神仏分離

京都

伏見稲荷大社近辺の古刹を訪ねて~~宝塔寺と石峰寺

伏見稲荷大社の南に宝塔寺という古刹がある。この寺はかつては極楽寺といい、源氏物語にも名前が出てきて、四脚門、本堂、多宝塔は国の重要文化財に指定されている。その北には石峰寺があり、江戸時代の画家・伊藤若冲がここで晩年を過ごし、五百羅漢の石像を製作している。
京都

伏見稲荷大社と稲荷山の山巡り

伏見稲荷大社の本殿参拝ののち千本鳥居を抜けて奥社奉拝所で参拝を済ませたのち稲荷山の山巡りにチャレンジしてきた。稲荷山は決して高い山ではないが、一周して本殿に戻るのに約二時間かかる。楼門の南に国学者の荷田春満旧宅がある。この人物は赤穂浪士に吉良邸の見取図や茶会の情報を教えたことが伝えられている。
大阪

国史跡日根荘に残された国宝慈眼院多宝塔から七宝瀧寺などを訪ねて~~泉南の神社仏閣その2

国史跡の日根野に慈眼院と日根神社があり、伝承によるといずれも秀吉の紀州攻めで焼かれたとされている。更に山に入ると火走神社があり、さらに進むと七宝瀧寺がある。この寺も秀吉の紀州攻めで焼かれたと伝わっている。なぜこんな山奥の寺までが焼かれたのだろうかと誰でも疑問に思うところだ。
廃仏毀釈・神仏分離

石清水八幡宮の神仏分離を追う

石清水八幡宮は、幕末までは神仏混交の宮寺で、山中から山裾にかけて多くの僧坊が建ち並び、僧侶による神前読経が行われていたのだが、明治元年の神仏分離令により残っていた二十三の僧坊が廃絶されてしまい、山内の景観は一変して多くの文化財が入札にかけられた。。参道沿いには多くの僧坊の跡が残されている。
廃仏毀釈・神仏分離

宮門跡の一つであった照高院が明治初期に失われたこと

男性皇族が出家して住職として居住する寺院を宮門跡というが、全国で十三あった宮門跡の寺院の一つであり伏見城の建物が移築されていた照高院は、明治の初期に取り壊されてしまった。跡地には石垣のみが残され、「照高院址」の石碑はなぜか別の場所に建てられている。
廃仏毀釈・神仏分離

廃仏毀釈と、架け替えられた京都四条大橋

「文明開化」で国を挙げて洋風化に取り組んでいた時期に、京都の四条大橋が鉄橋に架け替えられたのだが、この時に金属製の仏具類がその材料に用いられたとの記録が残されている。神仏分離令の後の廃仏毀釈もひどかったが、文明開化期にも文化財の多くが失われた。
京都

北野天満宮界隈を歩く~~上七軒、千本釈迦堂(大報恩寺)、北野経王堂願成就寺

北野天満宮の東側に京都最古の花街である上七軒があり、その北に千本釈迦堂として知られる大報恩寺があり、その本堂は現存する京都最古の建物で国宝に指定されており、新霊宝殿には快慶の木造十大弟子像など貴重な仏像を鑑賞できる。また境内には北野経王堂がある。
京都

梅の咲く季節に北野天満宮を訪ねてその歴史と明治期の神仏分離を振り返る

北野天満宮の「梅花祭」に行ってきた。境内に植えられた約1500本の梅が見頃を迎えていて、平日とはいえ想像していた以上の人出だった。 明治初期の神仏分離以前は多宝塔や鐘楼や毘沙門堂、経蔵などが存在し、本殿には懸仏が掛けられ、天台宗の勤行がなされていた。
スポンサーリンク