関東軍

白柳秀湖

戦前の日本外交は何を誤ってきたのか……白柳秀湖『日本外交の血路』を読む1

白柳秀湖(しらやなぎ しゅうこ)は、早稲田大学文学部哲学科に在学中に堺利彦・幸徳秋水らの影響を受け社会主義思想に接近し、プロレタリア文学運動の先駆となる作品をいくつか残したが、大逆事件以後社会主義とは縁を切り、文学ともはなれ、在野の歴史家、...
張作霖爆殺事件

「張作霖爆殺事件」の真相を追う~~その3

ソ連には以前より張作霖暗殺計画が存在した。1926年の時は爆弾が発見されて失敗したが、1928年の計画書には「日本軍に疑いがかかるように行われること」が明記されており、張学良と関東軍を巻き込んで、計画通り張作霖殺害の罪は日本に着せることに成功したことになる。
張作霖爆殺事件

「張作霖爆殺事件」の真相を追う~~その2

張作霖爆殺事件は関東軍大差であった河本大作が殺害を認める発言をし、現場には関東軍がやったと疑われる工作がなされていたことから、政府も関東軍を疑った。しかし、現場に残された状況を調べると河本の証言内容と著しく矛盾していた。
張作霖爆殺事件

「張作霖爆殺事件」の真相を追う~~その1

昭和3年6月4日、中華民国陸海軍大元帥の張作霖を乗せた特別仕様の列車が、瀋陽駅に到着する寸前で爆破され、張作霖は瀕死の重傷を負い数時間後に死亡した。この事件に関する当時の報道や記録は、戦後のこの事件に関する解説とは大きく異なる。英国の公文書にはソ連に犯罪の責任があると書かれているのだが、最近のロシアの研究者の結論と同じである。