当時の支那軍の兵力は世界最大規模であった
小学生であった頃に実家の寺の世話方さんから少しだけ戦争の話を聞いたことがある。5分程度の短い話だったと思うが、実際に支那事変に行かれた方で「南京大虐殺なんかなかった。新聞は嘘を書いている」「支那兵は弱くて、すぐに逃げた」と言う話が今も記憶に残っている。
支那軍は陸軍兵士の数では世界最大規模であった。GHQ焚書の『北支事変』に他国と比較した数字が出ている。
陸軍常備兵力は、ソヴェット・ロシアが百六十万(歩兵八十五個師団、騎兵二十個師団)、それからずっと下って、フランスの六十万(植民地守備軍十九満を含む)であるのにくらべて、支那陸軍の二百二十五万、ほかに共産軍二十万余、合計約二百五十万とは何たる驚異的数字でありましょう。…中略…各地おしなべて六百種程度の税目にわたって、人民の財布から搾り上げていることは、いつわりのない事実であります。それでなくてはどうして、これだけの大兵を養っていけましょう。なお、この二百五十万ほどの兵数に匹敵する、土匪軍が随所に分散しているという事実も見逃してはならないのであります。
(『北支事変』雄飛閣 昭和12年刊 p.1~2)
この土匪軍は、一種の予備兵団、いわばフリーランサーの集団と言うに近く、ときによっては正規軍?に動員され、またときによっては改変される。ただ実力の点では、将領の率いる軍隊と何ら優劣はありませんから、これをも加えますと、実に支那には平時五百万の軍隊が蟠踞しているわけであります。
対するに日本軍の兵士数は、Wikipediaによると、終戦時で百五万を超える程度であったようだ。
支那軍は、数が多いからといって強かったわけではないのだが、Youtuberの辻守さんが南京攻略戦終了直後の南京城内外を写した記録映画をアップされているので、まだ観ておられてない方に視聴をお勧めしたい。
多くの兵士が軍服を脱ぎ捨てて逃げた跡やが画像に残っている。この後に南京大虐殺があったとする学者が多いのだが、この説が信頼に足るかどうか、映像を見て考えて欲しいと思う。
逃げようとする兵士を戦わせる仕組み~~督戦隊
中国兵が弱かったという話はいろんな人が記録に残している。たとえばGHQ焚書の松村秀逸著『日本の進路』にこんな記述がある。
支那軍のやり口は、いつも受け身に立って、防ぎきれなくなったら逃げ出す。南京でも、徐州でも、漢口でも、日本軍が前から来るから前を防ぐ、右から来るから右を防ぐ、左から来るから左を防ぐ、後ろから来るから後ろを防ぐ、そのうちに、どうしていいか訳が分からなくなって、逃げ出すという寸法である。…中略…
(松村秀逸著『日本の進路』大日本雄弁会講談社 昭和14年刊 p.22~23)
それから、支那軍は第一線に雑軍を立てる場合が多い。その後に督戦隊が頑張っていて逃げ出そうとすると、後ろから打つのである。また無茶なことをするもので、トーチカ*の中で手枷、足枷をつけて、鎖で括りつけたり、トーチカの鉄の扉に外から錠をかけたりしている。私は北支戦線でも廣東でも、この手枷、足枷を見たのであるが、全く酷いことをするものである。要するに逃げ出さないように万般の手段を講じているので、進むも死、退くも死、必死の地に追い込んで、戦いをさせるのである。最も激戦だった上海戦線の如きは八段構えの不仁である。第一線、第二線と第八線まであって、これを時々取り換えるのである。『この前督戦隊で、俺を打ったから、今度はこっちが打ってやるぞ』という寸法、支那人同士が敵討ちのつもりで、第一線が逃げ出そうとすると後ろから打つのであるから、頑強な抵抗をしたわけである。
*トーチカ:鉄筋コンクリート製の防御陣地
随分ひどい兵士の使い方だが、督戦隊があるために彼らは必死で銃を撃つ。GHQ焚書の『上海激戦十日間』には、上海で支那軍と戦った竹下宣豊中佐の記録が出ている。
射撃開始と同時に、彼らはまず通行の婦女子に掃射を浴びせた。そして、その通行人は彼らにとって自国民だったのである。
その後の戦闘に於いて、支那軍はときどき油断のならぬ強さを示すことがあった。
火を吐く我が機銃座のまえに立ちはだかって、朱に染まりながら手榴弾を投じた。
しかし、このように支那兵が不気味な勇敢さを示すときには、きまって彼らがデスパレートな状態におかれたときに限っていた。絶望状態におかれたときに支那軍は強い。—―これは支那軍を知る上に於いて第一の原則となるべきものだ。彼らは陣地によって弾丸を射ちはじめる。
彼らの前面にわが軍が肉薄していく。
三百米(メートル)から二百米へ、
二百米から百米へ、
百米から五十米へ――
すると、彼らはたちまち陣地を見棄てて退却していく。
銃を棄て、軍服をぬいで雪崩を打って交代する。彼らを督戦隊が迎え撃つ。――それは、彼らを前線へ駆り立てるためではなくて、むしろ彼らを抜き差しならぬ絶望へ追いやるためだ。…絶望へ追いやり、そして彼らを強くするためだ。塹壕ではよく彼らの機銃手が十重二十重に鉄鎖に縛られて見捨てられているのを見た。
(海軍省記者倶楽部 編『上海激戦十日間』揚子江社 昭和14年刊 p.118~119)
その機銃手は、日本兵が彼の眼前に迫り、銃剣の一突きを胸に受けるまで熱心に彼の武器を守り続けた。怯懦に対するこれほどの惨忍、苛酷な刑罰が地球のどこで行われたであろうか…。
これが支那軍の本当の姿なのだ。
日本に留学していた陳登元が帰郷した際に中国兵として徴兵され、参戦した体験談を記した『敗走千里』という本もある。この本もGHQ焚書だが、読めば中国兵の実態がよくわかる。陳登元も逃げようとして督戦隊に銃を向けられて危なかったのだが、この戦いで多くの中国兵が督戦隊に銃殺されたことは確実である。
督戦隊に殺された中国兵と督戦隊と戦った中国兵
台湾の「佛網電子商城」という中国語のサイトに督戦隊のことが書かれている。「在中日8年戰爭中的中國軍督戰隊是使中國軍隊死亡數目最多的原因之一」と書かれている。要するに、日中戦争で多数の中国軍兵士が死亡した最大の原因のひとつがこの督戦隊によるものであるという意味であるが、このサイトの記事を翻訳ツールを使って読んでみると、上海松海の戦いで日本軍と督戦隊に囲まれた第十九中国師団は、日本軍より督戦隊の方が弱いとみて味方同士で闘うことを選択し、督戦隊との内戦状態になって多くの死傷者が出たことが書かれている。また南京に残された大量の死体は、日本軍が南京に侵攻する前に、軍服を脱いで民間服に着替えて逃亡する兵士たちを督戦隊が機関銃で撃ったものだと記されている。
南京における大量の死体は、このサイトの記述にあるように、中国軍によって殺された可能性が高いと考えるのだが、中国の「日本軍による大虐殺があった」とする主張に対してわが国が必要な反論をしてこなかったために、いつのまにか中国が主張する歴史が世界中に拡散されてしまっている。日本軍が制圧したのちわずか1か月で、南京の人口が20万人から25万人に増えているのだが、数十万人の大虐殺が行われた都市に人口が増加することは、普通に考えてあり得ないことである。
当時の南京に諸外国の記者が取材している。国民党中央宣伝部は日本軍の虐殺行為を訴え、南京陥落後の12月15日に『シカゴ・ディリー・ニュース』のスティール記者が、18日には『ニューヨークタイムズ』のダーディン記者が、南京事件で日本軍による虐殺があったとする記事を書いている。しかし、この時に世界の報道機関は二紙に追随しなかった。
もし二紙の報道内容が真実であることの裏付けが取れていたならば、世界の報道機関は当然ながら二紙に追随し、国民党政府は「緊急記者会見」を開催し、国民党政府だけでなく世界各国がわが国に抗議していたはずだったが、何もなかった。
国民党政府は米紙の報道があったことを根拠に、一度だけ国際連盟における顧維鈞の演説で2万人が日本軍に虐殺されたことを世界に向けて公言したのだが、これも世界の反応がなかった。
なぜ世界が国民党政府の主張に反応しなかったかは、南京陥落直後の写真や動画を見ればおおよそ見当がつく。一般大衆は明らかに日本軍を怖れていないし、むしろ国民党軍がいなくなって平和が訪れたことを喜んでいるようにも見える。現地で取材した他国の記者たちも、日本軍が残虐行為をしたという彼らの主張が、事実と異なることが判っていたということであろう。
今もいろんな問題について嘘を吐き、責任を他国に擦り付けるような国が声高に主張する歴史について、それが信用に価するものであるかはよくよく考えた方が良い。
中国軍を支援した英国は何を狙っていたのか
こんなに弱い軍隊であるにもかかわらず戦いが長期化した理由は、英国が蒋介石を支援し続けたことが大きいのだが、英国は中国を支援して何を狙っていたのだろうか。GHQ焚書の本多熊太郎著『欧州事変と支那事変』に、英国のラウンド・テーブル誌1937年9月号所収の支那事変に関する論文が紹介されている。
「(1)蒋介石の誇りとする中央軍も、七百機を算する空軍も、大体において日本軍に対しては頗る劣勢である。
(2)しかしやがて、戦争がゲリラ戦に転化して来ると、日本側の有利性もだんだん割引を見るに至るだろう。なんとなれば支那共産軍の戦績で示されている如く、ゲリラ戦には支那の兵隊と土地はともに特異の適格性を持っているからだ。
(3)こうして戦争が長引けば長引くほど、日本における財政的崩壊や社会不安の可能性を増大すべく、
(4)そこでソ連邦の武力的登場あるいはまた
(5)他の列強による調停の可能性がより増大することとなる。」と、こう明記している。つまり本格的の戦では勝味がない。そこでゲリラ戦となる。即ち長期抗戦だ。長期戦となれば日本は経済的に参る。そこでソ連が武力で登場する。
(本多熊太郎著『欧州事変と支那事変』千倉書房 昭和14年刊 p.182~184)
そして英国を中心とする列強の調停、即ち干渉で戦を終了させる。と、こう言うのである。これが事変勃発のほとんどその瞬間に英国外交に指導的の勢力を有するラウンド・テーブル・グループ――そのグループの大御所であり英米提携派の巨頭として米国側にも深き接触を有するロシアン侯爵、つい最近に駐米大使に任命せられた――が、その機関紙で公表した対事変策の指導原理である。爾来二十幾月の経過に徴するに、英国政府の事変対策は全く前述の指導原理の下に行われておることは何人も否認が出来ぬだろう。…なお論文の末段には、
「英国としては調停の機会をいやしくも逸することなきよう鋭意中止を要すると同時に、日本をして、その政策を緩和せしむるの切り札は英国の手にはない。これを握っているのはソ連である。」
としている。これは日本を取って抑えるに必要な武力を英国は持ち合わせない。それにはソ連を使う。それから英国が米仏等とともに調停、即ち干渉をやってこの戦争を終局させるというのである。
弱い支那軍にはゲリラ戦をやらせて日本軍を疲弊させ、そのうち日本は財政的に持たないので英国が調停に関与するチャンスが訪れる。それを絶対に逃してはならないと書いたあとで、香港やシンガポールの英国利権を日本に奪われてはならぬことまで記している。今の英国がここまで考えている国だとは思えないが、すくなくとも当時においては、自らは血を流さず他国同士を戦わせた後で、最後に調停に関与して利権を獲得する戦略を考える国であったことを知るべきである。
支那事変に関連するGHQ焚書
GHQはよほど隠したいことが多かったのだろう。支那事変に関する書籍を大量に焚書にしている。タイトルで判断して、この事変に関係する焚書は以下のとおりである。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
援蒋国家群の勢力退潮 | 水島 済 | 国際思想研究所 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455174 | 昭和17 |
汪兆銘を語る | 青年書房編 | 青年書房 | ||
欧洲情勢と支那事変 | 本多熊太郎 | 千倉書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261509 | 昭和14 |
汪兆銘 | 森田正夫 | 興亜文化協会 | ||
汪兆銘言論集 | 汪兆銘 中山樵夫 訳 | 三省堂 | ||
汪兆銘日本と携えて | 汪兆銘 黒根祥 訳 | 朝日新聞社 | ||
汪兆銘の爆弾声明と 蒋政権の内幕を暴く | 畑中 耕 | 亜細亜出版社 | ||
欧米の動きと支那事変 | 鶴見三三 | 岡倉書房 | ||
大立物汪兆銘 | 畑中耕 | 亜細亜出版社 | ||
海軍作戦支那事変二周年の回顧 | 桜木俊晃 | 東京朝日新聞発行所 | ||
各社特派員決死の筆陣 支那事変戦史 | 宮居康太郎 編 | 皇徳奉賛会 | ||
各社特派員決死の筆陣 支那事変戦史後編 | 宮居康太郎 編 | 皇徳奉賛会 | ||
苦悩の蒋介石 | 白須賀六郎 | 宮越太陽堂書房 | ||
軍国に咲いた花 : 少年少女たち におくる支那事変の読物 | 草牟田尋常小学校編 | 草牟田尋常小学校 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1092811 | 昭和13 |
経済学上より見たる 支那事変の本質 | 木村増太郎 | 目黒書店 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1277579 | 昭和14 |
国際政局と支那事変 | 下村海南 述 | 渡辺翁記念文化協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1456564 | 昭和13 |
支那思想概説 日支事変に就いて | 諸 橋 述 | 山崎作治 | ||
支那事変解決の根本策 | 東亜聯盟協会 編 | 東亜聯盟協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908708 | 昭和15 |
支那事変解決の諸問題と 支那における商品流通 | 神戸市産業課 編 | 神戸市産業課 | ||
支那事変解決論 | 肥田琢司 | 信正社 | ||
支那事変が生んだ 皇国銃後赤誠史 | 鈴木眞一 編 | 日本聯合通信社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452833 | 昭和13 |
支那事変歌集 戦地篇 | 松村英一 編 | 改造社 | ||
支那事変下に 再び陸軍記念日を迎へて | 陸軍省情報部 編 | 陸軍省情報部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462436 | 昭和14 |
支那事変下に於ける 各道府県農会の農村対策 | 帝国農会 編 | 帝国農会 | ||
支那事変から大東亜戦争へ | 本多熊太郎 | 千倉書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1439017 | 昭和17 |
支那事変樺太盡忠録 | 軍陣援護会樺太支部編 | 北方文化出版社 | ||
支那事変記念写真帳 | 水野信之 編 | 大洋社 | ||
支那事変郷土部隊写真史 | 渡辺春也 編 | 福島民報社 | ||
支那事変軍票論 | 除野信道 | 日本評論社 | ||
支那事変経過の概要 第四号 | 陸軍省新聞班 編 | 陸軍省新聞班 | ||
支那事変皇軍物語. 第3巻 | 東京日日新聞 編 | 東京日日新聞発行所 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108127 | 昭和13 |
支那事変皇国之精華 | 川瀬力造 編 | 新聞資料協会 | ||
支那事変史研究 | 草野文男 | 人文閣 | ||
支那事変実記. 第2輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041956 | 昭和17 |
支那事変実記. 第3輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041960 | 昭和17 |
支那事変実記. 第4輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041963 | 昭和17 |
支那事変実記. 第5輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041965 | 昭和17 |
支那事変実記. 第6輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041970 | 昭和17 |
支那事変実記. 第7輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041974 | 昭和17 |
支那事変実記. 第8輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041978 | 昭和17 |
支那事変実記. 第10輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041986 | 昭和17 |
支那事変実記. 第12輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041992 | 昭和17 |
支那事変実記. 第13輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041997 | 昭和17 |
支那事変実記. 第14輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042001 | 昭和17 |
支那事変実記. 第15輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042004 | 昭和17 |
支那事変写真帖 | 東光社 編 | 東光社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112119 | 昭和13 |
支那事変従軍記念写真帖 | 村川貞一 編 | 村川貞一 | ||
支那事変従軍記蒐録 第一編 | 宮居康太郎 編 | 興亜協会 | ||
支那事変従軍記蒐録 第二編 | 宮居康太郎 編 | 興亜協会 | ||
支那事変銃後赤心譜 | 岡藤三郎 編 | 合同新聞社 | ||
支那事変銃後後援誌 第二編 | 北海道庁編 | 北海道庁 | ||
支那事変処理の一考察 | 戸田手葉 | 信義堂書店 | ||
支那事変盡忠報国感激美談 | 木村小舟 編 | 龍文舎 | ||
支那事変聖戦写真史 | 玉井清五郎 編 | 忠勇社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112235 | 昭和13 |
支那事変聖戦赤心譜 | 楓井金之助 | 国民新聞社 | ||
支那事変前線より帰りて | 星野辰男 編 | 朝日新聞社 | ||
支那事変戦跡行脚 | 野崎圭介 | 聚文館 | ||
支那事変戦跡の栞 | 陸軍画報社 編 | 陸軍画報社 | ||
支那事変戦跡の栞. 上卷 | 陸軍画報社 編 | 陸軍恤兵部 | ||
支那事変戦跡の栞. 中卷 | 陸軍画報社 編 | 陸軍恤兵部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1906104 | 昭和13 |
支那事変戦跡の栞. 下卷 | 陸軍画報社 編 | 陸軍恤兵部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1906119 | 昭和13 |
支那事変戦争美談 | 陸軍省つわもの編輯部 | つわもの発行所 | ||
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第1巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1148536 | 昭和13 |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第4巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1148654 | 昭和14 |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第5巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1148686 | 昭和14 |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第6巻 | 軍人援護会 編 | 軍陣援護会 | ||
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第7巻 | 軍人援護会 編 | 軍陣援護会 | ||
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第8巻 | 軍人援護会 編 | 軍陣援護会 | ||
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第9巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | ||
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第10巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | ||
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第11巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | ||
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第13巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | ||
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第16巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | ||
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第17巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | ||
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第18巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | ||
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第20巻 | 軍人援護会 編 | 軍陣援護会 | ||
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第22巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | ||
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第25巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | ||
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第26巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | ||
支那事変忠勇読本 : 軍国少年の為に | 尾関岩二 | 文祥堂 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438302 | 昭和12 |
支那事変忠勇列伝. 海軍之部 第1巻 | 軍人援護会 編纂 | 軍人援護会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030855 | 昭和16 |
支那事変忠勇列伝. 海軍之部 第11巻 | 軍人援護会 編纂 | 軍人援護会 | ||
支那事変忠烈偉勲録 第一輯 | 佐々木一雄 | 皇軍発行所 | 昭和12 | |
支那事変忠烈偉勲録 第二輯 | 佐々木一雄 | 皇軍発行所 | 昭和13 | |
支那事変忠烈偉勲録 第三輯 無名戦士の忠誠 | 佐々木一雄 | 皇軍発行所 | ||
支那事変忠烈美談 第一輯 | 大日向すず | 守山書房 | ||
支那事変忠烈の皇軍 | 野崎圭介 | 二松堂書店 | ||
支那事変と皇国の使命 | 加治木文男 編 | 大日本愛国主義団 | ||
支那事変と国際情勢 | 松本忠雄 述 | 中野館書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098810 | 昭和13 |
支那事変と国際関係に就きて 支那事変下の戦時財政経済に就きて | 松本忠雄 中村三之亟 | 帝国在郷軍人会 | ||
支那事変と世界戦争の危機 | 長島隆二 | 共盟閣 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031493 | 昭和12 |
支那事変と東亜の将来 | 佐藤清勝 | 春秋社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1177277 | 昭和7 |
支那事変と東亜興隆 | 山川智応 講述 | 信人社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275443 | 昭和14 |
支那事変と日清戦争 | 小泉信三 | 慶応出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1919110 | 昭和12 |
支那事変と無敵皇軍 | 宇都宮謙 編 | 日本歴史研究会 | ||
支那事変と列国の論調 | 姫野徳一 | 日支問題研究会 | ||
支那事変と列強の動向 | 大高二郎 | 日本青年外交協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268076 | 昭和13 |
支那事変と列国の論調 第二輯 | 姫野徳一 | 日支問題研究会 | ||
支那事変とローマ教皇庁 | 岡延右衛門 | 栄光社 | ||
支那事変と我国民之覚悟 | 大谷光瑞 | 大乗社東京支部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447600 | 昭和6 |
支那事変と我等の郷土 第一輯 | 田中富士夫 | 出征将士事跡編纂会 | ||
支那事変と吾等の覚悟 | 東邦国策同志会 | 東邦国策同志会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108893 | 昭和12 |
支那事変に於ける 帝国海軍の行動. 其の2 | 海軍省 海軍軍事普及部 編 | 海軍省 海軍軍事普及部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462420 | 昭和14 |
支那事変に於ける 帝国海軍の行動. 其の3 | 海軍省 海軍軍事普及部 編 | 海軍省 海軍軍事普及部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462426 | 昭和15 |
支那事変に於ける 敵の戦場思想工作の一観察 | 教育総監部 編 | 教育総監部 | ||
支那事変の意義 | 作田荘一 | 国民精神文化研究所 | ||
支那事変のお話 | 小学課外読物研究会編 | 小学課外読物研究会 | ||
支那事変の結末を如何にすべきか | 相馬昌三 | 庄司新二 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1436989 | 昭和14 |
支那事変の前途は悲観か楽観か | 野依秀市 | 秀文閣書房 | ||
支那事変の認識と国民の覚悟 | 西脇健治郎 | 積善館 | ||
支那事変の歴史性 | 歴史教育研究会編 | 四海書房 | ||
支那事変報国美談. 輝く忠誠第6輯 | 海軍軍事普及部 編纂 | 海軍協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1094265 | 昭和13 |
支那事変報国美談. 第1輯 | 海軍軍事普及部 編纂 | 海軍協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097048 | 昭和12 |
支那事変報国美談. 第5輯 | 海軍省 海軍軍事普及部 編 | 海軍省 海軍軍事普及部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1092725 | 昭和13 |
支那事変報国美談. 第8輯 | 海軍省 海軍軍事普及部 編 | 海軍省 海軍軍事普及部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255325 | 昭和13 |
支那事変報国美談 第9輯 | 海軍省 海軍軍事普及部 編 | 海軍省 海軍軍事普及部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255332 | 昭和13 |
支那事変北満討匪紀州精華 忠勇列伝 第一巻 | 河野九民 | 紀州精華顕彰会 | ||
支那事変臨時派遣軍記念写真帖 | 斎藤悦三 編 | 中国新聞社 | ||
支那事変を語る | 鈴木嘉一 述 | 国策研究会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1096415 | 昭和13 |
上海激戦十日間 | 海軍省記者倶楽部 編 | 揚子江社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255555 | 昭和14 |
蒋介石氏に告ぐ | 伊東阪二 | 新東洋社 | ||
蒋介石よ何処へ行く : 断末魔の支那 | 小林騏一郎 | テンセン社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1277983 | 昭和13 |
小学生と支那事変 貯蓄債券 第八輯 | 日本勧業銀行 国民貯蓄勧奨部 | 日本勧業銀行 国民貯蓄勧奨部 | ||
昭和十二・十三年支那事変 | 風光社印刷所 | 風光社印刷所 | ||
スターリンと蒋介石 | 赤木洋三 | 城西出版社 | ||
聖戦五周年 : 支那事変から大東亜戦争へ | 大日本興亜同盟 編 | 大日本興亜同盟 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1157328 | 昭和17 |
青年学徒と支那事変 | 松本圭祐 | 松本圭祐 | ||
世界政治と支那事変 | 具島兼三郎 | 白揚社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268203 | 昭和15 |
全面和平への道 汪兆銘 | 田村真作 編 | 改造社 | ||
大東亜戦下の支那事変 | 文化奉公会 編 | モダン日本社 | ||
中国国民党と汪兆銘コース | 東亜問題調査会 編 | 朝日新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1217844 | 昭和14 |
督戦隊 列国記敗戦 | 別院一郎 | 潮文閣 | ||
南京城 | 山本和夫 | 六芸社 | ||
南京偵緝隊 | 清水国治 | 東光堂 | ||
日支事変をめぐる世界の動き | 稲原勝治 | 高山書院 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1441751 | 昭和12 |
日支事変美談と帝国の国防 | 国際聯合通信社 編 | 国際聯合通信社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908858 | 昭和9 |
日支事変の次に来るもの 日英戦はん乎 | 小林騏一郎 | 内外出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438795 | 昭和12 |
日支事変経済史 | 神永文三 | 議会政治社 | ||
日支事変写真帖 | 加島謙次 | 白星社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1191588 | 昭和6 |
日支事変写真帳前編 | 齊藤与次郎 編 | 明治天皇聖徳奉賛会 | ||
日支事変と支那国情の実相 | 加藤湘南 | 歴山堂 | ||
日支事変と次に来るもの | 武藤貞一 | 新潮社 | ||
日支事変と次の日〇戦争 | 神田計造 | 新文社 | ||
日支事変の全貌と対英問題 | 原田政治 | 大中社出版部 | ||
日本精神の考察 支那事変の経過と我国際関係 | 谷本 富 述 長岡克暁 述 | 京都経済会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099221 | 昭和12 |
敗走千里、鉄血*、海戦目録、 南京空襲、野戦郵便局 | 陳登元、猪熊敬一郎 小笠原長生、千田貞敏 木村秋生 | 潮文閣 | ||
北支事変: 支那!抗日戦闘実力はこれだ | 伊藤秀雄 | 雄飛閣 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107074 | 昭和12 |
北支事変誌 銃後の護り | 久志本清士 | 渋谷印刷社 | ||
北支事変と支那の真相 | 井上謙吉 | モナス | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257689 | 昭和12 |
北支事変の真相と日支関係諸条約 | 高田 功 | 亜細亜研究会 | ||
歴史に輝く支那事変物語 | 大毎こども会 | 盛光社 |
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