豊臣秀吉 文禄の役で明国との講和交渉を大失敗に導いた小西行長~~GHQ焚書とされた秀吉の伝記を読む3 文禄五年に来朝した明の使節が奉じた国書には、三年前に秀吉が伝えた講和条件は全く反映されず、日本を明国の属国とする内容であった。明国との講和交渉を担当したのはキリシタンの小西行長だが、当時の宣教師たちの書簡を読むと、行長はスペイン側の戦力に織り込まれていた。秀吉が彼に講和交渉を委ねたのは誤りであった。 2019.07.25 2022.03.26 豊臣秀吉
豊臣秀吉 秀吉の朝鮮出兵はなぜ二回行われることになったのか~~GHQ焚書とされた秀吉の伝記を読む2 GHQ焚書となった加藤武雄『豊臣秀吉』では朝鮮出兵について、朝鮮にはろくな軍備がなかったので陸戦は連戦連勝で勝ち進んだことが記されている。しかしながら、日本軍の船は輸送を主目的で建造されたものであり、朝鮮海軍に物資の輸送を阻まれて兵糧不足が深刻となり講和交渉が始まったが、明の国書に秀吉は激怒する。 2019.07.20 2022.03.26 豊臣秀吉
豊臣秀吉 秀吉の紀州攻めで水攻めにされた太田城と紀南の国人衆の抵抗~~紀州攻め3 秀吉軍の紀州攻めで粉河寺は全山全焼したが、高野山は秀吉の提示した条件を全面的に受け入れて焼かれずに済んだ。一方雑賀衆の残党は太田城に集結し籠城して秀吉軍と戦おうとしたが、秀吉は紀ノ川から水を引いて、太田城を水攻めにして雑賀衆を全滅させた。その後秀吉軍は紀南の国人衆と戦い勝利したが、地侍はその後何度も蜂起した。 2019.07.10 2022.03.29 豊臣秀吉
豊臣秀吉 秀吉の紀州攻めで根来寺の大伝法堂・大門が焼けずに残り、解体されたのはなぜか~~紀州攻め2 秀吉の紀州攻めによって多くの寺や神社が焼かれたのだが、戦う意思のなかった寺社にも火が放たれた。そのことは、秀吉の紀州攻めのメンバーにキリシタンが多数いたことと関係があるのではないか。不思議なことに根来寺の重要な施設は焼け残り、高山右近はその建物を伴天連に欲しいと秀吉に求めている。 2019.07.05 2022.03.29 豊臣秀吉