長野朗

長野朗

支那事変に到る道 長野朗『民族戦』(GHQ焚書)を読む5

支那の対日戦略の変遷 漢民族が満州に大量移住し多数を占めるようになると、漢人たちは満洲から蒙古人を追い出し、満洲人を圧迫して同化させ、次いで朝鮮人を圧迫し、最後に日本人に様々な圧力...
長野朗

満州における漢人と日本人 長野朗『民族戦』(GHQ焚書)を読む4

漢民族の満州発展満州の首都 新京 もともと満州は満州民族の故地でありかつては漢民族はわずかしかいなかったのだが、清朝末期ごろから漢民族の移住が始まっていた。日露戦争後の講和条約でわ...
長野朗

満州における漢人の朝鮮人圧迫 長野朗『民族戦』(GHQ焚書)を読む3

漢人は満州の朝鮮人を圧迫した間島省地図 東に琿春県がある 前回記事で、もともと漢人が殆んど住んでいなかった満州と東蒙古に大量の漢人を移住させて満州人を追い払い、漢人の支配地としたこ...
長野朗

消し去られた満州人 長野朗『民族戦』を読む2

満州漢人化運動 前回記事で本土で暮らせなくなった漢人が大量に満州に移住したことを書いたが、満州人の故地であり、かつては住民の大半が満州人であった満州に大量の漢人移民を送り込んで漢人...
長野朗

中国の領土拡大方法を考える 長野朗『民族戦』(GHQ焚書)を読む1

長野朗は陸軍の軍人で、辛亥革命後大正元年(1912年)に中国に派遣され、大正八年(1919年)に北京に留学して五・四運動などの動きを目の当たりにし、1924年に帰京後は拓殖大学教授...
長野朗

GHQ焚書に記された支那軍の戦い方 『遊撃隊・遊撃戦』を読む その2

前回に引き続き長野朗の『遊撃隊・遊撃戦』の内容の一部を紹介させていただく。「遊撃戦」というのは、不正規戦、ゲリラ戦のような武力を用いる戦いだけではなかったのだが、戦後の歴史叙述では...
支那排日

満州事変後に支那排日運動が再び激化した  支那排日5

一面抵抗、一面交渉 前回の歴史ノートで満州事件のきっかけとなった柳条湖事件が起きるまでの支那の排日運動がいかなるものであったかについて述べて来たのだが、満州事変以降は支那の排日運動...
支那排日

支那の排日運動の主役が共産勢力に変わった 支那排日2

前回の「歴史ノート」で支那の排日運動が始まったのは大正八年(1919年)で、当時北京の支那人の家に下宿した長野朗の『支那三十年』(GHQ焚書)によると、初期における支那の排日運動の...
支那排日

支那の排日運動は英米が仕掛けて広がった 支那排日1

五四運動から支那の排日運動が始まった 支那の排日運動が本格化したのは大正八年(1919年)からなのだが、中国研究者の長野朗が昭和十七年に著した『支那三十年』に、支那で排日運動が起こ...
共産主義関連

中国の排日運動がその後反帝国主義運動となり日本だけが排斥された経緯

中国の排日運動は、当初は英米が中国大陸から日本を排除する目的で仕掛けたものだが、中国大陸の赤化を狙っていたソ連が中国共産党に反帝国主義運動を始めさせ、最初にイギリス租界に鉾先を向けた。イギリスは租界を返還して反英の動きを止め、さらに蒋介石を抱き込んで、鉾先を日本に向けさせた。
共産主義関連

北京で排日運動が開始された背後に英米人の煽動があった

1919年のパリ講和会議でわが国が提案した人種差別撤廃案が否決された22日後に、北京で最初の排日運動(五四運動)が行われている。当時北京の民家に下宿していた長野朗が当時のことを記録しているが、支那の排日運動を煽動したのは英米人であった。彼らは黄色人種間の分断と、支那において日本が開拓した市場を狙っていた。
長野朗

長野朗の『支那の真相』、『我等世界に何を学ぶ可き乎』を読む

このブログで長野朗(ながの あきら)の著書をいくつか紹介させて頂いたが、長野は戦前の代表的な中国通で多くの著書を残している。彼の著書のうち十八点がGHQ焚書図書となっており、没収さ...
長野朗

GHQ焚書に描かれた、中国の排日運動を操った国~~長野朗『支那三十年』

前回の「GHQ焚書」で、長野朗著『民族戦』の一節を紹介したが、今回は、同じ著者の『支那三十年』(昭和十七年刊)の文章を紹介したい。長野朗は、中国で排日運動が始まった大正八年(191...
長野朗

GHQ焚書・長野朗著『民族戦』に描かれた、漢人の侵略の仕方

12年前に西尾幹二氏が書き始めた『GHQ焚書図書開封』シリーズで、多くのGHQ焚書が紹介されているが、中国関係の書籍では西尾氏は長野朗(ながの あきら:1888~1975年)の著書...