日貨排斥を「千歳一遇の絶好機会」と捉えたアメリカ
元々中国の日貨排斥はアメリカが仕掛けたものなのだが、中国学生を煽動して日本商品の不買運動を定着させた後で,アメリカ商品の輸出を狙っていたことは容易に想像がつく。そのことはアメリカの雑誌に実際に報じられていたことが、大正八年(1919年)十二月十七日の神戸又新日報に紹介されている。
自殺的支那の日貨罷買(ひばい:不買)熱は不幸にして益々狂暴の模様なるが、近頃狡猾なる米国貿易商人中に魔法瓶其他の安価なる日本雑貨を米国に輸入し更に支那に逆輸したるにメード、イン、ジャパンの刻印ありたる為全部排斥されたりとの笑話あり。
尚彼等無謀の支那学生共は、例令日本以外の貨物にても、苟くも日本船に積載し来りたるものは一切拝斥すべしと揚言し居れるが、右につき米国極東貿易界の鉅商(きょしょう:大商人)ゼームス・ヒウスは近刊行の「太平洋港湾」誌上に、米国は千歳一遇の此絶好機会を逸すべからずとて日米の親交も物かは、公々焉(こうこうねん:公然)として火事泥的意見を述べ、「支那の日貨罷買は政治以外に於て米国に取り重大の関係あり。即ち此運動の為に日本の年々支那に輸出するシャツ、シーチング其他の綿製品及び綿糸等の金額八千七百万弗(ドル)も今や九割方の減少を示せり。斯くて支那の広大なる市場は日本に向って殆ど全く閉鎖されんとしつつあるも、戦争の重傷に悩める欧洲諸国は工業未だ復活せざるを以て、其製品を支那に供給するに由なし。是に於て米国は対支唯一の供給国たらんとす。現に支那よりの註文は最近激増し、従来未知の支那商館より注文又は問合を為し来るもの少なからず。綿糸綿製品に次で多く日本より供給せしは紙類なるが、今回の罷買は米国のパルプ製産地なる西北太平洋沿岸諸州に取り無二の福音にして、同地方の支那貿易熱は必然昂進すべし。次に電球、絶縁電線其他の電機用具及び硝子、石鹸等の日本品も米品を以て代用せしむる機会は今なり。
小幡氏は日本公使として北京に勢力あり連(しきり)に支那官憲を圧迫し居れるも、罷買は支那政府の云為に非ずして全く民間自発の反抗なれば政府は如何ともするに由なし。山東問題に由れる今回の罷買は其根柢極めて深く、容易に終息の恐れなければ、米国たるもの此際一大奮発なかるべからず。而して日本商人は此際死力を尽して支那市場の挽回に奔走し、且つ日本政府は彼等の援助を為すこと勿論なれば、米国商人は心して一層努力を要す。尚米国貨物は一切日本船に託すべからず」云々。米人の罷買煽動は右の一言一句之を確実に証明し居れり噫(ああ)
大正八年十二月十七日 神戸又新日報 神戸大学新聞記事文庫 外交39-43
「山東問題に由れる今回の罷買は其根柢極めて深く」などと述べているが、一月七日のブログ記事で書いた通り、日中ですでに解決していた山東問題をあとでこじらせたのもまたアメリカなのである。
米国対支貿易 : 三年間に十八割増
当然のことながらアメリカの対中貿易額は大幅に伸びていった。
上の画像は大正十年六月六日の萬朝報だが、三年間で米国対支貿易が十八割も増加したことを伝えている。
では日貨排斥が行われたことによって、時系列で各国の対支貿易額はどのように動いたのであろうか。その点については、大正十二年七月二日の中外商業新報が詳しい。
支那の排日貨運動は次第に露骨となり容易に閉息しそうにない。我国の対支輸出上由々しき問題で我財界のため憂慮すべき問題である。元来我国の対支貿易は列国の夫れに比し近年著しく進歩力を阻止せられ、輸出輸入共に大正八年を最多額とし、爾来減少の状にある。…中略…
概して云えば輸入よりも輸出の減少が甚だしいことが分る。更に最近六ヶ年間に於ける一月から五月迄の輸出入高を見るも、本年に入りて輸出が特に減少したことを明かにして居る。
大正十二年七月二日 中外商業新報 神戸大学新聞記事文庫 日中貿易3-73
右は列国から支那へ輸出した金額と支那より輸入した金額を示したものである△印には欧港より輸出したものを含まない
大正十二年七月二日 中外商業新報 神戸大学新聞記事文庫 日中貿易3-73
右に依ると列国より支那へ輸出した高は戦後概して増加して居る。即ち香港よりの輸出は大正八年以来同十年迄に七千八百万両(海関両以下同じ)、米国よりの輸出は六千五百万両、英国よりの輸出は八千五百万両、英領印度よりの輸出は九百万両、仏国よりの輸出は六百万両を増加して居るに拘らず、我日本よりの輸出は三千六百万両を減少して居るのである。実に遺憾に堪えぬ次第であるが、這は我国の物価が列国に比し割高であることも一大原因であり又我製品の不良も原因して居り、又欧米諸国が戦後特に対支貿易の発展に力を入れて居ることも原因して居る。此上支那の排日貨が益々甚しくなれば列国の対支輸出額は増加し、我国の夫れは益々減ずるのである。実に恐るべき状勢になりつつある。
五四運動が起きた大正八年(1919年)をピークにわが国の対支貿易は減少に転じた一方、英米の輸出額は急増していることが誰でもわかる。それでも、わが国の輸出額はまだまだ高い水準を維持していた。しかしながら昭和に入るとさらに日貨排斥が激しくなっていく。
済南事件以降日貨排斥運動はさらに深刻化した
昭和二年(1927年)三月に蒋介石の国民革命軍が南京を占領した際に日本人居留民らが襲撃される事件(第一次南京事件)が起き、四月には漢口の日本人居留民らが襲われた(漢口事件)。
翌年(1928年)山東の居留民保護のために出兵(第二次山東出兵)し、済南で北伐軍と日本軍が衝突し、多くの犠牲者が出た(済南事件)のだが、この事件の後で日貨排斥運動はさらに深刻化していくことになる。
(上海特電十八日発)山東出兵以来引続いての済南事件突発に依って、俄に猛烈となって来た当地を中心とする南支一帯の日貨排斥運動は、此程に至り更に条約改訂問題、東三省問題などに絡んでますます深刻化して来た観がある。即ち支那側斯界では飽くまで日本に対抗し、日本の行動を牽制せんとするには一方に列国の同情を求め他方対日経済絶交を為すことを以て唯一の最も有効な手段と見做し之れが徹底を期す可く、官憲の非公式援助と諒解の下に従来のような一局部的方法を避けて各地に於ける排日団を糾合し、全国反日会を設立し其本部を上海に置き通関業者、海関吏、学生団、工人団など相互に連絡を取り組織的に各種の計画を進めつつあるが、此結果は運動の漸く永続性を帯びて来たに連れて日支両国の経済関係にいよいよ重大なる影響を与えんとして居る。云うまでもなく日支両国の経済的関係は何れの国のそれよりも密接で離る可からざる関係にあるものであるが、日貨の取引が突如として停止された今日に於ては、支那は代用品として国産品のあるものは先ず差支えなしとするも、之れとて工業の幼稚なる今日極めて粗末なもので日本品の代用として使用することは総ての点に於て不利益があり、然りとて洋貨を使用するとすれば之れ亦勢い高価なものとなり経済的に多大の損害を免れない状態に陥って居る。殊に従来日本品のみを取扱って居たものへの影響は頗る甚大である。
昭和三年八月二十日 時事新報 神戸大学新聞記事文庫 日中貿易4-117
日貨排斥の隙間を狙って英米独等の対支輸出が増加していく。
大蔵省主税局関税課が発表した昨年十一月までの本邦対支輸出額を見るに左表の如く一昨年同期に比し満洲、中部、関東洲において増加し結局総額において約一割の増加を示して居るが北部、南部、香港特に南部支那への輸出は激減して居る。南方において日貨排斥を受けなかったならば昨年の対支輸出は激増であったろう(単位千円)。…中略…
昭和四年一月八日 東京朝日新聞 神戸大学新聞記事文庫 国際貿易24-184
然しながら今支那は復興への道程にある、物資の需要はおう盛である、日貨が排斥されて居る間に英米独等が進出する。
アメリカ商務省が発表した昨年一月以降九月までの対支輸出額を見るに一億一千万ドルを超え、一昨年同期の八千二百万ドルに比し約三割四分の増加を示している、九ヶ月で既に一昨年一ヶ年間の合計一億九百万ドルを凌駕している。
そして昭和六年にはとうとうアメリカの対支貿易が日本を追い越して首位となっているのだが、戦後の歴史叙述ではアメリカがいかにして対支那市場で日本を追い落としていったかという経緯が欠落していることを知るべきである。
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