二・二六事件と中国の西安事件でわが国が戦争に引き込まれる準備が整った

戦争と共産主義

 昭和十年(1935年)七月から八月にかけて第七回コミンテルン大会が開催されたが、この大会の後でわが国と支那で起こった事件を調べてみると、不可解な事件や重大な出来事が相次いでいることに気が付く。これらの事件は、この大会で決議された内容と無関係であるとはとても思えない。

第七回コミンテルン大会後の支那の動き

『列国に於ける共産主義運動 上 』より

 先に支那側の出来事から見て行こう。
 まず、第七回コミンテルン大会で反ファシズムを最優先課題として多様な勢力と強調しようとする人民戦線戦術が採択され、さらにわが国及びドイツ、ポーランドが赤化の重点対象国とされ、わが国の赤化のために支那を重用することなどが決められている。この会議における「日本及び支那に関する決議」の内容については満州国外交部が刊行した『東亜政情 第三号』で誰でも確認することが出来る。

 ドイツ及びポーランド並び日本に対し力を集中することは、コミンテルンの再重大なる戦術なり。…中略
 支那共産党は民族解放の戦線を拡大し全民族をこれに誘致し、以て日本その他帝国主義者の侵略を断乎排撃すべし。…中略
 共産主義者は新世界戦争が…勃発することあらば、反戦分子をして平和闘争対ファッショ国内戦争、対ブルジョア戦争に転向せしめんと努力するものなり。…
『東亜政情 第三号』p.26~27

 その流れを受けて、駐コミンテルン中国共産党代表団が、中国共産党と中華ソビエト共和国中央政府が共同で日本の中国進出に対抗することを求める「八・一宣言」を発表した。

蒋介石 Wikipediaより

 その当時、中国国民党は反共主義者である蒋介石が率いており、蒋介石は日本に対しては宥和的な姿勢で臨みつつも、共産党に対しては激しい攻撃を加えていた。そのために多くの戦死者が出ていた共産党軍は、第七回コミンテルン大会の前年の一九三四年十月に瑞金ずいきんから脱出してソ連国境に近い延安えんあんに逃れたのだが、この時も蒋介石軍に追撃されて六万五千人もの兵士を失っている。
 蒋介石は「八・一宣言」を無視してさらに延安への攻撃を図り、共産党軍が壊滅的状態になるかと思いきや、ここで「西安事件」が起きて事態が一変している。

「西安事件」とは一九三六年十二月十二日に西安で張学良らによって蒋介石が拉致監禁されて内戦の停止・政治犯の釈放などを要求した事件である。当初、蒋介石は張学良らの要求を強硬な態度で拒絶したのだが、共産党の周恩来らが西安入りして蒋介石らと話し合いがもたれてから、蒋介石の態度が急変する。
 翌年七月七日に盧溝橋事件がおこり支那事変に突入すると、国民政府は中共掃討を放棄し、第二次国共合作が成立して、抗日全面戦争に進んでいく流れだ。

 蒋介石監禁の報を受けた当初、中国共産党は蒋介石殺害を検討したようだが、スターリンからは「蒋介石を釈放しなければコミンテルンを除名する」と恫喝されて、中国共産党は国民党と手を組んで(「国共合作」)抗日戦を継続することとなった。どうやらスターリンは、早期に支那の内戦を終焉させて鉾先を日本に向けさせねことで、日本の武力がソ連に向かうことを回避させるという思惑が存在していたようだ。
 拉致監禁された蒋介石に対して周恩来が何を話したのかについては、記録が何もなく、本人も死ぬまで語らなかったために今も不明なままである。
 ところで、もし「西安事件」が起こらなかったら中国共産党はどうなっていただろうか。Wikipediaによると 当時蒋介石に近かった文学者、外交官の胡適は「西安事変がなければ共産党はほどなく消滅していたであろう。・・西安事変が我々の国家に与えた損失は取り返しのつかないものだった」と述べているが、それほどこの事件は絶妙なタイミングで起こっているのだ。

大会後のわが国の動き

 次にわが国の出来事を見てみよう。
 第七回コミンテルン大会の翌年の昭和十一年(1936年)に二・二六事件が起こり、昭和十二年(1937年)七月に盧溝橋事件がおこり、同じ月に通州で日本人居留民が大量に虐殺される事件が起こっている(通州事件)
 またその年の十二月に日本軍が南京を占領するが、この時に日本軍による大虐殺があったかなかったかで今も議論が続けられている。南京占領についてはいずれこのブログで書く予定だが、日本と支那との争いを泥沼化させることがコミンテルンの戦略であったという流れの中で見ることが必要であると考えている。
 また、我が国の教科書や通史には「南京大虐殺」は載せても「通州事件」を載せることがないのだが、「通州事件」を載せないというのは教科書記述としてはかなりバランスを欠くものだと思う。通州事件については今ではWikipediaなどで情報を得ることができるが、このような残虐な方法で人を殺めるのは卑劣な挑発行為であると誰でも思うのではないだろうか。
 今回は二つの虐殺事件はこの程度にして、「二・二六事件」について振り返ってみることにする。

二・二六事件

二・二六事件叛乱軍将兵 Wikipediaより

 二・二六事件については『もう一度読む山川日本史』にはこう記述されている。

…軍部はしだいに政治的発言権を強め、日本は、ワシントン海軍軍縮条約を廃棄し、ロンドン海軍軍縮会議も脱退して、着々と軍備拡張をすすめた。

 このころ、陸軍の内部では皇道派と統制派の派閥的対立もからんで緊張が高まりつつあったが、1936年 (昭和11)2月26日、皇道派の急進的な陸軍青年将校が、千数百名の兵士を率いて反乱をおこし、内大臣斉藤実・大蔵大臣高橋是清ら要人を殺害し、首相官邸などを占拠した。これが二・二六事件である。戒厳令が出され、反乱はまもなく鎮圧されたが、陸軍当局はその指導者を処刑し、陸軍部内の統制を確立するとともに、事件後の広田弘毅内閣に圧力をかけて、軍部大臣現役武官制を復活させるなど、政治の主導権をにぎっていった。
『もう一度読む山川日本史』山川出版社 2009年刊 p.299~300

 事件の経緯についてはこれ以上詳しく書くつもりはないが、この事件によって軍部が何故政治の主導権を握っていったかがこの教科書では良くわからない。
 倉前盛通氏の『悪の論理』にはこの点について次のように記されている。

 これは同じ年に発生した中国の西安事変と、同じ目的を持っていた。

 当時の陸軍内部は「蒋介石と和解し、ソ連に対抗するための国力の充実をはかろう」という派と、「対ソ作戦は棚上げにして、まず、シナ大陸を支配しよう」という二つの派に大別されていた。皇道派、統制派、中間派、いろいろな名称があり、一人一人の派閥関係には不明な点もあるが、いずれにせよ、二・二六事件によって「蒋介石と和解し、対ソ作戦の準備に力を入れよう」と主張する人々はほとんど陸軍から排除され「支那大陸への侵攻」を考えるグループによって陸軍の主導権が握られたことは疑いを入れない。ここにも、日中を戦わせようとする米ソ双方の巧妙きわまる陰謀工作が伏在していたと筆者は信じている。

こうしてみると、昭和十年の第七回コミンテルン大会、昭和十一年の二・二六事件と西安事変、昭和十二年の日支事変勃発(盧溝橋事件)の四者の間には密接不離の脈絡があることがわかるであろう。

 昭和十年代に、この点をいうことはタブーであった。うっかり、こんなことをいえば、『皇軍を侮辱する気か』と憲兵隊に引っ張られることは明らかであった。
 敗戦後も、この点を指摘することはタブーであった。これを言うことは『日本帝国主義の罪科を、米ソ両国と中国共産党に着せようとする反動分子の詭弁』として袋叩きに合うことは必至だったからである。
倉前盛通 著『悪の論理』角川文庫 p.64~65

 倉前氏が書いている「蒋介石と和解し、対ソ作戦の準備に力を入れよう」と主張する人々は「皇道派」で、「支那大陸への侵攻」を考えるグループは「統制派」と考えて良いが、二・二六事件を機に皇道派将校は予備役に追いやられて統制派が実権を握り、さらに退役した皇道派の将校が陸軍大臣になることを阻むべく「軍部大臣現役武官制」が復活された後、特に陸軍は政治力を強めていくことになる。
 統制派が実権を握るということは支那大陸に侵攻するということであり、軍部大臣現役武官制が復活したことにより、陸軍に非協力的な内閣を倒閣させることが可能となった。そのために、軍隊が暴走した場合に内閣がその動きを止めることは困難となる
 倉前氏が指摘しているのは、わが国と支那とが同じ時期に、お互いが相戦う方向に突き進んだことに何らかの工作があったのではないかというのだが、確かにそれぞれの国で、コミンテルンにとって都合のいい勢力が政治の実権を握っており、両国の戦いが始まれば泥沼化していく準備が整ったというのは、とても偶然だとは思えないのだ。

叛乱将校らの獄中手記

 三田村武夫氏の『大東亜戦争とスターリンの謀略』に、二・二六事件で被告となった叛乱将校らの獄中手記がいくつか紹介されているが、これを読むと、叛乱分子は、目の前の戦いに勝つことよりも、わが国の国家改造を第一に考えていたようである。現代人のイメージからすれば少なくとも右翼ではなく、反ソ・反共とは言いながら左翼の考え方に近いところがある。

二・二六事件で兵士を率いる栗原中尉(中央のマント姿)Wikipediaより

例えば栗原中尉は次のように書いている。

 多くの同志にとり極めて不幸なりし二・二六事件は…大国民運動の前衛戦となりしことを自負し、以て自ら慰むるものなり。…事件以後は、青年将校の運動より、下士官、兵を一丸とせる大運動へ発展せざるべからず。…中略…

 今日本を誤りつつあるは、軍閥と官僚だ、その二者を殲滅せば失える財閥は、自ら崩壊せざるを得ざるべく、財閥の背景なくして売国的政党の存立するなし。昭和維新も、兵卒と農民と労働者との力を以て軍閥、官僚、政党を粉砕せざる間は招来し得ざるものと覚悟せざるべからず
 三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』自由社 p.123~124

注目すべきは、新井元陸軍中尉の文章だ。

 国家改造を夢見ながらも、青年将校と幕僚との間には、十月事件以降溝ができた。続いて起こった血盟団や昭和七年の五・一五事件は、いづれも青年将校の流れをくむものであつたが、幕僚を主体とする軍はこの機会を巧みにつかんで、ついに政党政治に終止符を打つた。政権把握の軍の野望達成には、最早国内テロの必要はなくなつた戦争が開始されれば、必然的に軍の権力は拡大する。望むのは戦争だけである。国際的進出―対外侵略―と併行し、その企画統制の下に国家改造を断行する。これが永田鐡山を首領とする統制派幕僚の政策であった

 政党政治が崩壊しても、それだけでは青年将校の国家改造運動は、到底おさまる筈がなかつた。昭和三年来全国を襲つた深刻な不景気、特に中小商工業社や、農、山、漁村の困窮を最も敏感に感じ取つたのは、兵と直接接触する青年将校である。腐敗した政党と貪欲な財閥を打倒し、悩む下層階級を救おうといふのが、かれらを貫く思想であつた。…中でも東北地方の冷害で、満州に出征した兵の家庭では、姉妹が娼婦に売られる悲劇さえ起きていた。この社会矛盾の解決なしには、青年将校の間に広まつた国家改造の機運はおさまる道理がなかつた
同上書 p.124~125

 新井がこの事件によって軍の政権掌握の野望のために国内テロは不要となったと言っているのは注目して良い。この文章から、この事件によって統制派が実権を掌握したことでわが国は戦争に突き進んで、敗戦革命による「国家改造」を断行するというシナリオが垣間見えるのである。
 ところで新井中尉は二・二六事件の叛乱者としてではなく、司令官軍隊を率い故なく配置の地を離れたために、禁固六年を言い渡された人物である。

敗戦革命論と軍の暴走

 このブログで何度かレーニンの「敗戦革命論」のことを書いたが、第六回コミンテルン大会の決議の一部を再度引用すると

 帝国主義戦争が勃発した場合における共産主義者の政治綱領は、
(1) 自国政府の敗北を助成すること
(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること
(3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能であるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること…中略…
共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、これを内部から崩壊せしめることに努力しなければならない
同上書 p.39~40

 新井中尉が、「青年将校の間に…国家改造の機運がおさまる道理がなかった」と書いている通り、このレーニンの「敗戦革命論」に刺激されて、軍隊を「内部から崩壊せしめる」ために入隊した隊員が少なからず存在し、その中で兵を率いる立場になった者が相当数存在していたことは確実だ。そして彼らに手渡された兵器は、敵国から国を守るためよりも、「国家改造」のためと称して、何度かわが国の政治家や経済人や軍閥に銃口が向けられたということではなかったか。
 二・二六事件を機に統制派が陸軍の実権を掌握し、その後軍部大臣現役武官制を利用して陸軍に非協力的な内閣を倒閣するなど政治色を増していき、内閣が軍をコントロールすることが困難になっていったもし軍が暴走した場合は、大日本帝国憲法第十一条により陸海軍の統帥権を持つ天皇しか止めることができなかったのである。
 昭和天皇は、広島・長崎に原爆が投下されソ連が我が国への侵攻を開始した極めて適切なタイミングで終戦のご聖断を下され、わが国が共産主義勢力によって国家を分断される危機を救われたのだが、このことはもっと高く評価されて良いことだと思う。終戦時のことはいずれこのブログで改めて書く予定である。

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