兵庫

塩で栄えた城下町赤穂  赤穂旅行1

兵庫県赤穂市は三十年ほど前に友人の家族と一緒に旅行して赤穂城跡を訪ねたこと以外はあまり覚えていないのだが、赤穂周辺で行きたい場所がいくつかあったので、旅程を組んで行ってきた。 赤穂城跡と大石神社  最初に赤穂城跡(赤穂市上仮屋1424-1)...
兵庫

明石の古社寺と明石城跡を訪ねて 

明石市を観光で訪れる人はあまり多くないと思うのだが、色々調べると結構面白そうな寺や神社などがあるので、先日散策して来た。 御厨神社  最初に訪れたのは明石市二見町東二見1323にある御厨神社(みくりやじんじゃ)。この神社の由緒は火災で記録を...
兵庫

丹波篠山の桜を訪ねて…文保寺、宇土観音、篠山城跡等

文保寺  前回記事で丹波市の桜を紹介させていただいたが、常照寺から丹波篠山市に向かう。丹波篠山市の寺社では高蔵寺が桜の名所として有名だが、枝垂れ桜の開花が遅かったのでパスして文保寺(ぶんぽうじ:丹波篠山市味間南1093)に向かう。  文保寺...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

鳥取県が消滅し、鳥取城が破壊され、鳥取最大の祭も失われた~~鳥取県再設置1

旧藩時代において鳥取藩は山陰地方で最大の藩であったのだが、明治九年九月六日に、格下であったはずの島根県の県令から鳥取県庁に宛てて「今般鳥取県は本県と合併される」旨の布告が届いたのだが、主に鳥取の士族はこの命令に憤った。それから五年間にわたり「鳥取県」が地図から消え、その間に鳥取城が破壊された。
廃仏毀釈・神仏分離

藩主自らが率先して廃仏毀釈を推進した苗木藩の事情

苗木藩の遠山家は一万石の譜代大名であったが、幕末期は幕府の要請により大阪警備や第二次長州征伐に兵を出し、藩主遠山友禄は若年寄を勤めて幕府に協力した。しかし鳥羽伏見の戦いの後、新政府の施策を率先して行うことでなんとかして生き延びようと考え、平田派の復古神道の考えを藩内に浸透させ、徹底的な廃仏毀釈を行った。
豊臣秀吉

秀吉の紀州攻めで多くの寺社が焼かれた理由~~紀州攻め1

天正十二年の小牧・長久手の戦いで秀吉は織田・徳川連合軍と戦ったが、根来・雑賀衆は織田・徳川方につく一方、秀吉の留守を狙って堺や大坂に攻め入り、建築中の大坂城等を破壊した。秀吉は小牧・長久手の戦いを終結させ、根来・雑賀衆を滅ぼすために紀州攻めを決行。その際に多くの寺社が焼かれている。