前回はGHQによって焚書処分された支那事変(日中戦争)の写真集からいくつかの画像を紹介させていただいた。今回はその続きである。
昭和十二(1937年)年七月七日の盧溝橋事件のあと、支那兵によって日本兵が襲撃される事件が何度も繰り返され、七月二十九日には通州で約三千人の冀東防共自治政府の千数百名の保安部隊による襲撃を受け、無辜の日本人居留民の約七割が虐殺された事件(通州事件)が起きている。この事件が日本軍民に暴支膺懲の意識を植え付けることとなり、その後両軍の軍事衝突が支那の各地に及んだのだが、今回は上海と南京での戦いを中心にGHQが焚書処分した写真集の画像を紹介させていただく。
支那空軍による上海盲爆
通州事件のあとも支那兵による挑発行為が続き、日本政府は支那の治安悪化を受けて、日本人居留民約三万人を引き揚げる方針を決め、上海の港から日本に帰還する予定で八月九日には日本人が上海に集まっていた。しかしながらその日に上海海軍特別陸戦隊の大山中尉とほか一名が支那保安隊に虐殺される事件(大山事件)が起きている。そもそも租界地周辺は非武装地帯になっており、支那兵の駐留も許されず支那保安隊のライフル所持も許されていなかったのだが、大山中尉らはライフルと銃剣で見るも無残な状態で虐殺されていたのである。わが国は保安隊の撤退と防備施設の撤去を要請したのだが、南京の軍事委員会は逆に約三万の兵を集めて上海に駐留する日本軍の掃討を準備したという。

当時の上海には外国人居留地(租界)があり、多くの外国銀行や企業が進出していて、多数の外国人が租界に住んでいた。(上の画像の×印は支那空軍に爆撃されて多くの犠牲者が出たキャセイホテル(後述))

上海は「世界人種の展覧会場」とも言われた国際都市で、支那に権益を持つ各国は租界に住む自国居留民を守るために自国軍を駐留させていた。上の画像は米国陸戦隊バンドの上海行進、右下は米国陸戦隊が増員部隊の上海到着、左下はガーデンブリッジを警備している英国兵。
わが国の居留民は共同租界に居住していて、わが国も四千人程度の駐留兵が上海にいた。この程度の人数では到底支那軍と戦えないのだが、蒋介石はこの上海でわが国に対する戦闘を仕掛けたのである。Wikipediaによると、十七日時点の支那軍は約七万、日本軍は十九日時点で約六千三百だったという。
昭和十二年(1937年)八月十三日の午前に支那軍が日本軍陣地に気銃攻撃を仕掛けて小競り合いとなったが、夕刻には支那軍が西八字橋、済陽橋、柳営路橋を爆破の後砲撃を開始し、日本軍も応戦して戦闘が開始された。
そして十四日には上海上空に支那空軍が飛来し、日本海軍陸戦隊本部、総領事館、軍艦、市街地に爆弾を投下したのだが、我が高射砲や機関銃を浴びて一機が撃墜されると、敵機は共同租界、フランス人租界にも爆弾を投下して逃げていった。この爆撃で邦人だけでなく多数の支那人や外国人が犠牲になっている。
この空襲の二時間後には、爆撃の状況写真に「日本の飛行機によって爆破された光景」と説明書きされた宣伝ビラが大量に上海で配られていたことが昭和十五年に刊行された『支那知識普及講座 第3輯』にでているが、このような支那人の嘘宣伝に騙される国も実際にあったようである。
通説では支那機が租界地に爆弾を落としたのは誤爆ということになっているのだが、誤爆にしては大きな施設に命中しすぎている。もしかすると、蒋介石は初めから日本軍の仕業とするプロパガンダを世界に広めるつもりで、故意に外国人の施設や支那人の多い所を爆撃し、世界が日本軍を批難することを期待したのかもしれない。

左上の写真は爆撃されて穴があいたパレスホテルの屋根、真中の二枚は我が空軍に爆撃された支那機、左下は鉄道の爆破の跡、右下はキャセイホテルの惨状、右上は千里香アパートの惨状で、その右にこれらの写真の簡単な解説がある。
八月十四日支那機の盲爆は全く人道を無視したもので、バンド北京路に落ちたものは支那避難民多数を傷つけ、キャセイホテル玄関前に命中したものは死傷数百、また歓楽栄境大世界に落下したものは支那人死傷二百を出し、その無軌道振りを遺憾なく発揮した。
『支那事変聖戦写真史』より
これ以上被害を拡げるわけにはいかないと、日本軍機は十四日夜に杭州、広徳の敵飛行場を爆撃、翌未明にも杭州飛行場を爆撃した。わが国政府はこれまでの不拡大政策を見直し、十五日に動員令を出して上海派遣軍が編成し、松井石根大将がその司令官となった。
一方支那も十五日に全国総動員令を発令し、大本営を設置して蒋介石が陸海空三軍の総司令官となり、この日を境にして日支両国は全面戦争に突入することとなる。
かくしてわが国は、コミンテルンの指示に従った中国共産党が策謀し引き起こした事件に引っかかりながら、深みにはまって行くことになる。
南京攻略戦
上海を攻略した日本軍は首都南京を目指して進撃し、十二月初旬には南京を包囲し総攻撃の準備に着手した。九日に敵方に降伏勧告を発し、十日正午まで回答がなかったことを確認し午後一時に総攻撃が開始された。
各部隊は一斉に城門目がけて破竹の勢いで光華門、中山門、中華門、水西門を占拠し、海軍遡江部隊は下関沖に軍艦旗を翻し、陸海呼応して十三日完全に城内の掃蕩を完了した。

Wikipediaによると、南京死守を命令した蒋介石は十二月七日に南京を脱出し、南京防衛軍司令官の唐生智も、十二月十二日の中華門・光華門陥落数時間前に逃亡した。逃げ遅れた将兵は唯一の脱出口であった南京城西北の挹江門に殺到したが、門は閉じられており、城壁を乗り越えて脱出するしか方法がなかった。唐生智司令官は陣地死守を命じており、揚子江を渡ることを厳禁し、違反者を戦場に向かわせるために督戦隊を置いていた。しかしながら督戦隊と敗残兵との同士討ちで多くの死傷者がでたことが書かれている。(挹江門事件)
日本兵が挹江門に到着する前に大量の支那兵の死体が周囲に散乱していたのだが、今回採り上げたGHQ焚書された写真集には挹江門事件についての適当な画像や解説が見当たらなかった。

一方、南京城外に逃げられなかった支那軍は混乱状態となり、多数の敗残兵は軍服を脱ぎ、便衣に着替えて城内の安全区に逃げ込んでいた。
南京陥落の翌十四日に南京城内の掃蕩が行われたが、到るところに正規兵の服とともに武器が捨てられていたという。しかしながら誰もが一般服を着ているため、その中から本当の支那兵を探し出すことは容易ではない。戦場であるゆえ、抵抗する人物には処刑も射殺もありうる話だ。それはどの戦場においても常識となっている残敵掃討であり、日本軍からすれば至極当然のことであったと思う。多くは捕えられたが、処刑された者もかなりいた。
また十五~十六日には場外の掃蕩が行われた。この時も同様に処刑された者もいた。
中には兵士でないものも処刑された者がいたかもしれないが、その責任はこのような状況を作った支那側の方がはるかに重たいのではないだろうか。

そして十七日には南京入城式が行われた。上の画像はその入城式の写真だが、松井石根最高司令官を先頭に中山門より入城するところを撮影したものである。

その後南京に平和が戻って来た。GHQによって焚書処分された写真集には、陥落後の南京の写真は僅かしかないが、上の画像は『昭和十二・十三年永津部隊支那事変出征記念写真帳』のものである。撮影日付が記されていないのが残念だが、永瀬部隊が南京近辺に居たのは昭和十三年の一月から三月のようなのでその頃撮影されたものと思われる。
こういう写真をたくさん見れば、誰も「南京大虐殺」のようなものがあったとは思わないのだが、今の教科書は当時の支那のプロパガンダに近いと言っては言い過ぎであろうか。
そもそも当時南京には多くの新聞記者や作家や画家、写真家が沢山派遣されていて、外国の報道陣も取材の為に南京に来ていたが日本人が支那人を虐殺したことを裏付ける写真は一枚も存在しない。十五日に『シカゴ・ディリー・ニュース』のスティール記者が、十八日には『ニューヨークタイムズ』のダーディン記者が、支那側の情報をもとに南京事件で日本軍による虐殺があったとする記事を書いたのだが、世界の報道機関はこの二紙に追随しなかった。
国際連盟で支那代表の顧維鈞が、米紙の報道があったことを根拠にして二万人の支那人が日本軍に虐殺されたことを演説で述べたのだが、これも世界は反応しなかった。蒋介石は南京城内で支那兵が軍服を脱いで戦わせることで日本軍に民間人大量虐殺の罪を押しつけようとする方針があったと考えられるのだが、その目論見は失敗したかに見えた。しかしながら、わが国の戦後の歴史学会は左巻きが跋扈し、南京大虐殺があったと主張する研究者が今も少なからずいるのは嘆かわしいことである。
南京安全区国際委員会委員長のジョン・ラーベの日記によると、南京陥落前の十二月十日の安全地帯の人口は二十万人、十二月十七日の人口も変化なく二十万人と記されていて、その一か月後の人口は二十五万人と記されているという。南京の人口が減っていないのに「大虐殺」など、あったはずがないのだ。
当時わが国の新聞社記者たちは、南京の状況を写真を撮影していて本社に送り、新聞や雑誌などに多数掲載されている。当時の支那兵は何処へ行っても掠奪を繰り返していたので、日本軍が支那兵を掃蕩して南京が平和になったことを支那の民衆が喜んでいるような写真を『国立国会図書館デジタルコレクション』で容易に見つけることが出来る。

上の画像は大阪毎日新聞社が昭和十三年一月十日に発行した『支那事変画報 第15輯』の一コマ。「わが軍から菓子や煙草の配給を受け喜んで日本軍の万歳を叫ぶ南京の避難民」と解説されている。もし日本軍による大虐殺があったとしたら、支那民衆がこんなに集まることもなく笑顔もないであろう。一部の不心得な日本兵がいたとしても、支那民衆の多くは日本兵を歓迎したのである。

上の画像は昭和十二年十二月二十日に朝日新聞社のカメラマンが撮影した、日本兵とおもちゃで遊ぶ支那の子供たちの写真。
日本軍による虐殺があったかなかったかは、昔の日本人が残してくれた写真や記録を読めば、誰でも常識で判断できる話なのだが、政界や官僚、財界、言論界、マスコミ、日本史学会、教育界に左巻きが多すぎることが問題だ。歴史を取り戻すには、まず媚中議員の一掃から始めるしかないだろう。
支那事変(日中戦争)に関するGHQ焚書リスト
GHQに焚書処分された本のリストの中から、書名に「支那事変(日中戦争)」「北支事変」「日支事変」を含む昭和十二年以降出版の書籍を集めてみた。全部で百三十三点も存在するのだが、「大東亜戦」に関するGHQ焚書七十六点であり、それよりもはるかに多いのは驚きである。この戦争には、戦後の日本人には学ばせたくない歴史が満載であると理解して良いだろう。
分類欄で「〇」と表示されている書籍は、誰でもネットで読むことが可能。「△」と表示されている書籍は、「国立国会図書館デジタルコレクション」の送信サービス(無料)を申し込むことにより、ネットで読むことが可能。「×」と表示されている書籍は、国立国会図書館に行かなければ読むことの出来ない書籍である。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 分類 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL 〇:ネット公開 △:送信サービス手続き要 ×:国立国会図書館限定公開 |
出版年 | 備考 |
欧洲情勢と支那事変 | 本多熊太郎 | 千倉書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1261509 | 昭和14 | |
欧米の動きと支那事変 | 鶴見三三 | 岡倉書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1228142 | 昭和12 | |
海軍作戦支那事変二周年の回顧 | 桜木俊晃 | 東京朝日新聞発行所 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和14 | ||
各社特派員決死の筆陣 支那事変戦史前篇 |
宮居康太郎 編 | 皇徳奉賛会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1261579 | 昭和12 | |
各社特派員決死の筆陣 支那事変戦史後編 |
宮居康太郎 編 | 皇徳奉賛会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1261605 | 昭和13 | |
軍国に咲いた花 : 少年少女たちにおくる支那事変の読物 |
草牟田尋常小学校編 | 草牟田尋常小学校 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1092811 | 昭和13 | |
経済学上より見たる 支那事変の本質 |
木村増太郎 | 目黒書店 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1277579 | 昭和14 | 教学新書 ; 第4 |
国際政局と支那事変 | 下村海南 述 | 渡辺翁記念文化協会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1456564 | 昭和13 | 講演叢書 ; 第7篇 |
支那思想概説 日支事変に就いて | 諸 橘 述 | 山崎作治 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1093780 | 昭和13 | |
支那事変解決の根本策 | 東亜聯盟協会 編 | 東亜聯盟協会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1908708 | 昭和15 | |
支那事変解決の諸問題と支那における 商品流通 |
神戸市産業課 編 | 神戸市産業課 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1071599 | 昭和15 | 産業講座資料. 第17輯 |
支那事変解決論 | 肥田琢司 | 信正社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1220186 | 昭和12 | |
支那事変が生んだ皇国銃後赤誠史 | 鈴木眞一 編 | 日本聯合通信社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1452833 | 昭和13 | |
支那事変歌集 戦地篇 | 松村英一 編 | 改造社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1255387 | 昭和13 | |
支那事変下に於ける各道府県農会の 農村対策 |
帝国農会 編 | 帝国農会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1263131 | 昭和12 | 戦時農村対策資料. 第1輯 |
支那事変下に再び陸軍記念日を迎へて | 陸軍省情報部 編 | 陸軍省情報部 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1462436 | 昭和14 | |
支那事変から大東亜戦争へ | 本多熊太郎 | 千倉書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1439017 | 昭和17 | |
支那事変樺太盡忠録 | 軍陣援護会樺太支部編 | 北方文化出版社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062744 | 昭和18 | |
支那事変記念写真帳 | 水野信之 編 | 大洋社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1112027 | 昭和14 | |
支那事変郷土部隊写真史 | 渡辺春也 編 | 福島民報社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1685561 | 昭和13 | |
支那事変軍票論 | 除野信道 | 日本評論社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1276495 | 昭和20 | 日本評論叢刊 ; 7 |
支那事変経過の概要 第四号 | 陸軍省新聞班 編 | 陸軍省新聞班 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1220100 | 昭和13 | |
支那事変皇軍物語. 第3巻 | 東京日日新聞 編 | 東京日日新聞発行所 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1108127 | 昭和13 | |
支那事変皇国之精華 | 川瀬力造 編 | 新聞資料協会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1685566 | 昭和13 | |
支那事変史研究: 統一戦線支那の分析 | 草野文男 | 人文閣 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1041944 | 昭和19 | |
支那事変実記. 第2輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/3430469 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第3輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/3430470 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第4輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/3430471 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第5輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/3430472 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第6輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/3430473 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第7輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/3430474 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第8輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/3430475 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第10輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1239504 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第12輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1239515 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第13輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1239521 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第14輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1239531 | 昭和17 | |
支那事変実記. 第15輯 | 読売新聞社編輯局 | 読売新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/3430488 | 昭和17 | |
支那事変写真帖 | 東光社 編 | 東光社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1112119 | 昭和13 | |
支那事変従軍記念写真帖 | 村川貞一 編 | 村川貞一 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和14 | ||
支那事変従軍記蒐録 第一編 | 宮居康太郎 編 | 興亜協会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1245666 | 昭和14 | |
支那事変従軍記蒐録 第二編 | 宮居康太郎 編 | 興亜協会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1245690 | 昭和14 | |
支那事変銃後赤心譜 | 岡藤三郎 編 | 合同新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1112283 | 昭和14 | |
支那事変銃後後援誌 第二編 | 北海道庁編 | 北海道庁 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1683108 | 昭和16 | |
支那事変盡忠報国感激美談 | 木村小舟 編 | 龍文舎 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1255347 | 昭和13 | |
支那事変聖戦写真史 | 玉井清五郎 編 | 忠勇社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1112235 | 昭和13 | |
支那事変聖戦赤心譜 | 楓井金之助 | 国民新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564 | 昭和13 | |
支那事変戦線より帰りて | 星野辰男 編 | 朝日新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1229106 | 昭和12 | |
支那事変戦跡行脚 | 野崎圭介 | 聚文館 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1025865 | 昭和14 | |
支那事変戦跡の栞 | 陸軍画報社 編 | 陸軍画報社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和14 | ||
支那事変戦跡の栞. 上卷 | 陸軍画報社 編 | 陸軍恤兵部 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1906091 | 昭和13 | |
支那事変戦跡の栞. 中卷 | 陸軍画報社 編 | 陸軍恤兵部 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1906104 | 昭和13 | |
支那事変戦跡の栞. 下卷 | 陸軍画報社 編 | 陸軍恤兵部 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1906119 | 昭和13 | |
支那事変戦跡の栞. 四卷 | 陸軍画報社 編 | 陸軍恤兵部 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和17 | ||
支那事変戦争美談 | 陸軍省つわもの編輯部 | つわもの発行所 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1110726 | 昭和12 | |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第1巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1148536 | 昭和13 | |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第4巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1148654 | 昭和14 | |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第5巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1148686 | 昭和14 | |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第6巻 | 軍人援護会 編 | 軍陣援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140244 | 昭和15 | |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第7巻 | 軍人援護会 編 | 軍陣援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140292 | 昭和15 | |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第8巻 | 軍人援護会 編 | 軍陣援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140354 | 昭和15 | |
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第9巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140415 | 昭和15 | |
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第10巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140454 | 昭和15 | |
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第11巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140506 | 昭和15 | |
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第13巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140574 | 昭和16 | |
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第16巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140694 | 昭和16 | |
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第17巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140751 | 昭和16 | |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第18巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140817 | 昭和16 | |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第20巻 | 軍人援護会 編 | 軍陣援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1140953 | 昭和17 | |
支那事変忠勇列伝. 陸軍之部 第22巻 | 忠勇顕彰会 編 | 忠勇顕彰会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1141013 | 昭和17 | |
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第25巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1141139 | 昭和18 | |
支那事変忠勇列伝 陸軍之部第26巻 | 軍人援護会 編 | 軍人援護会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1141182 | 昭和18 | |
支那事変忠勇列伝. 海軍之部 第1巻 | 軍人援護会 編纂 | 軍人援護会 | × | 国立国会図書館限定 | 昭和16 | |
支那事変忠勇読本 : 軍国少年の為に | 尾関岩二 | 文祥堂 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1438302 | 昭和12 | |
支那事変忠勇報国美談 | 木村定次郎 | 龍文舎 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1220191 | 昭和13 | |
支那事変忠烈美談 第一輯 | 大日向すず | 守山書房 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和12 | ||
支那事変忠烈偉勲録 第一輯 | 佐々木一雄 | 皇軍発行所 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1255371 | 昭和12 | |
支那事変忠烈偉勲録 第二輯 | 佐々木一雄 | 皇軍発行所 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1255381 | 昭和13 | |
支那事変忠烈偉勲録 第三輯 無名戦士の忠誠 |
佐々木一雄 | 皇軍発行所 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1255391 | 昭和14 | |
支那事変忠烈の皇軍 | 野崎圭介 | 二松堂書店 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1229121 | 昭和12 | |
支那事変と皇国の使命 | 加治木文男 編 | 大日本愛国主義団本部 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1093722 | 昭和13 | |
支那事変と国際情勢 | 松本忠雄 述 | 中野館書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1098810 | 昭和13 | 時局読本 ; 第2輯 |
支那事変と国際関係に就きて 支那事変下の戦時財政経済に就きて |
松本忠雄 中村三之亟 |
帝国在郷軍人会本部 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1097326 | 昭和13 | |
支那事変と世界戦争の危機 | 長島隆二 | 共盟閣 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1031493 | 昭和12 | |
支那事変と東亜興隆 | 山川智応 講述 | 信人社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1275443 | 昭和14 | |
支那事変と日清戦争 | 小泉信三 | 慶応出版社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1919110 | 昭和12 | Kindle版あり(いざなみ文庫) |
支那事変と無敵皇軍 | 宇都宮謙 編 | 日本歴史研究会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1685559 | 昭和12 | |
支那事変と列強の動向 | 大高二郎 | 日本青年外交協会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1268076 | 昭和13 | |
支那事変と列国の論調 | 姫野徳一 | 日支問題研究会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1266612 | 昭和12 | |
支那事変と列国の論調 第二輯 | 姫野徳一 | 日支問題研究会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1266621 | 昭和12 | |
支那事変とローマ教皇庁 | 岡延右衛門 | 栄光社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1091870 | 昭和12 | |
支那事変と我等の郷土 第一輯 | 田中富士夫 | 出征将士事跡編纂会 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和13 | ||
支那事変と吾等の覚悟 | 東邦国策同志会 | 東邦国策同志会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1108893 | 昭和12 | |
支那事変に於ける帝国海軍の行動. 2 | 海軍省海軍軍事普及部 編 | 海軍省海軍軍事普及部 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1462420 | 昭和14 | |
支那事変に於ける帝国海軍の行動. 3 | 海軍省海軍軍事普及部 編 | 海軍省海軍軍事普及部 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1462426 | 昭和15 | |
支那事変に於ける 敵の戦場思想工作の一観察 |
教育総監部 編 | 教育総監部 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和15 | ||
支那事変の意義 | 作田荘一 | 国民精神文化研究所 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1207008 | 昭和12 | 時局国民精神読本. 第3輯 |
支那事変のお話 | 小学課外読物研究会編 | 小学課外読物研究会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1441291 | 昭和13 | 小学課外読物 ; 特輯 |
支那事変の結末を如何にすべきか | 相馬昌三 | 庄司新二 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1436989 | 昭和14 | |
支那事変の前途は悲観か楽観か | 野依秀市 | 秀文閣書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1245634 | 昭和14 | |
支那事変の認識と国民の覚悟 | 西脇健治郎 | 積善館 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1096780 | 昭和13 | |
支那事変の歴史性 | 歴史教育研究会編 | 四海書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1220236 | 昭和14 | |
支那事変報国美談. 輝く忠誠第6輯 | 海軍軍事普及部 編纂 | 海軍協会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1094265 | 昭和13 | |
支那事変報国美談. 第1輯 | 海軍軍事普及部 編纂 | 海軍協会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1097048 | 昭和12 | |
支那事変報国美談. 第5輯 | 海軍省海軍軍事普及部 編 | 海軍省海軍軍事普及部 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1092725 | 昭和13 | |
支那事変報国美談. 第8輯 | 海軍省海軍軍事普及部 編 | 海軍省海軍軍事普及部 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1255325 | 昭和13 | |
支那事変報国美談 第9輯 | 海軍省海軍軍事普及部 編 | 海軍省海軍軍事普及部 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1255332 | 昭和13 | |
支那事変北満討匪 紀州精華忠勇列伝1 | 河野九民 | 紀州精華顕彰会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1103664 | 昭和12 | |
支那事変臨時派遣軍記念写真帖 | 斎藤悦三 編 | 中国新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1688343 | 昭和7 | |
支那事変を語る | 鈴木嘉一 述 | 国策研究会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1096415 | 昭和13 | 国策研究会パンフレツト ; 第4輯 |
支那大事変写真史 | 山崎昌男 | 日東社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1685558 | 昭和12 | |
小学生と支那事変 | 日本勧業銀行国民貯蓄勧奨部 | 日本勧業銀行国民貯蓄勧奨部 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和15 | 貯蓄債券 第八輯 | |
昭和十二・十三年支那事変 永津部隊出征記念写真帳 |
風光社印刷所 | 風光社印刷所 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1685777 | 昭和14 | |
聖戦五周年 : 支那事変から大東亜戦争へ : 支那事変から大東亜戦争へ |
大日本興亜同盟 編 | 大日本興亜同盟 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1157328 | 昭和17 | |
青年学徒と支那事変 | 松本圭祐 | 松本圭祐 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1220881 | 昭和12 | |
世界政治と支那事変 | 具島兼三郎 | 白揚社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1268203 | 昭和15 | |
戦火に立つ: 支那事変全貌小説 | 松島慶三 | モダン日本社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1239664 | 昭和13 | |
大東亜戦下の支那事変 | 文化奉公会 編 | モダン日本社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1041940 | 昭和17 | |
日英戦争:支那事変と世界戦争の危機 | 長島隆一 | 長谷川書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1462404 | 昭和12 | |
日支事変をめぐる世界の動き | 稲原勝治 | 高山書院 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1441751 | 昭和12 | |
日支事変の次に来るもの 日英戦はん乎 |
小林騏一郎 | 内外出版社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1438795 | 昭和12 | |
日支事変経済史 | 神永文三 | 議会政治社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1246464 | 昭和14 | |
日支事変写真帳前編 | 齊藤与次郎 編 | 明治天皇聖徳奉賛会 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和12 | ||
日支事変処理之一考察 | 戸田千葉 | 信義堂書店 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1687090 | 昭和14 | |
日支事変と支那国情の実相 | 加藤湘海 | 歴山堂 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1108474 | 昭和12 | |
日支事変と次に来るもの | 武藤貞一 | 新潮社 | × | 国立国会図書館限定 | 昭和13 | |
日支事変と次の日〇戦争 | 神田計造 | 新文社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1108743 | 昭和12 | |
日支事変の全貌と対英問題 :抗日の元兇英国を衝く |
原田政治 | 大中社出版部 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1092088 | 昭和14 | |
日本精神の考察 支那事変の経過と我国際関係 |
谷本 富 述 長岡克暁 述 |
京都経済会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1099221 | 昭和12 | |
北支事変:支那!抗日戦闘実力はこれだ | 伊藤秀雄 | 雄飛閣 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1107074 | 昭和12 | |
北支事変誌 銃後の護り | 久志本喜代士 | 渋谷印刷社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1120836 | 昭和12 | |
北支事変と支那の真相 | 井上謙吉 | モナス | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1257689 | 昭和12 | |
北支事変の真相と日支関係諸条約 | 高田 功 | 亜細亜研究会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1107476 | 昭和12 | |
歴史に輝く支那事変物語 | 大毎こども会 | 盛光社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1222050 | 昭和12 |
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
↓ ↓


【ブログ内検索】
大手の検索サイトでは、このブログの記事の多くは検索順位が上がらないようにされているようです。過去記事を探す場合は、この検索ボックスにキーワードを入れて検索ください。
前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年の4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しました。一時在庫を切らして皆様にご迷惑をおかけしましたが、第三刷が完了して在庫不足は解決しています。
全国どこの書店でもお取り寄せが可能ですし、ネットでも購入ができます(\1,650)。
電子書籍はKindle、楽天Koboより購入が可能です(\1,155)。
またKindle Unlimited会員の方は、読み放題(無料)で読むことができます。
内容の詳細や書評などは次の記事をご参照ください。


コメント