歴史ノート

小松緑「赤化運動の経緯」を読む 1

小松緑は明治大正期の外交官で、アメリカ公使館書記官,朝鮮総督府外務部長など勤め、大正五年(1916年)に退官後は著述家として活躍した。 小松緑(Wikipediaより)  十冊程度の著書を残しているようだが、電子図書で『明治外交秘話』という...
韓国併合への道

日露戦争緒戦で日本軍が勝利したのを見て親日に一変した韓国

日露戦争緒戦で日本が勝利すると韓国は俄に態度を親露から親日に一変させ、日韓議定書が締結され、財政と外交の顧問を受け入れることに同意した。わが国は同国を近代化させるために保護国化したのだが、当時の韓国は非常に貧しく、英米はわが国の対韓措置に異議を挟まなかった。
ソ連・コミンテルン

佐々木一雄『日本の脅威 武装の赤露』を読む~~その3

共産主義国家・ソ連という国  前回に引き続き、佐々木一雄著『日本の脅威 武装の赤露』の一部を紹介したい。  共産同志と彼ら政権は「被圧迫民族を解放する」と大声に叫びながら、国内における自己の民族を圧迫している。しかもその状態が世界に現れぬよ...
韓国併合への道

日本が近代国家に改革しようとした李氏朝鮮を狙ったロシア

李氏朝鮮は当初から中国の属国であり、中国の属邦の中でも貧しく地位も低かったのだが、日清戦争でわが国が勝利して、晴れて独立国家となることができた。しかしながらこの国は兵力も乏しく、いつロシアに占領されてもおかしくなかった。わが国は朝鮮が近代国家に改革され、自立した国家となることを熱望していた。
ソ連・コミンテルン

佐々木一雄『日本の脅威 武装の赤露』を読む~~その2

スパイの国 ソヴィエト・ロシア  前回に引き続いて、佐々木一雄著『日本の脅威 武装の赤露』の一部を紹介したい。  ロシアはある一つの犯罪を除いては、事実上死刑が廃止されたということである。「それはどういう犯罪か」というと「スパイ」である。だ...
共産主義関連

蒋介石はいかにして英米を味方につけたのか

蒋介石はドイツ軍事顧問たちのアドバイスを受け、上海の国際租界で日本軍に対する攻撃を仕掛けたが、日本軍は蔣介石の攻撃の意図を理解し、他国の干渉を招く原因となる行動はとらなかった(第二次上海事変)。その後蒋介石はプロパガンダを強化して、嘘で世界のシンパシーを獲得することに成功する。
ソ連・コミンテルン

佐々木一雄『日本の脅威 武装の赤露』を読む~~その1

佐々木一雄という人物は、他の著書に陸軍大佐という肩書きがあるので陸軍の軍人であったことは間違いないのだが、詳しい経歴についてはわからない。彼の著した著作の内十二点がGHQによって焚書処分されているのだが、そのうち「国立国会図書館デジタルコレ...
共産主義関連

当時のアメリカ人ジャーナリストが記した中国の排日・抗日運動

中国で排日運動を英米が仕掛けたことを、当時アメリカ人ジャーナリストであったフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが、1938年11月に出版した”Behind the News in China”(邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)に記している。その後わが国はなぜ日中の戦争に巻き込まれたのか。
国会図書館デジタルコレクション

ユダヤ財閥が世界的に影響力を持つに至った経緯~~「国際秘密力研究叢書」を読む5

前回に引き続き「国際秘密力研究叢書」シリーズの本を紹介させて頂く。今回は叢書の第十一冊の鹿島健 著『英国を支配するユダヤ力』(昭和十六年刊)である。著者の鹿島健は昭和十七年に同文館より『米国に於けるユダヤ人問題』を刊行した人物であることはわ...
共産主義関連

中国の共産主義化と抗日運動

満州国の独立に刺激されて、内蒙古が中国から独立する機運が盛り上がった。蒋介石は八万の大軍を送り込んで内蒙古軍を制圧したが、その際に全国民に対して民族戦の決起を促したために、中国全土で抗日の機運が盛り上がった。中国共産党は蒋介石を監禁して共産党と手を握らせ、共産党殲滅作戦を止めさせるとともに彼を抗日に転換させた。
国会図書館デジタルコレクション

ユダヤ人はいかにして世界を撹乱してきたか~~「国際秘密力研究叢書」を読む4

前回に引き続き、『今次大戦と裏のニュース 【世界猶太(ユダヤ)情報】』(国際秘密力研究叢書10)という本の一部を紹介したい。当時の非ユダヤ系報道機関が伝えてくれていたことは、現在の世界情勢を理解するうえでもヒントになる内容が少なからずある。...
共産主義関連

英米が仕掛けた「排日」に中国人が積極的に取組み「抗日」に至った経緯

英米が仕掛けた「排日運動」は、日本人に対して長い間民族的嫉妬心を抱いていたに中国人に火をつけ、英米と同様に日貨排斥を行った。当初から排日教育が行なわれて、共産主義青年団員が排日運動をリードするようになると、その後国民党が国策として取り組むようになり、抗日暴動が頻発するようになる。
国会図書館デジタルコレクション

第二次世界大戦に至るまでにユダヤ人は何をしてきたか~~「国際秘密力研究叢書」を読む3

前回に引き続き、国際秘密力研究叢書の本の内容を紹介したい。今回採り上げるのは、この叢書の中で唯一GHQが焚書処分した『今次大戦と裏のニュース 【世界猶太(ユダヤ)情報】』(国際秘密力研究叢書10)という本である。 この本は、一九三九年九月三...
共産主義関連

中国の排日運動がその後反帝国主義運動となり日本だけが排斥された経緯

中国の排日運動は、当初は英米が中国大陸から日本を排除する目的で仕掛けたものだが、中国大陸の赤化を狙っていたソ連が中国共産党に反帝国主義運動を始めさせ、最初にイギリス租界に鉾先を向けた。イギリスは租界を返還して反英の動きを止め、さらに蒋介石を抱き込んで、鉾先を日本に向けさせた。
国会図書館デジタルコレクション

支那事変でユダヤ人は何をしたのか~~「国際秘密力研究叢書」を読む2

今回は「国際秘密力研究叢書」シリーズの二回目で、赤池濃著『支那事変と猶太(ユダヤ)人』(国際秘密力研究叢書4:昭和14年刊)を紹介したい。著者の赤池濃(あかいけ あつし)は内務官僚で、朝鮮総督府の内務局長、警務局長などを歴任後、大正十二年(...
共産主義関連

英米が排日運動を仕掛けたのは中国だけではなかった

中国の排日運動の始まりである1919年の「五四運動」に英米人が関与していたことは、当時のわが国の新聞にも多数報道されている。また、朝鮮半島で起きた三・一独立運動も米国宣教師が関与していたと報じられている。これらは、同年一月にわが国がパリ講和会議で人種差別撤廃案を提出したことと無関係だとは思えない。
国会図書館デジタルコレクション

ユダヤ人はドイツに何をしたのか~~「国際秘密力研究叢書」を読む1

戦後の出版物でユダヤ問題に関するものは数えるくらいしか存在しないが、戦前にはユダヤ人問題に関する本が大量に出版されていて、ユダヤ人問題研究に関する叢書もいくつか出ている。 中でも政経書房が昭和十二年から十六年にかけて刊行した「国際秘密力研究...
共産主義関連

北京で排日運動が開始された背後に英米人の煽動があった

1919年のパリ講和会議でわが国が提案した人種差別撤廃案が否決された22日後に、北京で最初の排日運動(五四運動)が行われている。当時北京の民家に下宿していた長野朗が当時のことを記録しているが、支那の排日運動を煽動したのは英米人であった。彼らは黄色人種間の分断と、支那において日本が開拓した市場を狙っていた。
ユダヤ人問題関連

戦前の新聞社には、世界戦争を引き起こす影の勢力としてユダヤ勢力を捉える記者がいた

前回に引き続き、神戸大学経済経営研究所の新聞記事文庫から、ユダヤ問題についての記事を紹介したい。 第一次世界大戦とユダヤ人  戦後の通史などでは、第一次世界大戦にユダヤ勢力が関与したことは一切触れられることがないのだが、戦前の新聞には、その...
第一次大戦後の米国排日

関東大震災で日本支援に動いたのち米国黒人が白人に抵抗できなくなった経緯

米国黒人たちは彼らの尊厳を認めてくれる日本人を尊敬するようになっていた。1912年に関東大震災が起こり全米で日本に義捐金を送る動きがあったが、黒人向けメディアが日本支援を呼び掛け、貧しい黒人たちも立ち上がった。しかしながら、連邦政府は「排日移民法」を提出し、黒人と日本人とを引き離そうとした。
ユダヤ人問題関連

わが国に支社が存在したユダヤ人秘密結社に関する昭和初期の新聞記事を読む

引き続き「神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫」からユダヤ人問題に関する記事をいくつか紹介してみたい。 国際連盟脱退の背後にユダヤ人の組織が動いていたのか  最初に紹介したいのは、昭和8年2月23日の国民新聞の記事である。 昭和8年2月23...
第一次大戦後の米国排日

パリ講和会議で人種差別撤廃提案が否決されたのち米国で黒人暴動が多発した

第一次大戦後開催されたパリ講和会議で、わが国は国際連盟規約に人種差別撤廃を明記させようと動き、参加国の多数の賛同を得たものの、議長のウィルソン米大統領は全会一致でないことを理由に否決した。世界の有色人種はこの決定に失望し、米国では各地で暴動が起き、エジプトやインド、パレスチナなどでも暴動が起きた。
ユダヤ人問題関連

ユダヤ人問題に関する昭和初期の新聞記事を読む~~「ユダヤ人に悩まされる世界」「惑星ユダヤ人の動き」

前回はユダヤ人問題に関する大正時代の記事を紹介したが、今回は昭和初期の記事のいくつかを紹介したい。  銀行家の陰謀  最初に紹介したい記事は昭和6年10月19日付の大阪朝日新聞に寄稿された、津村秀松博士の「ユダヤ人に悩まされる世界」である。...
初期の米国排日

アメリカの黒人知識人たちは日露戦争後の排日運動をどうとらえたか

アメカの黒人たちは日露戦争に日本が勝利したことは、白人が有色人種を支配する神話を打ち砕いたとして歓迎し、日本人の後に他の有色人種が続いて白人優位の世界が崩壊していくことを期待した。白人たちはそうさせないために、『黄禍論』を全米に広めて、日本人とアメリカ黒人たちの分断を図った。
ユダヤ人問題関連

ユダヤ人問題に関する大正時代の新聞記事・解説を読む~~北海タイムス「過激主義の根原」

ロシア革命はユダヤ人による革命であった  以前このブログで、1917年に起きたロシア革命のことを書いた。レーニンらの活動家に資金を支援したのは、日露戦争でわが国に資金支援したユダヤ人のジェイコブ・シフらであり、革命が成就して生まれた新政府の...
初期の米国排日

日露戦争後に激化したカリフォルニア州の排日運動をアメリカの知識人はどう捉えていたか

『日米開戦の人種的側面』によると、カリフォルニア州の移民の1/4がアイルランド系で、サンフランシスコ市の労働運動をリードしていて、日本人排斥に特に熱心であった。このカリフォルニア州の排日運動が、マスコミにより1907年以降全米に広がるのだが、アメリカの「オレンジ計画」と無関係だとは思えない。
大阪

紫陽花の季節に北摂の久安寺、勝尾寺を訪ねて

「あじさい寺」で有名な北摂の寺院を参拝してきた。池田市の久宝寺は、本坊の門前にある具足池に「あじさいうかべ」が行われている時期が見頃である。「勝ちダルマ」で有名な箕面市の勝尾寺も、境内に三千六百株のあじさいが植えられていて、見頃を迎えている。
GHQ焚書

幕末以降西洋造船技術の導入に取組んだ先人たち~~「最新国防叢書」2

「最新国防叢書」の第10輯は、金谷三松著『海軍艦船機関の話』(GHQ焚書)だが、嘉永六年(1853年)にペリーが来航する以前から、蒸気船を自力で製造しようとした藩の話が出ている。 自力で蒸気機関を製造した薩摩藩  老中阿部正弘は安政の改革の...
初期の米国排日

日露戦争中に始まったカリフォルニア州地方紙の排日キャンペーン

カリフォルニア州への支那移民が禁止されると、代わって日本人が移住するようになった。しかしながら労働組合が低賃金で働く日本人を問題にするようになり、同州の新聞で排日キャンペーンが開始された。満州に商業的利益拡大を図っていた米国は、同州の排日の動きを利用し、その後全米に人種差別を煽って反日感情を焚きつけていく。
GHQ焚書

わが国の戦艦発達の歴史を知る~~「最新国防叢書」1

昭和13年に科学主義工業社から「最新国防叢書」シリーズ10点が刊行され、そのうちの4点がGHQにより焚書処分されている。今回はシリーズの第一輯、藤沢宅雄著『戦艦の話』の一部を紹介したい。 軍艦の種類  戦後は軍艦の種類について詳しく学ぶ機会...
初期の米国排日

鉄道王ハリマンの夢を打ち砕いた小村寿太郎

米国の鉄道王と呼ばれたハリマンが、ポーツマス会議の最中に訪日している。その目的は、彼の描いた世界一周通路の中の一つである南満州鉄道を日米共同で経営することを日本政府に提案するためであった。桂首相や井上馨はその提案に賛成し、桂は覚書に署名したが、ポーツマス会議から帰国した小村は反対した。
日清戦争・日露戦争

『日露戦役の思ひ出』を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書3

かつて陸軍省の中に「つはもの編輯部」という部署があり、兵士や国民向けに、兵士の書いた文章などを集めた「つはもの叢書」というシリーズ本が昭和8年から12年までに14点が出版され、そのうち3点がGHQ焚書に指定されている。今回は『日露戦役の思ひ...
義和団の乱から日露戦争

ロシアを確実に揺さぶった明石元二郎の謀略工作活動

日露戦争開戦のすぐ後に金子堅太郎が渡米した際に、旧友のヘンリー・アダムスから「1年もすればロシアに内乱が起こるので、その煽動をすれば勝てる」との提案を受けた。ロシアには明石元二郎が明治35年から諜報活動に携わっていたが、反政府活動分子と接触し本格的な謀略活動を開始するのは日露開戦後のことである。
日清戦争・日露戦争

ポーツマス会議全権随員・本多熊太郎の「講和外交秘話」を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書2

日露戦争に関するGHQ焚書リストの中に、時事新報社 編『日露戦争を語る. 外交・財政の巻』(昭和10年刊)という本がある。日露戦争の重要な交渉や会議などに関わった人物が、当時のことを回想して記した文章をまとめた本なのだが、簡単に目次と筆者の...
義和団の乱から日露戦争

ロシアが講和会議で強気の交渉が出来た背景と、講和条約に対する日本国民の怒り~~日露講和会議2

ポーツマス会議でウィッテがわが国に対して強気の交渉ができたのは、日本の連戦連勝が続き、主要各国が強い日本を次第に警戒するようになっていったことが大きかった。アメリカのサンフランシスコで排日プロパガンダが開始され、講和会議でわが国は譲歩するばかりであった。
日清戦争・日露戦争

日本海海戦前後に艦隊から離れたロシア艦のこと~~日露戦争に関するGHQ焚書1

「歴史ノート」で日本海海戦のことを二回にわたり書いてきた。 バルチック艦隊は、七ヶ月以上もの長い航海を続けてきたため将兵は相当疲労しており、船体にはフジツボなどの貝類が付着し、機関も摩耗していた。ロジェストウェンスキー司令長官にとっては、一...
国会図書館デジタルコレクション

国立国会図書館デジタルコレクションで大半のGHQ焚書が閲覧できるようになりました

国立国会図書館が、令和4年5月19日から「個人向けデジタル化資料送信サービス」を開始した、とのプレスリリースがでています。  このサービスの開始により、国立国会図書館のデジタル化した資料のうち、絶版などの理由で入手困難となっていた152万点...
義和団の乱から日露戦争

講和会議の交渉がわが国にとって厳しいものになることは当初からわかっていた ~~日露講和会議1

日本海海戦で日本海軍がバルチック艦隊を撃破すると、セオドア・ルーズベルト米大統領もそろそろ講和談判を開始した方が良いと考え、両国に講和談判を呼び掛け、ポーツマスで講和会議が開かれることとなったが、ロシアは当初から賠償金や領土割譲には応じないスタンスを崩さず、わが国は何度も譲歩を繰り返した。
GHQ焚書

英文で出版され、7ヶ国で翻訳出版された新渡戸稲造の『武士道』~~GHQが焚書処分した明治期の著作8

GHQの焚書リストを見ていると、なぜこんな本が焚書処分されたのかと思う本が少なくないのだが、新渡戸稲造の『武士道』もその一つである。 新渡戸稲造  この本は新渡戸がアメリカ滞在中の1899年(明治三十二年)にアメリカのフィラデルフィアで英語...
義和団の乱から日露戦争

わが連合艦隊がバルチック艦隊に大勝した~~日本海海戦2

連合艦隊とバルチック艦隊の主要な戦力を比較するとほとんど互角であったが、前者は長い航海で将兵は相当披露し、船も整備を必要としており、できればウラジオストックに戻ってから雌雄を決することを望んでいた。しかし、5月27日に日本海軍の信濃丸に艦隊を発見され、連合艦隊は出動の準備を整えた。
日清戦争・日露戦争

日露戦争のあと隻脚の僧侶となった市川禅海の『残花一輪』~~GHQが焚書処分した明治期の著作7

市川禅海(いちかわ ぜんかい)という人物の経歴がコトバンクに記されている。明治十六年に長野県中込村(現・佐久市)に生まれ、明治三十六年に海軍兵学校を卒業後、「日露戦争に参戦して負傷し、片足を切断する。明治四十二年剃髪し、修行のかたわら各地を...
義和団の乱から日露戦争

バルチック艦隊将兵の士気が高まらなかった事情~~日本海海戦1

バルチック艦隊は1904年10月にリバウ軍から出航した早々、英国漁船を日本海軍の水雷艇と誤認して撃沈する問題を起こし、ロシアは賠償金を支払ったが、その後英国は同艦隊が航路上にある中立の各国の港に寄港できないように圧力をかけ、ロシアと契約していた運輸会社に英国産の石炭の供給を止めるなどして航行の妨害を続けた。
日清戦争・日露戦争

水雷艇長として日本海海戦に従軍した水野広徳の『此一戦』~~GHQが焚書処分した明治の著作6

水野広徳は明治八年に愛媛県の三津浜(現松山市)に生まれ、幼少期に両親をなくして伯父に育てられたのだが、伯父の父の妻は秋山好古・真之兄弟の親戚だったという。松山中学を経て江田島の海軍兵学校を卒業し海軍の軍人となり、日露戦争では第四十一号水雷艇...
義和団の乱から日露戦争

日露戦争最大の陸戦となった奉天会戦で兵力の劣る日本軍が勝利できたのはなぜか

日露陸戦最後の大会戦となった奉天会戦はも兵力では圧倒的にロシア軍が優勢で、しかも日本兵は旅順攻囲戦で消耗していた。日本軍は兵力が少ないにもかかわらずロシア軍を包囲する戦略をとったが、これはリスクが高かったにもかかわらず成功した。ロシア側の記録を読むとロシア兵は乃木軍を恐れていたことがわかる。
日清戦争・日露戦争

日露戦争に騎兵として戦った由上治三郎の従軍手記『鉄蹄夜話』~~GHQが焚書処分した明治期の著作5

由上治三郎という人物については陸軍の軍人で第一軍の騎兵中尉として日露戦争で戦い、戦後に大尉になった人物であることぐらいしかわからないのだが、由上の唯一の著作『鉄蹄夜話』は明治四十四年に刊行された古い本である。  緒言(まえがき)に由上は、「...
義和団の乱から日露戦争

旅順要塞を短期間で落城させた乃木希典を世界が賞賛した~~旅順攻囲戦2

明治37年11月27日からの二〇三高地をめぐる戦いは壮絶を極めた。日本軍が勝利し、二〇三高地から旅順港の敵艦に砲撃を仕掛けて極東艦隊を全滅させると、乃木は旅順要塞に大量の爆薬を仕掛けて突入し次々と堡塁を奪取していき、翌年1月2日についに旅順要塞は落城した。世界は短期間で日本軍が勝利したことを賞賛した。
日清戦争・日露戦争

世界16ヶ国に翻訳された櫻井忠温の名著『肉弾』~~GHQが焚書処分した明治期の著作4

櫻井忠温(さくらい ただよし)の著書でGHQに焚書された本は、このブログでこれまで『常勝陸軍』と『子供のための戦争の話』の2冊を紹介させて頂いた。  しかし、櫻井の著作で最も有名なのは、明治三十九年(1906年)に出版された『肉弾:旅順実戦...
義和団の乱から日露戦争

わずかな兵力・火力で旅順要塞攻略を求められた乃木希典~~旅順攻囲戦1

明治37年5月に乃木希典が第三軍司令官に任ぜられ、旅順の奪取を命ぜられた。しかし、旅順の要塞は想像以上に堅固に造られており、弾薬も兵員も絶対的に不足していた。参謀本部は「歩兵万能主義」で、砲兵の力に依存しないで、「如何なる要塞も陣地も強襲にて攻略し得るもの」と考えであった。
日清戦争・日露戦争

日露戦争に出征した猪熊敬一郎の遺著『鉄血』を読む~~GHQが焚書処分した明治期の著作3

前回は「GHQ焚書」で、一兵卒として日露戦争に出征した大月隆仗の戦記である『兵車行』を採り上げたが、今回は歩兵第一連隊の小隊長として出征し、連隊旗手として軍旗を奉じて二〇三高地に突撃した猪熊敬一郎が書いた『鉄血』を紹介したい。この本は、猪熊...
義和団の乱から日露戦争

三度にわたり決行された旅順港閉塞作戦とその結果

明治37年2月9日に日本海軍は仁川沖海戦で勝利したが、その後ロシアの極東艦隊は旅順港内の奥に閉じこもってしまった。ロシアは旅順港の背後に旅順要塞を築き、数多くの砲台が設置されているために、日本海軍はこの港には容易に近づけなかった。そこで考案されたのが旅順港の狭い入り口を塞いでしまおうという旅順港閉塞作戦で、三度にわたり実行に移された。