国会図書館デジタルコレクション

総理大臣を三名も輩出した戦前の報知新聞社の本を読む~~『大隈侯昔日譚』、『満州開拓戦士』

戦前の報知新聞社は人材の宝庫であった 「報知新聞社」は『スポーツ報知』を発行している新聞社だが、かつての『報知新聞』は多くの読者の支持を得た有力紙で、この新聞社から内閣総理大臣が三名(大隈重信、原敬、犬養毅)も出ているということは知らなかっ...
土一揆と応仁の乱

なぜ室町時代中期に土一揆が頻発したのか~~土一揆と応仁の乱1

「シュペーラー極小期」と呼ばれる1420~1530年頃の太陽活動が低下した時期は、わが国においては応仁の乱から戦国時代にかけての時代を含んでおり、この時代に各地で飢饉が発生し、土一揆が起こったり隣国同士が戦うなど、争いごとが頻発した時代である。1428年の正長の土一揆、1443年の嘉吉の大飢饉のあと、1460年の寛正の大飢饉では餓死者が鴨川にあふれて流れをふさぐほどであったことが記されている。
国会図書館デジタルコレクション

戦前・戦中に出版された読売新聞社の『支那事変実記』、『海戦 : 大東亜海戦記』を読む

2020年の新聞の発行部数ランキングでは読売新聞は776万部で第1位であるが、Wikipediaによると1938年の朝刊発行部数は100万部、1944年は191万部であったという。読売新聞はどちらかというと戦後大幅に発行部数を伸ばした新聞社...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

徳島県が名東県と名称を変えたのち高知県に吸収され、その後再設置されるまで~~四国2

庚午事変の処分が終わり、明治四年十一月の第一次府県統合で徳島県は名東県に名称が変更され、二年後には香川県を併合した。しかしながら明治九年八月に名東県は廃止され、阿波国は高知県へ、淡路国は兵庫県に併合された。この措置によって阿波国人の受けた不利益は、言語に絶するものがあった。
国会図書館デジタルコレクション

新聞社・通信社が戦前・戦中に発行した写真集~~『関東震災画報』『時局及排日ポスター写真帖』『支那事変写真帖』

戦前・戦中に新聞社が多くの写真集を出版している。新聞社のカメラマンが国内外で撮影したものがほとんどだと思うのだが、言葉で書くよりも現場で撮影された一枚の写真の方がはるかに説得力があるので、時々覗いていい写真があればブログの記事に利用させて頂...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

徳島藩蜂須賀家が治めていた淡路島がなぜ兵庫県に移されたのか~~四国1

明治政府にとって難治県とされた徳島県 上の図は四国の県の変遷をまとめたものだが、何度も県の統廃合が行われていて結構ややこしい。「淡路国」というのは現在の「淡路島」を意味するが、明治の初期に於いては、兵庫県ではなく徳島県の一部であったことや、...
国会図書館デジタルコレクション

新聞社で二番目にGHQ焚書点数の多い毎日新聞社の本~~『日本へ寄せる書』、『国際戦を呼ぶ爆弾 支那』

戦前・戦中の毎日新聞社 GHQが最初に焚書処分にした10冊のことを以前このブログで書いたが、そのうちの九点が毎日新聞社が発行した書籍であった。 前回の記事で書いた通り、戦前戦中に新聞社が発行した本のうちもっともGHQ焚書点数が多いのは朝日新...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

鹿児島県に合併されてすぐ西南の役に巻き込まれた宮崎県の再設置運動

宮崎県の誕生 上の図は何度か紹介させて頂いた明治十二年(1879年)の日本地図だが、九州の南部に宮崎県が存在していなかったことがわかる。今回は宮崎県が鹿児島県に吸収合併されたのち復活に至るまでの経緯について書くこととしたい。 宮崎県は、七世...
国会図書館デジタルコレクション

朝日新聞社が、戦前・戦中に刊行した本~~『植民地の再分割』『米国への判決』『陸軍』

著作権保護期間終了しても多くの書籍が国会図書館でネット非公開 一昔前の大手新聞社は世界各地に特派員を送り込んで様々な情報を集め、今よりもはるかに質の高い記事を載せていた。本屋には、大手新聞社が発行した国際情勢や時事問題に関する解説書が平台に...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

大久保利通暗殺事件と石川県の三分割 ~~北陸3

明治11年5月に、石川県の不平士族らが大久保利通を襲い殺害する事件が起き、その二か月後に町村編制法・府県会規則・地方税規則(「三新法」)が公布され、府県会の選挙が行われることとなった。その後各地で分県に関する議論に火が付き、14年に石川県から福井県が分離することが決まり、16年には富山県が分離することが決定した。
国会図書館デジタルコレクション

GHQが最も嫌った野依秀市の著した政権・大手マスコミ批判の書

昭和14年刊『支那事変の前途は悲観か楽観か』 前回このカテゴリーで、GHQ焚書点数の最も多い野依秀市の軍部批判の論文を紹介したが、今回は野依の著作の中から、政権批判や大手マスコミ批判の論文を紹介したい。 最初に紹介するのは『支那事変の前途は...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

石川県が明治九年に日本最大の県となった事情~~北陸2

明治九年に全国規模で大規模な府県統合が二度にわたり行われ、石川県は四月に新川県(現在の富山県)を併合し、八月には敦賀県(現在の福井県)の一部を合併して、旧石高二百二十万石の日本最大の県となっている。旧石川県のみならず、新川県(富山県)も敦賀県もいろいろ問題の多い県であり、それまでに大きな文化破壊が行われ、後には暴動が起きて多くの者が処刑された歴史がある。
国会図書館デジタルコレクション

GHQ焚書点数第1位の野依秀市が著した軍部批判の書

国会図書館でデジタル化されていても、ほとんどネット公開されていない野依の著作 野依秀市は、雑誌『実業之世界』、日刊紙『帝都日日新聞』、仏教雑誌『真宗の世界』等を創刊・運営し、明治・大正・昭和の三つの時代にわたって活躍したジャーナリストで、戦...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

金沢県を石川県に改称し県庁を金沢から美川町に移した事情~~北陸1

明治四年七月の廃藩置県では金沢藩は金沢県、大聖寺藩は大聖寺県となり、十一月二十日に両県は廃止され金沢県が置かれ、能登半島のある北部を分離して七尾県が新たに設置されたのだか、翌年二月二日には金沢県は石川県と県名を変え、五月五日に県庁を石川郡美川町に移している。なぜ金沢から海辺の小さな町に移されたのかを調べると不平士族の問題に突き当たる。
国会図書館デジタルコレクション

松岡洋右が若い世代に語った講演集『少年に語る』、『青年よ起て』

松岡洋右は明治十三年(1880年)に廻船問屋の四男として山口県に生まれたが、十一歳の時に父親が事業に失敗して破産してしまい、十四歳の時にアメリカに渡り、働きながら学校に通った。彼は著書に「アメリカでルンペンをやりました」と書いているが、早朝...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

鳥取県の再設置の経緯と北海道開拓に送り込まれた鳥取士族たち~~鳥取県再設置2

明治九年の九月に鳥取県は島根県に併合されたのだが、藩政時代に於いて山陰で最大の藩は鳥取藩であり、格下の松江藩に吸収されたことは鳥取県人にとって屈辱的であった。併合後は鳥取の経済は衰退し、商家・士族の倒産が続出し、足立長郷が共斃社を設立し、鳥取県復県を内務省に建議したが、過激な活動をしていた彼らの案は受け入れられず、岡崎平内が愛護会を結成し、鳥取県再置を山縣有朋に嘆願した。
国会図書館デジタルコレクション

大川周明の『日本的言行』、『日本文明史』を読む

昭和八年刊『日本的言行』 前回の「国立国会図書館デジタルコレクション」で長野朗の著作を紹介したのだが、今回は大川周明の著作を紹介させていただきたい。大川周明 大川は民間人として唯一東京裁判のA級戦犯として起訴されたが、裁判終了後に存命してい...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

鳥取県が消滅し、鳥取城が破壊され、鳥取最大の祭も失われた~~鳥取県再設置1

旧藩時代において鳥取藩は山陰地方で最大の藩であったのだが、明治九年九月六日に、格下であったはずの島根県の県令から鳥取県庁に宛てて「今般鳥取県は本県と合併される」旨の布告が届いたのだが、主に鳥取の士族はこの命令に憤った。それから五年間にわたり「鳥取県」が地図から消え、その間に鳥取城が破壊された。
長野朗

長野朗の『支那の真相』、『我等世界に何を学ぶ可き乎』を読む

このブログで長野朗(ながの あきら)の著書をいくつか紹介させて頂いたが、長野は戦前の代表的な中国通で多くの著書を残している。彼の著書のうち十八点がGHQ焚書図書となっており、没収された本の多さでは三番目にランクされる人物である。 今回はGH...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

奈良県が消滅し再設置されるまでの経緯

古い貴重な文化財が数多く残されている奈良県は、明治9年に堺県に編入されて消滅し、さらに14年には堺県が大阪府に編入されてしまった。その後旧奈良県住民にとって重要な予算が削られることが相次いで、奈良県再設置運動が動き出す。しかし内務省で却下され、その後太政官、元老院に提出した請願書も認められず、明治20年の4度目の請願書でようやく再設置が決定した。
国会図書館デジタルコレクション

GHQが徹底的に焚書にした歴史家・仲小路彰の「世界興廃大戦史シリーズ」など

戦前・戦中に「世界興廃大戦史」全百二十一巻という壮大な著述計画を立てた仲小路彰という歴史家がいる。全巻の内訳は日本戦史が全三十巻、西洋戦史が四十二巻、東洋戦史が三十二巻、世界戦史が四巻、総観篇が十巻、別冊が三巻となっている。仲小路彰 このシ...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

廃藩置県で政府は県名や県庁所在地をどういう基準で決めたのか

明治四年七月に廃藩置県が行われた時は、府県の数が全部で三府三百二県であったのだが、その後わずか一年で八割近い県が消滅した。政府はどういう基準で新しい県名を決めたのかについて、宮武外骨が『府藩県制史』で朝敵藩・曖昧藩は従来の藩名をそのまま県名としなかったと書いているが、例外が少なくない。
国会図書館デジタルコレクション

戦前・戦中に出版されたわが国の外交に関する本を読む~~『日英外交裏面史』、『日支交渉史話』

「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている、外交に関する本には興味深いことが書かれている本が多い。 最初に紹介する本は、GHQ焚書の柴田俊三 著『日英外交裏面史』の一節だが、戦後の通史などでは絶対に採りあげないことが記され...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

廃藩置県のような大改革が平穏無事に行われたのはなぜか

政府としては、版籍奉還後も実質的に存続していた封建的藩体制を廃絶させると同時に、大規模な反乱を鎮圧できるだけの兵力を中央に整えたかったのだが、政府軍を編成するには薩長の力に頼るしかなかった。薩摩藩の島津久光は廃藩置県に反対であったが、上京した西郷隆盛はそれに賛同し、不平士族による反乱の鎮圧を引き受けることによって廃藩置県を進める体制が整ったのである。
国会図書館デジタルコレクション

北方領土に関する書籍の多くがGHQによって焚書にされている~~『北進日本人』『守れ!権益 北方の生命線』

千島や樺太に関する書物を「国立国会図書館デジタルコレクション」で探していると、思った以上に多くの点数がヒットする。いくつかの本を拾って実際に読んでみると、戦後になってからはあまり語られてこなかったロシアの脅威が記されている本が少なからずあり...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

明治二年から四年にかけての明治政府はいつ崩壊してもおかしくなかった~~廃藩置県への道

版籍奉還後の鹿児島藩、山口藩の混乱 前回記事で、明治二年(1869年)に行われた版籍奉還のことを書いた。伊藤博文や大隈重信は、これを機に封建的支配体制を一気に解体し、郡県制を布いて中央の統制権を高めることを望んだのだが、当時の情勢ではそのよ...
国会図書館デジタルコレクション

戦前戦中に出版された沖縄に関する書籍を読む~~『沖縄よ何処へ : 琉球史物語』『ペルリ提督琉球訪問記』

沖縄は、江戸時代以来薩摩藩の支配下にありながら、清国にも朝貢していたことが教科書で書かれていたが、もう少し詳しく知りたいと思って「国立国会図書館デジタルコレクション」で沖縄に関する書籍を探してみた。伊波普猷 最初に紹介したいのは沖縄那覇市出...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

版籍奉還で封建制度を廃滅させようと考えた伊藤博文と大隈重信

木戸孝允は藩主・毛利敬親に面謁して版籍奉還を急ぐべきことを説き、さらに大久保利通等を説得して、薩長土肥の四藩が率先して版籍奉還を上奏することで話がまとまった。四藩のあと各藩から奉還上表が提出されたのち版籍奉還が勅許され、旧藩主をそのまま藩知事としたが、政府によって任命される地方長官と位置付け、旧藩主と旧藩士との主従関係が建ち切られたことに意義があった。
国会図書館デジタルコレクション

朝鮮半島に関する古い記録を読む~~『三十年前の朝鮮』『最近朝鮮事情』

「国立国会図書館デジタルコレクション」で、朝鮮半島の古い記録を探してみた。今読んでも結構面白い本として、最初に『三十年前の朝鮮』という本を紹介したい。イザベラ・バード 著者は今日ではイザベラ・バードとして良く知られているが、彼女は1894年...
東京奠都とその影響

京都は東京奠都のあとの衰退をいかに乗り越えたか~~東京奠都4

首都の機能が東京に移転してしまえば、皇族や公卿や各藩の屋敷の大半が空家となり、多くの人々が、京都を去ることにより人口が急激に減少し、武家や宮家や公卿が贔屓にしていた店や寺社は収入が激減して京都の賑わいは消え、荒廃していくことにならざるを得なかった。槇村正直は、明治二年にわが国最初の学区制小学校64校を開校させたほか、京都復興のために尽力した。
国会図書館デジタルコレクション

戦後の歴史書に描かれない真実~~外国から仕掛けられたスパイ、諜報、情報戦、宣伝戦など

「戦争」というとすぐに武力衝突を連想してしまうところだが、実際には武器を用いずに相手国を混乱させたり、消耗させたりする工作や、情報収集が長期間にわたり行われており、平和な時代においても昔からそのような活動は行われてきたし、今日に於いても同様...
東京奠都とその影響

東京に都を移さなければクーデターが起きてもおかしくなかった~~東京奠都3

江戸城開城後旧幕臣は各地に移転し、各藩の大名屋敷も空家となり、市街の商店等も店を畳んで、江戸は荒廃していった。市民の生活は苦しくなるばかりで、薩長二藩を伐って政権を奪取しようと企てる者が全国各地にいて、皇族の中にも賀陽宮朝彦親王は薩長政府を打倒しようと画策していたことが露見し、仲間と共に捕えられた。当時の国内情勢を考えると東京に都を移すことは必要なことであった。
国会図書館デジタルコレクション

戦前・戦中の知識人が若い世代に伝えたかった中国のことなど~~児童向け、青少年向けのシリーズ本を読む

戦前、戦中に出版された本は、児童書や青少年向けに著されたものでも結構レベルの高い本が多い。以前このブログで歴史シリーズや偉人伝シリーズを紹介したが、今回はそれ以外のジャンルで、児童向け青少年向けに出版されたシリーズ本などを集めてみた。 今回...
東京奠都とその影響

東京遷都を警戒したが最後は政府に騙された京都の人々~~東京奠都2

明治二年に再び天皇が御東幸することが決まると、京都市民らが、東京遷都の決行であると考えて中止を請願したのだが、二度目の御東幸は強行され、九月には皇后の東京行啓が決定された。京都の人々は再び動揺し行啓の中止を嘆願したが、大嘗会でまた天皇が還幸されると説得されている。しかし、大嘗会は明治四年に東京で行われ、京都の人々は完全に政府に騙されたと言える。
中国関連

GHQ焚書に描かれた、支那事変(日中戦争)における支那軍の戦い方

当時の支那軍の兵力は世界最大規模であった 小学生であった頃に実家の寺の世話方さんから少しだけ戦争の話を聞いたことがある。5分程度の短い話だったと思うが、実際に支那事変に行かれた方で「南京大虐殺なんかなかった。新聞は嘘を書いている」「支那兵は...
東京奠都とその影響

明治新政府が戊辰戦争の最中に江戸を都にすることを決めた経緯~~東京奠都1

大久保利通は鳥羽伏見の戦いから三週間もたたない時期に、人心一新のために大阪遷都の建白をしたが、反対が多く決議されなかった。その後前島密らが江戸遷都論を唱えたが、江戸城が無血開城したのち江藤新平・大木喬任が江戸城を以て東京と定め、東西両京の間に鉄道を開通させよという案を提出し、この案が決議されている。明治天皇は「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を発したが、どこにも遷都の文字はない。
国会図書館デジタルコレクション

戦前・戦中に出版された時代別日本史シリーズ等

徳富猪一郎『近世日本国民史』シリーズ 戦前には日本史に関して多くのシリーズ本が出版されているようなので、どんな本が出ているかリストを作成しようと思い、国立国会図書館デジタルコレクションの検索機能を利用してネット公開されている本を拾い集めてみ...
キリスト教問題

明治六年に政府がキリスト教禁教の高札を撤去した経緯

明治政府は浦上の隠れキリシタン百余名を津和野藩などに移送させたのち、さらに明治二年十月に約三千人を捕えて、金沢以下十余藩に移している。各国公使は流罪の中止を強く主張し、政府内部の考え方も変化していった。明治四年に岩倉使節団が欧米視察に出たが行く先々でキリシタン流罪を非難され、今の考えでは、諸外国との条約交渉などができるはずがない事を認識した。
GHQ焚書

西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封』講義動画(無料)リスト

徳間書店の『GHQ焚書図書開封』シリーズ12巻は、西尾幹二氏がチャンネル桜で201回にわたる講義を進められながら刊行されていったのものだが、講義の動画については大半がネットで無料公開されている。しかしながら動画のタイトルは講義の何回目だけが記されているだけで、これではそれぞれの講義でどんなGHQ焚書を採りあげたかがわからないので、それらをリスト化してみました。
キリスト教問題

キリスト教禁止と教徒処分問題で諸外国から激しい抗議を受けた明治新政府

五榜の掲示 前回の「歴史ノート」で、慶応元年(1865年)に長崎の浦上村で大量の隠れキリシタンがフランスの宣教師により発見され、慶応三年(1867年)になって宣教師による教導が行われていたことが発覚し、六月に六十余人の信徒が捕えられたことを...
国会図書館デジタルコレクション

ネット公開されている歴史関連の児童書にGHQ焚書が少なくない~~「少年大日本史」「少年国史物語」など

ネットでいろんな情報が収集できるようになって、本の出版が減少することになることはやむを得ないが、小学生から中高生の時期に読ませたいような本の出版が減っていることは残念なことである。 昔は少年少女向けに様々なジャンルのシリーズ本が出版されてい...
キリスト教問題

幕末に大量の隠れキリシタンが長崎で出現した経緯と幕府の対応

江戸幕府は安政五年に五か国と修好通商条約を締結し、神奈川など五港の開港と居留地内における外国人の信仰の自由を認めて教会の建設が始まった。慶応元年に完成した長崎の天主堂に隠れキリシタンが訪ね、それ以来2年間にわたり宣教師との極秘の交流が続いたが、慶応三年に発覚し、信徒が大量に捕縛されたことから外交問題となる。
GHQ焚書

アメリカ人が記した真珠湾爆撃の記録~~ブレーククラーク『真珠湾』とハワイに関するGHQ焚書

GHQ焚書の中には外国人が著したものがかなり存在するのだが、当時ハワイにいて日本軍による真珠湾攻撃を目撃したアメリカ人の大学教授・ブレーク・クラークがこの攻撃の有様を記録した本がGHQによって没収処分されている。この本は、戦争たけなわの昭和...
廃仏毀釈・神仏分離

明治六年に軍の派遣を要請し、ようやく鎮圧された越前護法大一揆

明治政府は浄土真宗の強い地域では、寺院の統廃合は難しいことを悟り、明治五年に神祇省を廃し教部省を設置し、僧侶を教導職に起用して組織的な国民教化を推進しようとしたが、敦賀県に送り込んだ教部省の役人の発した言葉が僧侶・門徒を刺激し、大規模な一揆が発生している。
GHQ焚書

マレー、シンガポールに関するGHQ焚書を読む~~『昭南島』『昭南島の日章旗:マレー戦線従軍記録』

イギリスはなぜシンガポールに大要塞を築いたのか~~室賀信夫著『昭南島』 昭和十七年二月にシンガポールの戦いで日本軍が勝利したことにより日本による統治が始まり、シンガポールは「昭南島(しょうなんとう)」とその名を改められたのだが、昭和二十年に...
廃仏毀釈・神仏分離

明治政府の宗教政策に抵抗した浄土真宗の僧侶や門徒たち…大濱騒動のこと

浄土真宗はこれまで他教団からの迫害を受けながら熱烈な布教を続けてきた経緯から、寺と信者の結びつきは固く、『神仏分離令』が出た以降の教団の危機を僧侶とともに共有し、新政府の宗教政策に抵抗した歴史がある。三河でおきた大浜騒動についてまとめました。
欧米の植民地統治

ミャンマー(旧ビルマ)の歴史をGHQが封印した理由~~『ビルマ読本』

ミャンマーは、今年に入って国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問らを拘束したニュースが流れたが、この国はかつてビルマ国と呼ばれイギリスの植民地であった。 日中戦争で重慶の蒋介石政権を追い込むことができずにいた日本軍は、援蒋ルー...
廃仏毀釈・神仏分離

藩主自らが率先して廃仏毀釈を推進した苗木藩の事情

苗木藩の遠山家は一万石の譜代大名であったが、幕末期は幕府の要請により大阪警備や第二次長州征伐に兵を出し、藩主遠山友禄は若年寄を勤めて幕府に協力した。しかし鳥羽伏見の戦いの後、新政府の施策を率先して行うことでなんとかして生き延びようと考え、平田派の復古神道の考えを藩内に浸透させ、徹底的な廃仏毀釈を行った。
GHQ焚書

GHQが焚書にしたタイ国や山田長政について書いた書籍~~『タイ国通史』『泰国風物詩』

GHQが焚書にした本の中には、タイ国関連の書籍がいくつかある。タイ国はかつて「シャム(暹羅)」という国名が定着していたが、1939年にピブーン首相が国名をタイに変更し、1945年にセー二―内閣が再びシャムに戻したが、1949年に政権に返り咲...
滋賀

比叡山門前町として栄えた坂本と穴太衆

石垣施工の技術集団・穴太衆 滋賀県大津市の比叡山山麓に寺や城郭などの石垣施工を行った穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる技術者集団がいて、織豊時代以降その高い技術が買われ、安土城、彦根城、金沢城の石垣をはじめ、多くの城郭の石垣建築に携わったとさ...