デジタルコレクションで無料公開されている。明治四十四年(1911年)に行われた演説内容の一部を紹介しておきたい。

…日露戦役に於ける戦捷(せんしょう)は実に里閭(りりょ:村落)の農民の力多きに居ると云うことは何人も争いなき事実であります。此農民等の克勝を得ました所以は――大原因は実に氏神の功徳多きを思わなければならぬのである。然るに日露戦争が熄み、論功行賞至らざるなきときに方(あた)りて、単(ひと)りこの恩典は氏神に及ばず。却って今や此災厄に遭うて居る。…(中略)…

…誠に我邦の神は多くは我らの祖先であります。我国又は我郷里固有の神である。然るに今、此愛国心の一分子たる愛郷心に至大の関係を有して居りまする此氏神を郷里に失い、其の氏神の藩屏たる宮木を斫り、神樹を伐り崩すと云うようなことを致した時は、何に依りて我愛郷心、愛国心を涵養することが出来ようか


(『第二十七回衆議院重要問題名士演説集』p.5~7)
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中村代議士は神社を破壊すれば愛郷心が薄れ、さらには愛国心も失われていくことを述べたあと、故郷の鎮守の森がもし失われたら、故郷の天然の景色がなくなってしまうし、そのような景観を残すことは地域で働く人々が心の安らぎを得るために必要だと主張している。

今や其森林の主人公たる氏神は他に移されて跡なく、其氏神の従者であるところの森林は悉く斫伐されて形跡だに留めないのである。…今や都会の地には公園の必要を認めまして、或は公園を設ける処もあれば、又公園を拡張いたして居る処もあるのである。然るにも拘わらず村落に於ける唯一の公園たる鎮守の森を斫伐し尽くそうと企てているのであります。人間は苦労ばかりせんとて生きて居る者ではない。精神の慰安なくんば、民何を楽しんで耕耨漁牧せん


(同上書 p.8)
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精神慰安のために都会には公園が造られるようになったが、田舎に住む人々にとっては神社があり鎮守の森があることによって心の安らぎを得ることが出来た。しかし、神社が破壊されたためにそれが叶わなくなってしまった。

このことは、この地域に観光に来た都会人にとっても、この地域が心の安らぎを得られる場所でなくなったことを意味するのである。

また和歌山県の神社の多くは、太古の貴人の塚の上に築かれているケースが多く、遺品などが出土する可能性がある。これらを破壊する事は考古学・歴史学上の重要な資料を失うことになる。さらに、神社の境内には様々な樹木が自生しているだけでなく、世界的にも注目されているような菌類なども生存している。そのような学術的に価値の高い自然環境を形成している場所は破壊すべきではないと訴え、最後にこう締めくくっている。

由緒も民情も、学問上の一切の関係を顧慮しないで恰(あたか)もマホメットが異教国を征服して改宗して在来の祠堂を壊つか、そうでなければ要求通りの償金を出せ、さあ金を出すか、神社を移さんかなどと五千円という大金の責道具を以て合祀を強要し、絶体絶命に村民が之に調印して、而して吏員は人民は何れも納得の上で請願致しましたから之を合祀したのでござると、当局からして吾輩に答弁を致して居る。こう云うことは一日も速やかに廃止せられんことを望むのであります。我国古来政治を『マツリゴト』と云って居る。敬神は実に政治の要である。もし夫れ民の敬神の自由を妨げ、敬神の思想を損傷するあらば爾余の行政如何に善美なるを以ても功罪相償うに足らぬのであります。


(同上書 p.12)
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内務省が訓示を出しても、それを無視して破壊を止めなかった地方の官吏

この答弁の後、中村代議士は平田東助内務大臣と面会している。平田東助は、以前このブログで書いたとおり神社合祀を推進した張本人である。南方の「神社合祀に関する意見」には次のように書かれている。

内相も中村氏と同一意見を持し、一時に基本金を積ましめ一村一社の制を励行するを有害と認むれば、四月の地方官会議に再び誤解なからしむるよう深く注意を加うべし、と約束さる。(この四月の地方官会議に多少の訓示ありしは、白井氏、前日井上神社局長より得たる秘密書類の写しで明らかなり。ただし少しも実行されず。)そののち聞くところによれば、四十三年六月ごろ、基本財産完備せずとも維持の見込み確実なる諸神社は合祀に及ばずと令ありしとのことながら、地方郡役所へは達しおらず。さて合祀は年を逐うて強行さる。その結果、去年十二月十九日と今年一月二十日の『読売新聞』によれば、在来の十九万四百社の内より、すでに府県社五、郷社十五、村社五千六百五十二、無格社五万千五百六十六、計五万七千二百三十八社を合併しおわり、目下合併準備中のもの、府県社一、郷社十二、村社三千五百、無格社一万八千九百、計二万二千四百十三社あり。残れる十一万ばかりの神社もなお減ずべき見込み多ければ、本年度より地方官を督励して一層これを整理し、また一方には神社境内にある社地を整理せしむべし、とその筋の意嚮を載せたり。また当局は、合祀によって郷党の信仰心を高め、おびただしく基本金を集め得たる等、その効果著し、と言明する由を記せり。


「神社合祀に関する意見」

中村代議士の発言で平田内務大臣も改善を約束したのだが、訓示を出しても地方の官吏が動かなかったのである。その一年前にも、維持可能な神社は合祀に及ばずとの命令を出したのだが地方役所には届かず、神社の破壊はさらに強行されたというのが現実であったのだ。平田東助についてはこのブログでも書いたが悪い噂の多い人物で、大掛かりな脱税の手口が大正三年の林喜一の著作に暴露されている

明治末期に政府が推進した神社合祀と鎮守の森の大量破壊~~神社合祀1
明治の末期に多くの神社が神社合祀政策により破壊され、全国の神社の約3分の1が失われた。特にひどかったのが三重県、和歌山県、愛媛県で、三重県では約9割の神社が無くなった。なぜ多くの神社が失われたかを調べていくと、合祀推進者が私腹を肥やした可能性が指摘されている。

南方熊楠はこんな事例を書いている。

西牟婁郡川添村は、十大字(おおあざ)、九村社、五無格社、計十四社を滅却伐木して市鹿野(いちが)の大字の村社に合祀し、基本金一万円あるはずと称せしに、実際神林を伐り尽し、神殿を潰し、神田を売却して、得たるところは皆無に近かりし証拠は、この神殿が雨風のために破損を生じ、雨洩りて神体を汚すまでも久しく放置し、神職を詰なじるに、全く修繕費金なしとのことなり

 また日高郡上山路(かみさんじ)村は、大小七十二社を東(ひがし)大字の社に合併し、小さき祠(ほこら)はことごとく川へ流さしむ。さて神体等を社殿へ並べて衆庶に縦覧せしめけるに、合祀を好まぬ狂人あり、あらかじめ合祀行なわるれば必ず合祀社を焼くべしと公言せしが、果たしてその夜、火を社殿に放ち、無数の古神像、古文書、黄金製の幣帛(へいはく)、諸珍宝、什器、社殿と共にことごとく咸陽(かんよう)の一炬(いっきょ)に帰す。惜しむべきのはなはだしきなり。むかし水戸義公は日本諸寺社の古文書を写させ、水災を虞(おそ)れて一所に置かず、諸所に分かち置かれしという。金沢文庫、足利文庫など、いずれも火災少なき辺土に立てられたり。件(くだん)の上山路村の仕方は、火災の防ぎ十分ならぬ田舎地方の処置としては、古人の所為に比してまことに拙き遣方(やりかた)とやいわん。さて焼けたる諸社の氏子へ一向通知せず、言わば神社が七十二も焼けたるは厄介払いというような村吏や神職の仕方ゆえ、氏子ら大いに憤り、事に触れて、一カ月前にも二大字合従(がっしょう)して村役場へ推しかけ荒々しき振舞いありし。件の社の焼跡へ、合祀されたるある社の社殿を持ち来たり据えたるに、去年秋の大風に吹き飛ばされ、今に修覆成らず。人心合祀を好まず、都会には想い及ばざる難路を往復五、六里歩まずば参り得ぬ所ゆえ、大いに敬神の念を減じ、参らぬ神に社費を納めぬは自然の成行きなり


「神社合祀に関する意見」

地方官吏も神官も、神社合祀が個人の利益に直結していたのでやめたくなかったというのが実態であったようだが、組織の上が腐っていれば下までが腐っていたのである

平田東助(Wikipediaより)

平田東助は大正元年(1912年)、第二次西園寺内閣の総辞職を受け、元老会議で後継首相に押されたが辞退し、以後は貴族院及び宮中における山縣有朋系派閥の中心人物として政界に強い影響力を保ち続け、大正十一年(1922年)には内大臣に就任し伯爵となり、経歴にはどこにも疵がついていない

私のブログで何度も書いていることだが、いつの時代でもどこの国でも、歴史叙述というものは、為政者にとって都合の悪い史実は伏せられて、都合の良い内容に編集される傾向にあるものである。

神社合祀による神社破壊は誰がどう考えても大事件であるのだが、明治の通史に何も書かれていない事情は、恐らくそれを書くことが明治政府にとって余程都合が悪かったということだろう。

とは言いながら、平田東助が大正14年(1925年)この世を去ってから94年も経ち、明治維新から150年以上が過ぎているのである。いったい我々は、いつまで明治政府にとって都合の良い歴史に付き合わされねばならないのだろうか

新しい令和の時代が始まったのだから、そろそろ明治から昭和の時代の史実を丹念に追いながら、公平な視点で歴史を見直すことが必要ではないかと思う。

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