備中松山城から高梁市内観光と誕生寺へ 岡山県の歴史散策2

岡山

備中松山城

 岡山県西部を流れる高梁たかはし川は吉井川や旭川と並ぶ岡山三大河川の一つで、その中流にある現在の高梁市は江戸時代から昭和初期までは高瀬舟が行き交い、物資の集散地として賑わっていたのだが、この川の名前は『日本書紀』では「川島川」と書かれており、近世では「備中松山」にちなんで「松山川」と呼ばれていた。この川の名が「高梁川」と名前が変わるのは明治初期のことで、同様に「備中松山」の地名が「高梁」と変わったのもその頃のことだという。この点については後述する。
 そしてJR備中高梁駅を中心とする市街地の北に地元で「おしろやま」と呼ばれている臥牛山があり、この山には、北から「大松山」、「天神の丸」、「小松山」、「前山」の四つの峰がある。そして小松山の山頂を中心に備中松山城(国重文)が建っている。天守が現存する城は全国で十二あるのだが、山城ではこの城だけしか残されていない。

「備中松山城惣絵図」延享元年頃 部分 『日本の古地図 5』p.15

 備中松山城の歴史は古く、承久の乱(1221年)の後に有漢うかん郷(現 高梁市有漢町)の地頭に任ぜられた秋庭重信あきば しげのぶが臥牛山の大松山に砦を築いたことで始まると伝えられている。
 その後、南峰の小松山にも曲輪が拡がっていったが、戦国時代に城主が上野氏、庄氏、三村氏と変わるなかで、さらに出丸や出城が設けられて臥牛山一円が要塞化していった。
 関ヶ原の戦いの後は備中国奉行の小堀正次・政一父子が城番を務めたが、小堀政一は庭造りの名手として有名な小堀遠州のことである。遠州が備中国にいた時に造園したと言われる頼久寺庭園が、高梁市の中心部に残されている。この庭園については後述する。
 その後元和三年(1617年)に備中松山藩が立藩され、池田氏が入城。以降水谷みずのや氏、安藤氏、石川氏と藩主が交代し、延享元年に(1744年)に板倉氏が入り、明治維新まで続いたという。

板倉勝静

 慶応四年(1868年)に戊辰戦争が始まったが、藩主の板倉勝静かつきよは江戸幕府で老中首座を務めていたために朝敵と見做され、備中松山藩は危機的な状況に陥った。後に閑谷学校を再興した山田方谷らは「無謀な戦いを避け、藩の存続を図るしかない」と考え、藩は無血開城を決断し新政府軍に降伏。この決断により城も城下町も攻撃されることなく岡山藩の支配下に置かれている。その後明治二年(1869年)に明治新政府から改名を要求され、「備中松山藩」が「高梁藩」と改称され、それに伴い中心部を流れる「松山川」も「高梁川」に改められたという。
 さらに明治六年(1873年)に廃城令が公布され、備中松山城は政府より取り壊しを命じられている。ではなぜ、備中松山城は残されたのか。『日本の古地図 5』には次のように解説されているのだが、この経緯がなかなか面白い。

 明治六年一月の廃城令で松山城は、当時全国にあった一八五城中、他の一二七城と共に取壊しを命じられた。金七円也で城下の下町に住む某が落札し、御根小屋*を始め惣門や番所・木戸など、 城下の軍事施設と見られたものは、全部解体し撤去された。当然の事として山城がその第一に挙げられたはずであったが、足元の悪い急坂が続き、しかも四百二十メートルの山頂のことである。かたがた解体後の用途の問題も絡み、 採算のとれる見込みがないので、 そのまま放置された。撤去期限があったか、契約不履行で政府の督促を受けたか、何の記録も無く、公簿からこの時限りで消えて行った。 朽ちるに任せていた六十年余り、 たまたま昭和十五年に皇紀二千六百年の祝典行事が盛大に行われた。日中戦争の最中で、 一億総けっ起の相言葉で、 国を挙げて軍国主義・国粋主義運動に狂奔していた時代である。
*御根小屋:山麓にあった藩主の居宅。現在は県立高梁高校の敷地。

 こうした時勢を捉えた永井恒三郎町長は、昭和三年以来三代の町長が念願していた、 天主閣の解体修理を一挙に実行した。この事業には文部省と大蔵省の指導協力を得ており、全事業の完成をまって、翌十六年五月八日付で二重櫓・土塀と共に国宝に指定された。 消えてしまったはずの松山城は、 名実共に現実に帰ったのである。 全国唯一の重要文化財であり、 全国唯一の山城としてである。 誠に天の配慮であろう。
『日本の古地図 5』講談社 1976年刊 p.32

 九月下旬から翌年の四月初旬にかけて、天気運が良ければ雲海に包まれる幻想的な備中松山城を見ることが出来ることで、この城は「天空の山城」などと呼ばれている。特に十月から十一月にかけて雲海が出るチャンスが多いらしく、この時期に観光客が特に多いのだそうだ。雲海に浮かぶ天守の写真は検索すればいくらでもヒットするが、備中松山城のホームページに、雲海に囲まれた城の写真や撮影スポットが紹介されているので参考にされると良い。

展望台 – 備中松山城

 八合目にあるふいご峠から坂道を登るのだが、暑い日は早い時間帯を選んだ方が良いだろう。天守までは二十分程度かかるのだが結構きつかった。ふいご峠には登城者のために杖が用意されているので利用されることをお薦めしたい。

備中松山城 大手門跡付近

上の画像は大手門跡付近の石垣群。天然の岩盤の上に石垣が築かれている。

備中松山城 三の丸付近

左側は三の丸の石垣。その上に厩曲輪の石垣があり、その上に二の丸、本丸の石垣が続く。

備中松山城 二の丸から撮影した天守

 二の丸から撮影した天守(国重文)。現在の天守は慶長五年に小堀政次、政一が建てたものを天和三年(1683年)に水谷勝宗みずのや かつむねが改修を行ったとする説と、水谷勝宗が造営したとする説がある。

備中松山城 天守内部

 天守閣内部には、備中松山城に関する資料や、歴史や人物、平成の大修理に関する解説パネルが展示されている。

備中松山城 二重櫓

 天守の北側にある二重櫓(国重文)。天然の岩盤の上に石垣を築き建てられている。

 私が旅行した日はふいご峠の駐車場で車を駐めることが出来たが、混雑が予想される日は五合目から登城整理バスが運行するので、バス乗ってふいご峠に向かうことになる。バス運行のある日は、ふいご峠の駐車場に自家用車を駐めることができないので、備中松山城に行くには事前にバス運行日かどうかを確認しておく必要がある。

登城整理バス – 備中松山城

 バス運行のある日は、五合目の城まちステーション(高梁市小高下町2730)駐車場に車を駐め、登城整理バス(大人500円、小中学生200円)に乗ってふいご峠の駐車場に行き、そこから山道を登ることになる。
 バス運行のない日はふいご峠の駐車場に自家用車を駐めることが出来るが、駐車場が狭くかつ道幅が狭いことから、駐車場の空きの確認と上りと下りの車が鉢合わせすることがないように、登り口で地元の方が無線で峠の駐車場と連絡を取りながら通行整理しておられるので、その指示に従えばよい。登り口から駐車場までは一.二キロ程度の距離であり、二分もすれば駐車場に到着する。
 もし、今年の八月から九月の始めに登城する計画がある方は、樹木伐採工事の為に一部区間が通行できなくなることに要注意だ。特に八月二十四日(月)から二十七日(木)、九月一日(火)から三日(木)はふいご峠の駐車場が使えないので、迂回ルートで山道を四十五分かけて登ることになる。

https://www.bitchumatsuyamacastle.jp/news/950/

武家屋敷

 山の麓の石火矢町に両側に土塀が続く武家屋敷通りがあり、旧折井家と旧埴原家が現在公開されている。駐車場は旧折井家の向かい側にある。かつて石火矢町は武家の屋敷地であり、県が城下町の景観保存・整備のため「ふるさと村」に指定している。

旧折井家 長屋門

 旧折井家(高梁市石火矢町23-2)は江戸時代後期の天保年間に建てられたもので、折井家は代々板倉家に仕え、馬廻り役(藩主の乗る馬の周囲に付き添い、身辺警護や伝令などを務めた役職)で石高は二百石前後であったというが、五万石であった藩主の板倉勝静は維新後明治二年(1869年)に二万石に減封されており、藩士たちも石高を大幅に減らされている。
 『ノートルダム清心女子大学家政学部時報 (13)』所収の「津山及高梁両市に残存する武家屋敷について」によると、折井家は百八十石が、藩が減封された明治二年には七十二石となり、廃藩置県後は九石となったと書かれている。米一石は米一合の千倍で、概ね成人一人の米の消費量とされているが、流石に石高が二十分の一まで減らされては、生活が成り立たなくなるだろう。

旧折井家 内部

 母屋は書院造で、部屋には人形が置かれている。中庭の池や庭石はほぼ当時のままとされ、庭に面して建つ資料館には武具や掛け軸などが展示されている。

旧埴原家 門

 旧折井家から六十メートルほど南に武家屋敷旧埴原はいばら家(高梁市石火矢町27)がある。この家は江戸時代中期から後期にかけて近習きんじゅ役(主君の身の回りの世話や警護、政務の補佐を行う役職)や番頭頭(警護職の頭)などを務めた家で、前掲の「津山及高梁両市に残存する武家屋敷について」によると、旗奉行(馬印・旗印・幟旗とそれらを扱う足軽を指揮する役職)で百四十石であったのが、藩主が減封された時に五十六石となり、廃藩置県後は九石になったという。

旧埴原家 座敷

 埴原家は第四代藩主・板倉勝政の生母の実家で、城下の武家屋敷としては珍しく寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れている。画像は座敷で、違い棚や禅宗風の火燈窓がある。

頼久寺らいきゅうじ庭園

頼久寺

 頼久寺(高梁市頼久寺町18)は暦応二年(1339年)に足利尊氏が諸国に命じて建立した安国寺の一つで、備中安国寺がこの寺の前身だと言われている。永正年間に備中松山城主であった上野頼久の庇護によって伽藍が整備され、頼久の死後に寺号を「頼久らいきゅう寺」に改めたという。

頼久寺庭園

 頼久寺庭園(国名勝)は、小堀遠州(政一)の若いころの作品と伝えられている。
 慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いの後、小堀正次が備中国奉行として着任したのだが、慶長九年(1604年)に逝去したので、子の小堀政一(遠州)が遺領を継いだ。その頃の松山城は備中兵乱の後で荒廃していたため遠州は頼久寺を仮の居館として政務を執っていて元和五年(1619年)までこの地にいたと伝えられ、頼久寺庭園はその時に作庭されたものと言われている。しかしながら、現地にある案内板によると、小堀遠州が作庭に携わったという記録は残っておらず、詳細は不明なのだそうだ。
 庭園は書院東南面に造られた蓬莱式枯山水庭園で、はるかに愛宕山を借景として取り入れ、白砂敷の中央に鶴島、後方に亀島を配し、サツキの大刈り込みで大海波を表現しているとされ、春のサツキの咲く頃や、秋の紅葉時期、冬の雪化粧など四季折々の美しい写真がネットで多数紹介されている。

誕生寺

 高梁市でもう少し観光しても良かったのだが、予定通り誕生寺(久米郡久米南町里方)に向かう。誕生寺は浄土宗の開祖である法然上人の誕生の地に建てられたと伝えられている。
 寺伝によれば、建久四年(1193年)に浄土宗開祖・法然上人の弟子であった法力房蓮生ほうりきぼうれんしょうが、上人生誕の地に師が自刻した御影像を持参し、一堂を建てて念仏道場を開いたことに始まるという。法力房蓮生は、『平家物語』の「敦盛最後」の段で、平敦盛と一騎打ちで敦盛の首を斬った熊谷直実くまがい なおざねが武士をやめて出家し、法然の弟子となって名乗った法名である。
 この寺は永徳年間(1381~84年)に戦火で焼かれ、再建後の天正年間(1573~92年)に再度破却されて再建されている。

 上の画像は正徳五年(1716年)に建造された山門(国重文)である。伏見宮家より寄進されたと伝えられている。門のすぐ奥に見える大木は、有名なイチョウの木である。

 御影堂(国重文)は元禄八年(1695年)に再建された建物である。この場所にはかつて美作の豪族・漆間時国の館があり、法然は時国の子でその館で生を受けたと伝わっている。法然の幼名は勢至丸といい、九歳までこの場所で過ごしたそうだ。

 保延七年(1141年)に明石源内武者定明が不意に夜討ちを仕掛け、漆間時国は重傷を負ってしまった。時国は瀕死の床の中で、決して仇を討たないようにと勢至丸を諭し、出家することを勧めて亡くなったという。九歳の勢至丸は、母の弟が住職を務める奈義町の菩提寺に引き取られそこで修業をし、十五歳の春に比叡山に登るために母に別れを告げに来たのだが、その年に母も亡くなったと伝えられている。上の画像は勢至堂で法然上人の御両親の霊廟である。
 毎年四月の第三日曜日には上人の御両親のご追恩法要である二十五菩薩練供養(お会式えしき大法要)が行われるそうだが、この法要は室町時代から続けられており、岡山県の重要無形民俗文化財に指定されているという。

 御影堂の右に大方丈と庭園(法楽園)がある。上の画像は大方丈鶴の間の襖絵『老松と鶴の図』。作者の法橋ほうきょう義信は幕末の雪舟と言われた著名な絵師のようだ。当時の住職が義信と同じ播州赤穂出身という縁もあって、七部屋すべての襖絵を義信が描いたという。

 大方丈の庭は法楽園と名付けられている。この寺は「山陽花の寺二十四か寺」に選ばれているのだが、庭の景観を楽しむのであれば秋に訪れるのが良さそうだ。

 境内に、法然上人が十五歳の時に手植えしたと伝わる大きなイチョウの木がある。高さ約十メートル、幹回り約四メートルの巨木で、岡山県の天然記念物に指定されている。よく見ると太い木の枝から父のような瘤が垂れて地中に潜っているようで、幹は上の方が太いと思われる。鑑賞するだけでパワーを授かるような気持ちになる。秋に黄色く色づいたイチョウの写真が数多く紹介されているが、法然上人が子供(勢至丸)の時に修業したと伝わる奈義町の菩提寺にはさらに一回り大きなイチョウの木があり、国の天然記念物に指定されているという。面白いことに、誕生寺のイチョウも菩提寺のイチョウも同じDNAを持っていることが判明しているそうだ。奈義町の菩提寺の大イチョウも一度見に行きたいと思っている。

奈義町/菩提寺の大イチョウ

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
   ↓ ↓

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

【ブログ内検索】
大手の検索サイトでは、このブログの記事の多くは検索順位が上がらないようにされているようです。過去記事を探す場合は、この検索ボックスにキーワードを入れて検索ください。

 

 前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年の4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しました。

Amazon.co.jp: 大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか : しばやん: 本
Amazon.co.jp: 大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか : しばやん: 本

全国どこの書店でもお取り寄せが可能ですし、ネットでも購入ができます(\1,650)。
電子書籍はKindle、楽天Koboより購入が可能です(\1,155)。
またKindle Unlimited会員の方は、読み放題(無料)で読むことができます。

内容の詳細や書評などは次の記事をご参照ください。

コメント

タグクラウド

GHQ検閲・GHQ焚書278 中国・支那130 対外関係史82 共産主義69 ロシア・ソ連68 反日・排日67 アメリカ64 地方史62 イギリス62 神社仏閣庭園旧跡巡り60 満洲52 コミンテルン・第三インターナショナル51 ユダヤ人50 支那事変・日中戦争46 情報戦・宣伝戦・思想戦・経済戦等46 神戸大学 新聞記事文庫46 欧米の植民地統治41 廃仏毀釈36 神仏分離35 日露戦争34 外交33 著者別33 軍事31 京都府30 政治史29 朝鮮半島29 テロ・暗殺27 満洲事変27 国際連盟24 豊臣秀吉23 GHQ焚書テーマ別リスト23 キリスト教関係史22 対外戦争22 菊池寛21 一揆・暴動・内乱20 西尾幹二動画20 ドイツ18 陸軍17 大東亜戦争17 スパイ・防諜17 ハリー・パークス16 神仏習合16 長野朗15 紅葉15 ナチス15 第二次世界大戦15 日本共産党15 ルイス・フロイス14 東南アジア14 西郷隆盛14 海軍14 フィリピン13 奈良県13 兵庫県13 和歌山県12 文明開化12 城12 伊藤痴遊12 倭寇・八幡船12 イエズス会11 松岡洋右11 人種問題11 情報収集11 不平士族11 インド11 岩倉具視11 分割統治・分断工作11 伊藤博文11 アーネスト・サトウ11 武藤貞一10 ペリー10 大阪府10 徳川慶喜10 文化史10 奴隷10 神社合祀10 自然災害史10 戦争文化叢書10 フランス10 長州藩・山口県10 オランダ9 飢饉・食糧問題9 織田信長9 大久保利通9 木戸孝允9 リットン報告書9 欧米の侵略9 寺社破壊9 井上馨8 大隈重信8 奇兵隊8 韓国併合8 蒋介石8 ロシア革命8 A級戦犯8 関東大震災8 南京大虐殺?7 修験7 徳川斉昭7 ナチス叢書7 匪賊7 関東軍7 山中峯太郎7 ジョン・ラッセル7 小村寿太郎7 山縣有朋6 督戦隊6 桜井忠温6 滋賀県6 ロッシュ6 桜6 アヘン6 金子堅太郎6 永松浅造6 特高6 中井権次一統6 尾崎秀實6 兵庫開港6 ジェイコブ・シフ6 レーニン6 ウィッテ6 児玉源太郎5 高須芳次郎5 ハワイ5 隠れキリシタン5 財政・経済5 廃藩置県5 西南戦争5 台湾5 日清戦争5 ファシズム5 張作霖5 日本の財閥5 薩摩藩5 ジョン・ニール5 紀州攻め5 大村益次郎4 旧会津藩士4 小西行長4 高山右近4 朱印船貿易4 福井県4 徳島県4 スペイン4 徳川家康4 東京奠都4 祭4 財政・経済史4 日本人町4 梅4 山県信教4 石川県4 タウンゼント・ハリス4 乃木希典4 勝海舟4 三国干渉4 日独伊三国同盟4 F.ルーズヴェルト4 張学良4 第一次世界大戦4 クーデター4 宮城事件4 ゾルゲ諜報団4 明智光秀4 須藤理助4 阿部正弘4 堀田正睦4 安政五カ国条約4 水戸藩4 島津貴久4 フランシスコ・ザビエル4 井伊直弼4 孝明天皇4 スターリン4 南方熊楠4 平田東助4 東郷平八郎4 津波4 大火災4 徴兵制3 徳川家臣団3 士族の没落3 山田長政3 鹿児島県3 淡路島3 大倉喜八郎3 静岡県3 藤木久志3 王直3 シュペーラー極小期3 菅原道真3 福永恭助3 三重県3 版籍奉還3 平田篤胤3 北海道開拓3 プレス・コード3 前原一誠3 明治六年政変3 火野葦平3 高橋是清3 柴五郎3 義和団の乱3 満洲国3 昭和天皇3 丹波佐吉3 転向3 大東亜3 イザベラ・バード3 柴田賢一3 五・一五事件3 日本人移民3 統制派3 通州事件3 第一次上海事変3 便衣兵3 吉田松陰3 日米和親条約3 川路聖謨3 プチャーチン3 坂本龍馬3 下関戦争3 和宮降嫁3 生麦事件3 薩英戦争3 フビライ3 明石元二郎3 ガスパル・コエリョ3 伴天連追放令3 竹崎季長3 文禄・慶長の役3 野依秀市2 徳富蘇峰2 応仁の乱2 足利義政2 富山県2 土一揆2 下剋上2 江藤新平2 熊本県2 武田信玄2 足利義満2 仲小路彰2 懐良親王2 越前護法大一揆2 板垣退助2 日光東照宮2 イタリア2 伊勢神宮2 豊臣秀次2 島津久光2 水戸学2 沖縄2 島根県2 大川周明2 鳥取県2 岩倉遣外使節団2 領土問題2 南朝2 福沢諭吉2 大江卓2 水野正次2 高知県2 山本権兵衛2 鎖国2 尾崎行雄2 尼港事件2 徳川綱吉2 新井白石2 地政学2 帰化人2 近衛文麿2 敗戦革命2 田沼意次2 松平定信2 赤穂市2 大和郡山市2 小浜市2 斑鳩町2 明治天皇2 藤田伝三郎2 弘安の役2 大友宗麟2 オルガンティノ2 ラス・ビハリ・ボース2 安政の大獄2 大政奉還2 王政復古の大号令2 神道2 安藤信正2 オールコック2 国際秘密力研究叢書2 ハリマン2 オレンジ計画2 文永の役2 北条時宗2 加藤清正1 宮崎県1 武藤山治1 日野富子1 浜田弥兵衛1 北条早雲1 今井信郎1 佐賀県1 福岡県1 北条氏康1 上杉謙信1 大内義隆1 足利義持1 伊藤若冲1 徳川家光1 香川県1 神奈川県1 広島県1 藤原鎌足1 徳川光圀1 フェロノサ1 穴太衆1 宮武外骨1 岐阜県1 愛知県1 長崎県1 東京1 士族授産1 スポーツ1 陸奥宗光1 五箇条の御誓文1 トルーマン1 石油1 ビルマ1 古い町並み1 一進会1 松尾芭蕉1 廣澤眞臣1 横井小楠1 山海関事件1 ええじゃないか1 石原莞爾1 戊辰戦争1 長宗我部元親1 インドネシア1 汪兆銘1 皇道派1 徳川吉宗1 済南事件1 第一次南京事件1 浙江財閥1 秦氏1 徳川家重1 徳川家治1 元田永孚1 教育勅語1 鹿鳴館1 前島密1 蔣介石1 桜田門外の変1 大村純忠1 シーボルト1 徳川昭武1 グラバー1 後藤象二郎1 重野安繹1 科学・技術1 あじさい1 鉄砲伝来1