東南アジア

テーマ別焚書リスト

第二次世界大戦時日本領であった国々に関するGHQ焚書リスト

第二次世界大戦時の日本領  教科書などにはほとんど書かれていないのだが、わが国は第二次世界大戦に参戦後、わずか半年でアメリカ、イギリス、フランス、オランダの植民地であった東南アジアや太平洋の多くの島々を占領した。この地域でわが国がいかなる統...
GHQ焚書

小牧実繁 著『地政学上より見たる大東亜』(GHQ焚書)を読む~~1

戦後の長きにわたりタブー視されてきた「地政学」  「地政学(geopoliics)」という学問は、民族や国家の特質を、主として風土・環境などの地理的空間や条件から説明しようとする学問であるが、小牧実繁は戦前・戦中においてこの分野で活躍した代...
GHQ焚書

マレー、シンガポールに関するGHQ焚書を読む~~『昭南島』『昭南島の日章旗:マレー戦線従軍記録』

イギリスはなぜシンガポールに大要塞を築いたのか~~室賀信夫著『昭南島』  昭和十七年二月にシンガポールの戦いで日本軍が勝利したことにより日本による統治が始まり、シンガポールは「昭南島(しょうなんとう)」とその名を改められたのだが、昭和二十年...
欧米の植民地統治

ミャンマー(旧ビルマ)の歴史をGHQが封印した理由~~『ビルマ読本』

ミャンマーは、今年に入って国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問らを拘束したニュースが流れたが、この国はかつてビルマ国と呼ばれイギリスの植民地であった。  日中戦争で重慶の蒋介石政権を追い込むことができずにいた日本軍は、援蒋ル...
GHQ焚書

GHQが焚書にしたタイ国や山田長政について書いた書籍~~『タイ国通史』『泰国風物詩』

GHQが焚書にした本の中には、タイ国関連の書籍がいくつかある。タイ国はかつて「シャム(暹羅)」という国名が定着していたが、1939年にピブーン首相が国名をタイに変更し、1945年にセー二―内閣が再びシャムに戻したが、1949年に政権に返り咲...
欧米の植民地統治

オランダの三百年にわたる植民地統治手法~~GHQに焚書処分された『蘭印現状読本』『蘭印の設営』

オランダは、 江戸時代初期から幕末に至るまで、西洋諸国では唯一わが国が外交貿易関係を維持し続けた国だが、第二次大戦では オランダ領東インド政庁が独断で宣戦布告し、わが国と戦った国でもある。  戦前は現在のインドネシアやボルネオ、西ニューギニ...
欧米の植民地統治

GHQが戦後の日本人に封印したフィリピンの歴史~~奈良静馬『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』

今から六年ほど前に奈良静馬著『西班牙(スペイン)古文書を通じて見たる日本と比律賓(フィリピン)』という本を「国立国会図書館デジタルコレクション」で見つけて読んだときに、倭寇や豊臣秀吉に対する見方が変わってしまった。この本には、戦後の歴史叙述...
欧米の植民地統治

GHQに没収・廃棄されたアジア・東洋をタイトルに含む書籍~~『大東洋の危機 : 英国よアジアより手を引け』

第二次世界大戦が起きる前のアジアは、タイ国と日本を除いてはすべてが欧米列強の植民地であった。彼らの植民地統治が如何なるものであったかは戦後の日本人にはほとんど知らされていないが、戦前の日本人は欧米に侵略され続けてきたアジアの歴史について解説...
欧米の植民地統治

GHQが焚書処分したフランス、フランス植民地に関する本~~田沢丈夫『仏印事情』

GHQ焚書のリストからフランスに関する本を探していると、没収廃棄されて戦後の日本人に読めなくされている本は、フランス本国に関する本よりもフランスの植民地に関する本が圧倒的に多い。  今のベトナム・ラオス・カンボジアは戦前はフランスの植民地で...
朱印船貿易と東南アジアの日本人

シャムで活躍した山田長政とアユタヤの日本人町~~朱印船貿易と東南アジアの日本人4

現在のタイ国のアユタヤにも日本人町があった。16世紀の半ばからタイ国との交易が始まりその後日本人が住み着くようになり、寛永の末期には商人や、武勇を買われて王室に仕える者など8千人余の日本人が居住していた。山田長政はソンタム国王に認められ重用された記録があるが、その後江戸幕府が日本人の海外渡航と海外日本人の帰国を禁止し、アユタヤの日本人町は衰頽の一途をたどることとなる。
朱印船貿易と東南アジアの日本人

フィリピンの日本人町はどういう経緯でつくられたのか~~朱印船貿易と東南アジアの日本人3

1571年にスペインはフィリピンを征服し植民地としたが、その時点ですでにマニラには日本人・中国人が貿易の為に居住していた。その後スペインと我が国との交易が始まりマニラの日本人が増加したが、豊臣秀吉がフィリピン総督に降伏勧告状を出したことから、総督は日本人が敵対することを怖れて日本人を一定の場所に居住させた。そうして日本人町が出来た。
朱印船貿易と東南アジアの日本人

秀吉が朱印船貿易を開始する前後のフィリピン~~朱印船貿易と東南アジアの日本人2

日本人は古くからルソン島に居住し、日本商人による交易が行われていた。しかしスペインがフィリピンを侵略したため、日本商人の商圏が奪われ、スペイン人と対立することとなる。豊臣秀吉は、フィリピン総督であるスペイン人のダスマリナスに三度にわたり降伏勧告状を送っている。その内容にスペイン人は恐懼している。
朱印船貿易と東南アジアの日本人

秀吉が南蛮貿易を奨励して以降、外国との貿易はどう変わったか~~朱印船貿易と東南アジアの日本人1

秀吉は海外貿易を行う商人に朱印状を与えて貿易統制したが、江戸時代には日本との交易が禁じられていた明商人にも朱印状が発行されている。南蛮貿易が活発化して、東南アジア各地に日本人町が発達し多くの日本人が移り住んだが、ポルトガル船により多くの日本人奴隷も送られた。後に江戸幕府は武器・奴隷・傭兵の禁輸令を出している。