版籍奉還から廃藩置県、府県統合

鳥取県が消滅し、鳥取城が破壊され、鳥取最大の祭も失われた~~鳥取県再設置1

旧藩時代において鳥取藩は山陰地方で最大の藩であったのだが、明治九年九月六日に、格下であったはずの島根県の県令から鳥取県庁に宛てて「今般鳥取県は本県と合併される」旨の布告が届いたのだが、主に鳥取の士族はこの命令に憤った。それから五年間にわたり「鳥取県」が地図から消え、その間に鳥取城が破壊された。
長野朗

長野朗の『支那の真相』、『我等世界に何を学ぶ可き乎』を読む

このブログで長野朗(ながの あきら)の著書をいくつか紹介させて頂いたが、長野は戦前の代表的な中国通で多くの著書を残している。彼の著書のうち十八点がGHQ焚書図書となっており、没収された本の多さでは三番目にランクされる人物である。 今回はGH...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

奈良県が消滅し再設置されるまでの経緯

古い貴重な文化財が数多く残されている奈良県は、明治9年に堺県に編入されて消滅し、さらに14年には堺県が大阪府に編入されてしまった。その後旧奈良県住民にとって重要な予算が削られることが相次いで、奈良県再設置運動が動き出す。しかし内務省で却下され、その後太政官、元老院に提出した請願書も認められず、明治20年の4度目の請願書でようやく再設置が決定した。
国会図書館デジタルコレクション

GHQが徹底的に焚書にした歴史家・仲小路彰の「世界興廃大戦史シリーズ」など

戦前・戦中に「世界興廃大戦史」全百二十一巻という壮大な著述計画を立てた仲小路彰という歴史家がいる。全巻の内訳は日本戦史が全三十巻、西洋戦史が四十二巻、東洋戦史が三十二巻、世界戦史が四巻、総観篇が十巻、別冊が三巻となっている。 仲小路彰  こ...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

廃藩置県で政府は県名や県庁所在地をどういう基準で決めたのか

明治四年七月に廃藩置県が行われた時は、府県の数が全部で三府三百二県であったのだが、その後わずか一年で八割近い県が消滅した。政府はどういう基準で新しい県名を決めたのかについて、宮武外骨が『府藩県制史』で朝敵藩・曖昧藩は従来の藩名をそのまま県名としなかったと書いているが、例外が少なくない。
国会図書館デジタルコレクション

戦前・戦中に出版されたわが国の外交に関する本を読む~~『日英外交裏面史』、『日支交渉史話』

「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている、外交に関する本には興味深いことが書かれている本が多い。  最初に紹介する本は、GHQ焚書の柴田俊三 著『日英外交裏面史』の一節だが、戦後の通史などでは絶対に採りあげないことが記さ...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

廃藩置県のような大改革が平穏無事に行われたのはなぜか

政府としては、版籍奉還後も実質的に存続していた封建的藩体制を廃絶させると同時に、大規模な反乱を鎮圧できるだけの兵力を中央に整えたかったのだが、政府軍を編成するには薩長の力に頼るしかなかった。薩摩藩の島津久光は廃藩置県に反対であったが、上京した西郷隆盛はそれに賛同し、不平士族による反乱の鎮圧を引き受けることによって廃藩置県を進める体制が整ったのである。
国会図書館デジタルコレクション

北方領土に関する書籍の多くがGHQによって焚書にされている~~『北進日本人』『守れ!権益 北方の生命線』

千島や樺太に関する書物を「国立国会図書館デジタルコレクション」で探していると、思った以上に多くの点数がヒットする。いくつかの本を拾って実際に読んでみると、戦後になってからはあまり語られてこなかったロシアの脅威が記されている本が少なからずあり...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

明治二年から四年にかけての明治政府はいつ崩壊してもおかしくなかった~~廃藩置県への道

版籍奉還後の鹿児島藩、山口藩の混乱  前回記事で、明治二年(1869年)に行われた版籍奉還のことを書いた。伊藤博文や大隈重信は、これを機に封建的支配体制を一気に解体し、郡県制を布いて中央の統制権を高めることを望んだのだが、当時の情勢ではその...
国会図書館デジタルコレクション

戦前戦中に出版された沖縄に関する書籍を読む~~『沖縄よ何処へ : 琉球史物語』『ペルリ提督琉球訪問記』

沖縄は、江戸時代以来薩摩藩の支配下にありながら、清国にも朝貢していたことが教科書で書かれていたが、もう少し詳しく知りたいと思って「国立国会図書館デジタルコレクション」で沖縄に関する書籍を探してみた。 伊波普猷  最初に紹介したいのは沖縄那覇...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

版籍奉還で封建制度を廃滅させようと考えた伊藤博文と大隈重信

木戸孝允は藩主・毛利敬親に面謁して版籍奉還を急ぐべきことを説き、さらに大久保利通等を説得して、薩長土肥の四藩が率先して版籍奉還を上奏することで話がまとまった。四藩のあと各藩から奉還上表が提出されたのち版籍奉還が勅許され、旧藩主をそのまま藩知事としたが、政府によって任命される地方長官と位置付け、旧藩主と旧藩士との主従関係が建ち切られたことに意義があった。
国会図書館デジタルコレクション

朝鮮半島に関する古い記録を読む~~『三十年前の朝鮮』『最近朝鮮事情』

「国立国会図書館デジタルコレクション」で、朝鮮半島の古い記録を探してみた。今読んでも結構面白い本として、最初に『三十年前の朝鮮』という本を紹介したい。 イザベラ・バード  著者は今日ではイザベラ・バードとして良く知られているが、彼女は189...
東京奠都とその影響

京都は東京奠都のあとの衰退をいかに乗り越えたか~~東京奠都4

首都の機能が東京に移転してしまえば、皇族や公卿や各藩の屋敷の大半が空家となり、多くの人々が、京都を去ることにより人口が急激に減少し、武家や宮家や公卿が贔屓にしていた店や寺社は収入が激減して京都の賑わいは消え、荒廃していくことにならざるを得なかった。槇村正直は、明治二年にわが国最初の学区制小学校64校を開校させたほか、京都復興のために尽力した。
国会図書館デジタルコレクション

戦後の歴史書に描かれない真実~~外国から仕掛けられたスパイ、諜報、情報戦、宣伝戦など

「戦争」というとすぐに武力衝突を連想してしまうところだが、実際には武器を用いずに相手国を混乱させたり、消耗させたりする工作や、情報収集が長期間にわたり行われており、平和な時代においても昔からそのような活動は行われてきたし、今日に於いても同様...
東京奠都とその影響

東京に都を移さなければクーデターが起きてもおかしくなかった~~東京奠都3

江戸城開城後旧幕臣は各地に移転し、各藩の大名屋敷も空家となり、市街の商店等も店を畳んで、江戸は荒廃していった。市民の生活は苦しくなるばかりで、薩長二藩を伐って政権を奪取しようと企てる者が全国各地にいて、皇族の中にも賀陽宮朝彦親王は薩長政府を打倒しようと画策していたことが露見し、仲間と共に捕えられた。当時の国内情勢を考えると東京に都を移すことは必要なことであった。
国会図書館デジタルコレクション

戦前・戦中の知識人が若い世代に伝えたかった中国のことなど~~児童向け、青少年向けのシリーズ本を読む

戦前、戦中に出版された本は、児童書や青少年向けに著されたものでも結構レベルの高い本が多い。以前このブログで歴史シリーズや偉人伝シリーズを紹介したが、今回はそれ以外のジャンルで、児童向け青少年向けに出版されたシリーズ本などを集めてみた。  今...
東京奠都とその影響

東京遷都を警戒したが最後は政府に騙された京都の人々~~東京奠都2

明治二年に再び天皇が御東幸することが決まると、京都市民らが、東京遷都の決行であると考えて中止を請願したのだが、二度目の御東幸は強行され、九月には皇后の東京行啓が決定された。京都の人々は再び動揺し行啓の中止を嘆願したが、大嘗会でまた天皇が還幸されると説得されている。しかし、大嘗会は明治四年に東京で行われ、京都の人々は完全に政府に騙されたと言える。
中国関連

GHQ焚書に描かれた、支那事変(日中戦争)における支那軍の戦い方

当時の支那軍の兵力は世界最大規模であった  小学生であった頃に実家の寺の世話方さんから少しだけ戦争の話を聞いたことがある。5分程度の短い話だったと思うが、実際に支那事変に行かれた方で「南京大虐殺なんかなかった。新聞は嘘を書いている」「支那兵...
東京奠都とその影響

明治新政府が戊辰戦争の最中に江戸を都にすることを決めた経緯~~東京奠都1

大久保利通は鳥羽伏見の戦いから三週間もたたない時期に、人心一新のために大阪遷都の建白をしたが、反対が多く決議されなかった。その後前島密らが江戸遷都論を唱えたが、江戸城が無血開城したのち江藤新平・大木喬任が江戸城を以て東京と定め、東西両京の間に鉄道を開通させよという案を提出し、この案が決議されている。明治天皇は「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を発したが、どこにも遷都の文字はない。
国会図書館デジタルコレクション

戦前・戦中に出版された時代別日本史シリーズ等

徳富猪一郎『近世日本国民史』シリーズ  戦前には日本史に関して多くのシリーズ本が出版されているようなので、どんな本が出ているかリストを作成しようと思い、国立国会図書館デジタルコレクションの検索機能を利用してネット公開されている本を拾い集めて...
キリスト教問題

明治六年に政府がキリスト教禁教の高札を撤去した経緯

明治政府は浦上の隠れキリシタン百余名を津和野藩などに移送させたのち、さらに明治二年十月に約三千人を捕えて、金沢以下十余藩に移している。各国公使は流罪の中止を強く主張し、政府内部の考え方も変化していった。明治四年に岩倉使節団が欧米視察に出たが行く先々でキリシタン流罪を非難され、今の考えでは、諸外国との条約交渉などができるはずがない事を認識した。
GHQ焚書

西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封』講義動画(無料)リスト

徳間書店の『GHQ焚書図書開封』シリーズ12巻は、西尾幹二氏がチャンネル桜で201回にわたる講義を進められながら刊行されていったのものだが、講義の動画については大半がネットで無料公開されている。しかしながら動画のタイトルは講義の何回目だけが記されているだけで、これではそれぞれの講義でどんなGHQ焚書を採りあげたかがわからないので、それらをリスト化してみました。
キリスト教問題

キリスト教禁止と教徒処分問題で諸外国から激しい抗議を受けた明治新政府

五榜の掲示  前回の「歴史ノート」で、慶応元年(1865年)に長崎の浦上村で大量の隠れキリシタンがフランスの宣教師により発見され、慶応三年(1867年)になって宣教師による教導が行われていたことが発覚し、六月に六十余人の信徒が捕えられたこと...
国会図書館デジタルコレクション

ネット公開されている歴史関連の児童書にGHQ焚書が少なくない~~「少年大日本史」「少年国史物語」など

ネットでいろんな情報が収集できるようになって、本の出版が減少することになることはやむを得ないが、小学生から中高生の時期に読ませたいような本の出版が減っていることは残念なことである。 昔は少年少女向けに様々なジャンルのシリーズ本が出版されてい...
キリスト教問題

幕末に大量の隠れキリシタンが長崎で出現した経緯と幕府の対応

江戸幕府は安政五年に五か国と修好通商条約を締結し、神奈川など五港の開港と居留地内における外国人の信仰の自由を認めて教会の建設が始まった。慶応元年に完成した長崎の天主堂に隠れキリシタンが訪ね、それ以来2年間にわたり宣教師との極秘の交流が続いたが、慶応三年に発覚し、信徒が大量に捕縛されたことから外交問題となる。
GHQ焚書

アメリカ人が記した真珠湾爆撃の記録~~ブレーククラーク『真珠湾』とハワイに関するGHQ焚書

GHQ焚書の中には外国人が著したものがかなり存在するのだが、当時ハワイにいて日本軍による真珠湾攻撃を目撃したアメリカ人の大学教授・ブレーク・クラークがこの攻撃の有様を記録した本がGHQによって没収処分されている。この本は、戦争たけなわの昭和...
廃仏毀釈・神仏分離

明治六年に軍の派遣を要請し、ようやく鎮圧された越前護法大一揆

明治政府は浄土真宗の強い地域では、寺院の統廃合は難しいことを悟り、明治五年に神祇省を廃し教部省を設置し、僧侶を教導職に起用して組織的な国民教化を推進しようとしたが、敦賀県に送り込んだ教部省の役人の発した言葉が僧侶・門徒を刺激し、大規模な一揆が発生している。
GHQ焚書

マレー、シンガポールに関するGHQ焚書を読む~~『昭南島』『昭南島の日章旗:マレー戦線従軍記録』

イギリスはなぜシンガポールに大要塞を築いたのか~~室賀信夫著『昭南島』  昭和十七年二月にシンガポールの戦いで日本軍が勝利したことにより日本による統治が始まり、シンガポールは「昭南島(しょうなんとう)」とその名を改められたのだが、昭和二十年...
廃仏毀釈・神仏分離

明治政府の宗教政策に抵抗した浄土真宗の僧侶や門徒たち…大濱騒動のこと

浄土真宗はこれまで他教団からの迫害を受けながら熱烈な布教を続けてきた経緯から、寺と信者の結びつきは固く、『神仏分離令』が出た以降の教団の危機を僧侶とともに共有し、新政府の宗教政策に抵抗した歴史がある。三河でおきた大浜騒動についてまとめました。
欧米の植民地統治

ミャンマー(旧ビルマ)の歴史をGHQが封印した理由~~『ビルマ読本』

ミャンマーは、今年に入って国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問らを拘束したニュースが流れたが、この国はかつてビルマ国と呼ばれイギリスの植民地であった。  日中戦争で重慶の蒋介石政権を追い込むことができずにいた日本軍は、援蒋ル...
廃仏毀釈・神仏分離

藩主自らが率先して廃仏毀釈を推進した苗木藩の事情

苗木藩の遠山家は一万石の譜代大名であったが、幕末期は幕府の要請により大阪警備や第二次長州征伐に兵を出し、藩主遠山友禄は若年寄を勤めて幕府に協力した。しかし鳥羽伏見の戦いの後、新政府の施策を率先して行うことでなんとかして生き延びようと考え、平田派の復古神道の考えを藩内に浸透させ、徹底的な廃仏毀釈を行った。
GHQ焚書

GHQが焚書にしたタイ国や山田長政について書いた書籍~~『タイ国通史』『泰国風物詩』

GHQが焚書にした本の中には、タイ国関連の書籍がいくつかある。タイ国はかつて「シャム(暹羅)」という国名が定着していたが、1939年にピブーン首相が国名をタイに変更し、1945年にセー二―内閣が再びシャムに戻したが、1949年に政権に返り咲...
滋賀

比叡山門前町として栄えた坂本と穴太衆

石垣施工の技術集団・穴太衆  滋賀県大津市の比叡山山麓に寺や城郭などの石垣施工を行った穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる技術者集団がいて、織豊時代以降その高い技術が買われ、安土城、彦根城、金沢城の石垣をはじめ、多くの城郭の石垣建築に携わったと...
国会図書館デジタルコレクション

ネットで楽しめる江戸時代の名所図会、地誌など

江戸時代末期に諸国の名所旧跡・景勝地の由緒来歴などを記し、写実的な風景画を多数添えた旅行案内書のような本が多数出版されていますが、その一部が国立国会図書館デジタルコレクションに公開されています。公開されているURLのリストを作成しました。
廃仏毀釈・神仏分離

伊勢神宮神領地域の廃仏毀釈と、長期間の遷宮の中断に終止符を打った慶光院

伊勢神宮の神領地域に多数の寺があった  伊勢神宮は皇室の氏神である天照大御神を祀り、歴史的に皇室・朝廷との結びつきの深い神社であるが、かつてこの神社は仏教との関係が深く、周辺に多くの寺が存在したという。 伊勢神宮 外宮正宮 2014/4/4...
国会図書館デジタルコレクション

ネットで読める偉人伝

私の子供の頃は、近くの本屋には漫画の「偉人伝」や、少年少女向けの「偉人全集」が本棚に並んでいて、親から何冊か買ってもらった記憶があるのだが、最近は「偉人伝」は売れないのか、書店で見ることが少なくなっている。というか、ネット書店に押されて、本...
廃仏毀釈・神仏分離

明治新政府の役人に社殿焼き払いを命じられた厳島神社

江戸時代までの厳島の歴史  厳島神社は宮城県の松島、京都府の天橋立とともに日本三景の一つでもあり、1996年には世界遺産にも登録されている観光名所である。前回の「歴史ノート」では日本三大弁天のひとつである琵琶湖の竹生島にある宝厳寺の文化財の...
GHQ焚書

わが国が宣伝戦・情報戦に弱いことを指摘した徳富蘇峰~~GHQ焚書『必勝国民読本』

徳富蘇峰(猪一郎)は明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家で、全百巻の大著『近世日本国民史』を著したほか、多くの著書を残しており、そのうち15点がGHQに焚書処分され、戦後の日本人が読めないようにされてしまった。...
廃仏毀釈・神仏分離

竹生島で強行された神仏分離と宝厳寺に残された本尊の弁財天像

竹生島と弁財天信仰  琵琶湖の北に竹生島という小さな島がある。琵琶湖では沖ノ島に次ぐ大きさの島なのだが、周囲は2km、面積は0.14㎢しかないという。その島に西国三十三所観音霊場第三十番札所の宝厳寺と都久夫須麻(つくぶすま)神社がある。宝厳...
欧米の植民地統治

A級戦犯の大川周明はペリーの来航をどう書いているのか~GHQ焚書『英米東亞侵略史』

大川周明と言えば、民間人でありながらただ一人東京裁判に起訴され、梅毒による精神障害が認められて訴追免除となった人物だが、彼の著作のうち7点がGHQによって焚書されている。以前このブログでGHQ焚書リストの中から、A級戦犯で起訴された人物の著...
廃仏毀釈・神仏分離

神仏分離令のあと徹底的に破壊された鶴岡八幡宮

明治維新までの鶴岡八幡宮は神仏習合で多くの仏堂や大塔が存在し、源治の菩提寺として栄え、当時の境内は外国人のスケッチや写真で知ることができる。しかし、新政府により神仏分離令が出されると、それまで全山を取り仕切っていた十二坊の社僧全員が復飾して神主となり、神奈川県の命令によりすべての仏堂・大塔を取り払い、仏像・仏具を売却或いは焼却した。
GHQ焚書

英国が中国に排日運動を焚きつけ、国際連盟を利用し我が国の孤立化を図った事情~~石丸藤太『大英国民に与う』

石丸藤太(いしまる とうだ)は明治四十三年に海軍砲術学校教官となり、大正四年に少佐となって予備役になると、評論活動に入り多くの著作を残したのだが、GHQは彼の13点もの彼の著作を焚書処分している。 今回は昭和11年に刊行された『大英国民に与...
廃仏毀釈・神仏分離

神仏分離令のあと金毘羅大権現の仏像・仏具が徹底的に破壊された経緯

江戸時代中期以降金毘羅信仰が広まり金毘羅参りが盛んにおこなわれたが、金毘羅とは仏教の守護神であり、金毘羅大権現を祀っていたのは松尾寺という真言宗の寺院であった。明治新政府が神仏分離令を出すと、松尾寺は金毘羅大権現は日本古来の神ではないと上申したが、新政府から圧力がかかり、仏教的な建物や仏像仏具の取払いを約束させられている。
GHQ焚書

イタリアはなぜ英米と戦ったのか~~GHQが焚書にしたイタリア関連書籍

近衛内閣が日独伊三国同盟を締結したのは昭和十五年(1940年)九月のことなのだが、この時すでに第二次世界大戦は始まっていて、ドイツは1939年9月、イタリアは1940年6月に参戦していたのである。当時イタリアはヨーロッパで孤立化しており、そ...
ご連絡など

「毎日新聞」の京都版に『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』の書評が載りました

いつもこのブログにアクセスいただきありがとうございます。  拙著『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』が発売されて1年10か月が過ぎましたが、今年の1月24日の「毎日新聞」京都版に、書評が出ていたとの情報を読者から頂き...
廃仏毀釈・神仏分離

新政府の仇敵である徳川家の聖地・日光東照宮が残された経緯

日光山の歴史と戊辰戦争  日光山内の社寺は二荒山神社、日光東照宮、日光山輪王寺に分かれ、これらを総称して「二社一寺」と呼ばれている。日光東照宮は徳川家康を「東照大権現」という「神」として祀る神社だが、二荒山神社と日光山輪王寺は山岳信仰の社寺...
欧米の植民地統治

オランダの三百年にわたる植民地統治手法~~GHQに焚書処分された『蘭印現状読本』『蘭印の設営』

オランダは、 江戸時代初期から幕末に至るまで、西洋諸国では唯一わが国が外交貿易関係を維持し続けた国だが、第二次大戦では オランダ領東インド政庁が独断で宣戦布告し、わが国と戦った国でもある。  戦前は現在のインドネシアやボルネオ、西ニューギニ...
GHQ焚書

高橋亀吉著『戦時経済講話』を読む~~GHQに焚書処分された経済関連書籍

当たり前の事なのだが、戦争で勝ち続けたとしても、相手が敗北を認めなければ戦いは終わらず、兵士や武器・弾薬の補充などに莫大な費用が掛かり続けることとなる。そのための資金調達ができなくなれば、勝利することは不可能だ。  高橋亀吉といえばわが国の...
廃仏毀釈・神仏分離

東本願寺がなぜ北海道開拓にかかわることになったのか

東本願寺は徳川幕府との親密な関係が続いていたが、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗退すると新政府は東本願寺の焼き払いを決定した。東本願寺は新政府にどんな協力も行うとの誓約書を提出し、献金などを始めた結果、明治二年に北海道開拓を命じられている。三年から工事が開始され、今日「本願寺道路」と呼ばれる4つの道路を開削した。
ナチス関連

GHQが焚書処分したナチスやドイツ関係書籍~~『ナチスの放送戦争』『総力戦と宣伝戦 』

GHQが焚書処分した外国に関する書籍を国別に分類すると、一番数多く焚書処分されたのは中国に関する書籍で、次に多いのは ドイツ関連、その次がアメリカ関連、イギリス関連、ロシア関連と続く。書籍のタイトルで「ドイツ」「独逸」「独」「ナチス」を含む...