中国・支那

欧米の植民地統治

欧米列強による中国侵略~~『アジア侵掠秘史』を読む:その3

中国周辺から中国本土侵略へ  戦後出版された本では中国周辺諸国や中国本土が欧米列強に侵略されていったことについては、詳しく書かれている本は少ないと思うのだが、桑原三郎『アジア侵掠秘史』(GHQ焚書)第十七章には次のように記されている。  わ...
中国関連

満州事変後の中国の世論工作~~大泉忠敬『支那新聞排日ぶり』(GHQ焚書)を読む その2

前回に引き続き、『支那新聞排日ぶり』の内容の一部を紹介しよう。 満州事変直後、ソ連もアメリカも出兵したと報じた中国  今もお隣の国の報道をそのまま信用することは危険だが、その点については昔も同様で、この国の新聞は平気で世界に嘘情報をまき散ら...
中国関連

中国は満州事変をどう伝えたか~~大泉忠敬『支那新聞排日ぶり』(GHQ焚書)を読む その1

大泉忠敬『支那新聞排日ぶり』(GHQ焚書)は、満州事変の発端となった柳条溝事件から1か月も経たないうちに発刊された本で、中国がこの満州事変を自国民や世界にどのように伝え、どのように行動したかが克明に記されている。
張作霖爆殺事件

「張作霖爆殺事件」の真相を追う~~その3

ソ連には以前より張作霖暗殺計画が存在した。1926年の時は爆弾が発見されて失敗したが、1928年の計画書には「日本軍に疑いがかかるように行われること」が明記されており、張学良と関東軍を巻き込んで、計画通り張作霖殺害の罪は日本に着せることに成功したことになる。
張作霖爆殺事件

「張作霖爆殺事件」の真相を追う~~その2

張作霖爆殺事件は関東軍大差であった河本大作が殺害を認める発言をし、現場には関東軍がやったと疑われる工作がなされていたことから、政府も関東軍を疑った。しかし、現場に残された状況を調べると河本の証言内容と著しく矛盾していた。
張作霖爆殺事件

「張作霖爆殺事件」の真相を追う~~その1

昭和3年6月4日、中華民国陸海軍大元帥の張作霖を乗せた特別仕様の列車が、瀋陽駅に到着する寸前で爆破され、張作霖は瀕死の重傷を負い数時間後に死亡した。この事件に関する当時の報道や記録は、戦後のこの事件に関する解説とは大きく異なる。英国の公文書にはソ連に犯罪の責任があると書かれているのだが、最近のロシアの研究者の結論と同じである。
歴史ノート

小松緑「赤化運動の経緯」を読む 2

赤化(共産主義化)はどこの国でも起こり得る 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 思想問題(5-007)  前回紹介した小松緑「赤化運動の経緯」(中外商業新報:昭和三年九月二十四日~十月一日)の続きだが、小松は共産主義思想は、資本主義でない...
歴史ノート

小松緑「赤化運動の経緯」を読む 1

小松緑は明治大正期の外交官で、アメリカ公使館書記官,朝鮮総督府外務部長など勤め、大正五年(1916年)に退官後は著述家として活躍した。 小松緑(Wikipediaより)  十冊程度の著書を残しているようだが、電子図書で『明治外交秘話』という...
韓国併合への道

日露戦争緒戦で日本軍が勝利したのを見て親日に一変した韓国

日露戦争緒戦で日本が勝利すると韓国は俄に態度を親露から親日に一変させ、日韓議定書が締結され、財政と外交の顧問を受け入れることに同意した。わが国は同国を近代化させるために保護国化したのだが、当時の韓国は非常に貧しく、英米はわが国の対韓措置に異議を挟まなかった。
ソ連・コミンテルン

佐々木一雄『日本の脅威 武装の赤露』を読む~~その3

共産主義国家・ソ連という国  前回に引き続き、佐々木一雄著『日本の脅威 武装の赤露』の一部を紹介したい。  共産同志と彼ら政権は「被圧迫民族を解放する」と大声に叫びながら、国内における自己の民族を圧迫している。しかもその状態が世界に現れぬよ...
韓国併合への道

日本が近代国家に改革しようとした李氏朝鮮を狙ったロシア

李氏朝鮮は当初から中国の属国であり、中国の属邦の中でも貧しく地位も低かったのだが、日清戦争でわが国が勝利して、晴れて独立国家となることができた。しかしながらこの国は兵力も乏しく、いつロシアに占領されてもおかしくなかった。わが国は朝鮮が近代国家に改革され、自立した国家となることを熱望していた。
共産主義関連

蒋介石はいかにして英米を味方につけたのか

蒋介石はドイツ軍事顧問たちのアドバイスを受け、上海の国際租界で日本軍に対する攻撃を仕掛けたが、日本軍は蔣介石の攻撃の意図を理解し、他国の干渉を招く原因となる行動はとらなかった(第二次上海事変)。その後蒋介石はプロパガンダを強化して、嘘で世界のシンパシーを獲得することに成功する。
共産主義関連

当時のアメリカ人ジャーナリストが記した中国の排日・抗日運動

中国で排日運動を英米が仕掛けたことを、当時アメリカ人ジャーナリストであったフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが、1938年11月に出版した”Behind the News in China”(邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)に記している。その後わが国はなぜ日中の戦争に巻き込まれたのか。
国会図書館デジタルコレクション

ユダヤ財閥が世界的に影響力を持つに至った経緯~~「国際秘密力研究叢書」を読む5

前回に引き続き「国際秘密力研究叢書」シリーズの本を紹介させて頂く。今回は叢書の第十一冊の鹿島健 著『英国を支配するユダヤ力』(昭和十六年刊)である。著者の鹿島健は昭和十七年に同文館より『米国に於けるユダヤ人問題』を刊行した人物であることはわ...
共産主義関連

中国の共産主義化と抗日運動

満州国の独立に刺激されて、内蒙古が中国から独立する機運が盛り上がった。蒋介石は八万の大軍を送り込んで内蒙古軍を制圧したが、その際に全国民に対して民族戦の決起を促したために、中国全土で抗日の機運が盛り上がった。中国共産党は蒋介石を監禁して共産党と手を握らせ、共産党殲滅作戦を止めさせるとともに彼を抗日に転換させた。
国会図書館デジタルコレクション

ユダヤ人はいかにして世界を撹乱してきたか~~「国際秘密力研究叢書」を読む4

前回に引き続き、『今次大戦と裏のニュース 【世界猶太(ユダヤ)情報】』(国際秘密力研究叢書10)という本の一部を紹介したい。当時の非ユダヤ系報道機関が伝えてくれていたことは、現在の世界情勢を理解するうえでもヒントになる内容が少なからずある。...
共産主義関連

英米が仕掛けた「排日」に中国人が積極的に取組み「抗日」に至った経緯

英米が仕掛けた「排日運動」は、日本人に対して長い間民族的嫉妬心を抱いていたに中国人に火をつけ、英米と同様に日貨排斥を行った。当初から排日教育が行なわれて、共産主義青年団員が排日運動をリードするようになると、その後国民党が国策として取り組むようになり、抗日暴動が頻発するようになる。
共産主義関連

中国の排日運動がその後反帝国主義運動となり日本だけが排斥された経緯

中国の排日運動は、当初は英米が中国大陸から日本を排除する目的で仕掛けたものだが、中国大陸の赤化を狙っていたソ連が中国共産党に反帝国主義運動を始めさせ、最初にイギリス租界に鉾先を向けた。イギリスは租界を返還して反英の動きを止め、さらに蒋介石を抱き込んで、鉾先を日本に向けさせた。
国会図書館デジタルコレクション

支那事変でユダヤ人は何をしたのか~~「国際秘密力研究叢書」を読む2

今回は「国際秘密力研究叢書」シリーズの二回目で、赤池濃著『支那事変と猶太(ユダヤ)人』(国際秘密力研究叢書4:昭和14年刊)を紹介したい。著者の赤池濃(あかいけ あつし)は内務官僚で、朝鮮総督府の内務局長、警務局長などを歴任後、大正十二年(...
共産主義関連

英米が排日運動を仕掛けたのは中国だけではなかった

中国の排日運動の始まりである1919年の「五四運動」に英米人が関与していたことは、当時のわが国の新聞にも多数報道されている。また、朝鮮半島で起きた三・一独立運動も米国宣教師が関与していたと報じられている。これらは、同年一月にわが国がパリ講和会議で人種差別撤廃案を提出したことと無関係だとは思えない。
共産主義関連

北京で排日運動が開始された背後に英米人の煽動があった

1919年のパリ講和会議でわが国が提案した人種差別撤廃案が否決された22日後に、北京で最初の排日運動(五四運動)が行われている。当時北京の民家に下宿していた長野朗が当時のことを記録しているが、支那の排日運動を煽動したのは英米人であった。彼らは黄色人種間の分断と、支那において日本が開拓した市場を狙っていた。
GHQ焚書

坪谷善四郎 著『北清観戦記』を読む~~GHQが焚書処分した明治期の著作1

GHQが焚書処分したのは昭和時代に刊行された本が大半だが、たまに明治時代に刊行されたものが没収廃棄されている。GHQが没収したのは一般の書店で流通している本やパンフレットであり、古書まではその対象としていなかったのだが、明治期に刊行された戦...
義和団の乱から日露戦争

義和団による暴動をチャンスとし、満州占領に動いたロシア

義和団が天津や北京で暴れ、八ヵ国連合軍が義和団の暴徒らと戦っている最中に、ロシアは満州に大軍を送り込んでいる。ロシア軍は十月には全満州を占領してしまうのだが、満州におけるロシア軍は、ブラゴチェンスク居住の支那人三千人を虐殺し、黒龍江(アムール川)に沈めるなどひどいものであり、日本人に大きな衝撃を与えた。
義和団の乱から日露戦争

義和団の暴徒に囲まれた北京の各国公使館区域全滅の危機

日清戦争に大敗した清国に対し、列強諸国が利権獲得に動き出した。自国の中を外国人勢力が跋扈するようになると、1899年に山東省に起こった義和団は「扶清滅洋」を唱えて排外活動を始め、それが瞬く間に清国全土に拡がっていった。攘夷主義者の西太后は、義和団に北京の公使館区域を襲わせたため、区域に住む約四千人が孤立無援の状態になってしまった。
朝鮮半島情勢と日清戦争

三国干渉に激昂した人々と尾崎行雄らの政府弾劾決議案

露独仏の三国干渉により、下関条約で獲得した遼東半島を清国に返還することを余儀なくされた。世論を鎮静させるために、明治天皇が「遼東還付の詔勅」を発されたが、国民の怒りは収まらず、議会では政府の失政を糾弾する動きがあり、政府は言論を弾圧した。明治29年の第9回帝国議会で尾崎行雄が登壇し、内閣を弾劾する上奏案が提出された。その後、政府も軍備増強の急務を認識した。
戦争文化叢書

ソ連・コミンテルンによる中国の赤化工作を知る~~「戦争文化叢書」を読む6

前回に引き続き満田巌著『日本世界戦争』の文章を紹介したい。戦後に書かれた著作では、中国で民族運動が昂揚した背景にどこの国が関与していたかについて触れることは皆無に近いのだが、この書物には詳しく記されている。 ソ連・コミンテルンによる中国の赤...
朝鮮半島情勢と日清戦争

三国干渉に直面したわが国と主要国の動き

三国干渉を主導したロシア  日清戦争でわが国は世界の予想を裏切って清に圧勝し、講和談判が下関で行われて、明治二十八年(1895年)四月十七日に講和条約(下関条約)が調印された。  この条約によって清国はわが国に①朝鮮の独立②遼東半島・台湾・...
朝鮮半島情勢と日清戦争

連戦連勝の日清戦争と下関講和交渉の決着

明治27年7月に豊島沖海戦、成歓の戦に圧勝したのち、平壌の戦、黄海海戦、鴨緑江作戦、旅順口の戦い、威海衛の戦いと連戦連勝し、28年3月には遼東半島全域を占領し、いよいよ首都北京に迫ろうとした。とうとう清は全権大使李鴻章をわが国に派遣し、下関で講和にむけての交渉を開始させた。
朝鮮半島情勢と日清戦争

東学党の乱とその後の日清両国の動き

1894年4月に朝鮮半島南部で「東学党の乱」が起きたが、朝鮮国の軍隊では鎮圧が出来ず、朝鮮政府は清国に援助を求めている。一方わが国では、清国が朝鮮半島に出兵したことは国防上の危機と捉え、わが国も朝鮮半島に出兵することを決定した。 大鳥公使は朝鮮政府に対し、内政改革と清国軍の撤退、清朝間の宗属関係の解消を要求した。
朝鮮半島情勢と日清戦争

朝鮮半島を狙ったロシア・イギリスと李氏朝鮮の国情

甲申事件の後明治十八年に日清間で締結された天津条約によって日清両軍は朝鮮より撤兵したが、今度はロシアや英国が朝鮮半島に進出しようとし、英国は巨文島を占領した。朝鮮国の近代化を図ろうとした朝鮮独立党の金玉均は甲申事変ののち日本に亡命したが、のちに上海に呼び出されて暗殺された。この暗殺に清国政府が関わっていたことは明らかであり、日本国内で暴支膺懲の声が高まった。
朝鮮半島情勢と日清戦争

開国後の朝鮮国をめぐる日本・清国の対立

日朝修好通商条規締結後の朝鮮は、金弘集の進言により積極的開国に転じるようになった。しかし1882年に旧軍兵が政権に不満を抱く下層市民を巻きこむ大暴動(壬午事変)が起き、この鎮圧を清国軍に頼ったことからその後ソウルに清国軍が駐留し、清国は軍事力を背景に宗主権の強化再編に乗り出した。金玉均らが清国に阿る守旧派一掃を企てて甲申事変を起こすが失敗した。
戦争文化叢書

支那事変でわが国が「敵国」と認識していたのはイギリスだった~~「戦争文化叢書」を読む1

大半がGHQに焚書処分された『戦争文化叢書』  昭和十四年(1939年)から十六年(1941年)にかけて、世界創造社という出版社から『戦争文化叢書』というシリーズ本が出版されている。全部で三十五冊の本が刊行されているのだが、そのうち二十九冊...
中国関連

満州国を攪乱したソ連と支那共産党~~『少年満州事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む4

ソヴィエト連邦の極東政策  今回も『少年満洲事変と上海事変』の文章を紹介したい。満州国が建国されたのち、極東の情勢がどのように変わったかについて、戦後出版された教科書などにはあまり記されていないのだが、昭和11年に青少年向けの本に書かれてい...
中国関連

第一次上海事変はなぜ起きたのか~~『少年満州事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む3

戦後の教科書ではなぜか触れることが少ない第一次上海事変  前回の記事で、昭和11年に出版された『少年満州事変と上海事変』に、満州事変勃発から満州国の成立についてどう記されているかを紹介した。今回は引き続き第一次上海事変についての解説を紹介し...
征韓論から士族の反乱

大久保利通が台湾出兵を決断し、自ら清国との談判に臨み賠償金を獲得したこと

明治4年に宮古島の船が台湾に漂着して、船員の衣類が略奪され54名が虐殺される事件があった。その後も同様の事件が続き、台湾を膺懲せよとの世論が高まって行った。大久保利通は明治六年に征韓論に反対し、西郷隆盛らが下野する原因を作った人物だが、その4か月後に、木戸孝允の反対を押し切って征台論を主張し、台湾出兵を実行した。
中国関連

GHQ焚書に描かれた、支那事変(日中戦争)における支那軍の戦い方

当時の支那軍の兵力は世界最大規模であった  小学生であった頃に実家の寺の世話方さんから少しだけ戦争の話を聞いたことがある。5分程度の短い話だったと思うが、実際に支那事変に行かれた方で「南京大虐殺なんかなかった。新聞は嘘を書いている」「支那兵...
GHQ焚書

GHQが焚書にしたタイ国や山田長政について書いた書籍~~『タイ国通史』『泰国風物詩』

GHQが焚書にした本の中には、タイ国関連の書籍がいくつかある。タイ国はかつて「シャム(暹羅)」という国名が定着していたが、1939年にピブーン首相が国名をタイに変更し、1945年にセー二―内閣が再びシャムに戻したが、1949年に政権に返り咲...
GHQ焚書

GHQが焚書処分した陸軍関係書籍~~『われ等の日本陸軍』、『支那陸軍改造論』

GHQが焚書処分した陸軍に関する書籍は結構多いのだが、今回は『われ等の日本陸軍』という本に、日清戦争勃発時における両国軍の戦力について述べられている。  この頃、清国は国も広く、住民も多く、したがって兵力も日本とはくらべものにならぬ程多かっ...
長野朗

GHQ焚書に描かれた、中国の排日運動を操った国~~長野朗『支那三十年』

前回の「GHQ焚書」で、長野朗著『民族戦』の一節を紹介したが、今回は、同じ著者の『支那三十年』(昭和十七年刊)の文章を紹介したい。長野朗は、中国で排日運動が始まった大正八年(1919年)に北京にいて、身近でその動きを観察した人物である。この...
中国関連

GHQに焚書処分された中国関係書籍~~笠井孝『裏から見た支那人』

戦後GHQは7千点以上の書籍を没収・廃棄して、戦後の日本人に読めないようにしたのだが、焚書処分した書籍の内容を国別に分類すると、一番多いのは中国に関する書籍である。  書籍のタイトルに「中(国)」「中華民国」「支那」「シナ」「支(那)」など...
中国

アヘン戦争、アロー号事件のあとイギリスが中国に押しつけた不平等条約

インド産アヘンの最大の輸出先は中国であった  前回の記事で、イギリスがインドを世界最大のアヘンの生産地としたことを書いた。アヘンはインドでは幼児の頃から吸引することが推奨されていたが、大半のアヘンは外国に輸出され、最大の輸出先はシナ(中国)...
欧米の植民地統治

GHQにより没収・廃棄されたアヘン戦争、アロー号事件に関する書籍リスト

戦後GHQは多くの書籍を没収廃棄しましたが、戦勝国にとって都合の悪いことが書かれた書物がかなりの割合に及ぶことが分かります。  イギリスのインド統治についてもそうですが、アヘン戦争やアロー号事件はイギリスにとっては隠したい真実であり、これら...