ロシア・ソ連

朝鮮半島情勢と日清戦争

三国干渉に直面したわが国と主要国の動き

三国干渉を主導したロシア 日清戦争でわが国は世界の予想を裏切って清に圧勝し、講和談判が下関で行われて、明治二十八年(1895年)四月十七日に講和条約(下関条約)が調印された。 この条約によって清国はわが国に①朝鮮の独立②遼東半島・台湾・澎湖...
朝鮮半島情勢と日清戦争

朝鮮半島を狙ったロシア・イギリスと李氏朝鮮の国情

甲申事件の後明治十八年に日清間で締結された天津条約によって日清両軍は朝鮮より撤兵したが、今度はロシアや英国が朝鮮半島に進出しようとし、英国は巨文島を占領した。朝鮮国の近代化を図ろうとした朝鮮独立党の金玉均は甲申事変ののち日本に亡命したが、のちに上海に呼び出されて暗殺された。この暗殺に清国政府が関わっていたことは明らかであり、日本国内で暴支膺懲の声が高まった。
中国関連

戦前の日本人は主要国の外交政策をどう捉えていたか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む5

今まで4回に分けて山県信敬 著『少年満洲事変と上海事変』(昭和11年刊)の内容を紹介してきたが、今回はその最終回で、著者が当時の主要国の外交姿勢について述べている部分を紹介したい。この本は青少年を対象に書かれている本であり非常に読みやすく、...
中国関連

満州国を攪乱したソ連と支那共産党~~『少年満州事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む4

ソヴィエト連邦の極東政策 今回も『少年満洲事変と上海事変』の文章を紹介したい。満州国が建国されたのち、極東の情勢がどのように変わったかについて、戦後出版された教科書などにはあまり記されていないのだが、昭和11年に青少年向けの本に書かれている...
武藤貞一

日米を戦わせるように仕向けた国はどこなのか~~武藤貞一『日米十年戦争』(GHQ焚書)

これまで武藤貞一のGHQ焚書を3冊紹介してきたが、今回紹介する本は、第二次世界大戦でわが国がアメリカに宣戦布告した約半年前に出版された『日米十年戦争』(GHQ焚書)である。 奥付を確認すると、この本が出版された日は昭和十六年六月五日で、手元...
ソ連・コミンテルン

GHQに焚書処分された旧ソ連関係書籍~~『ソ聯は今何を劃策してゐるか』、『急迫せる日露の危機』

戦後GHQが没収し処分して戦後の日本人に読めなくさせた本の中で、旧ソ連に関する本は結構多い。例えば昭和十二年に発刊された三島康夫 著『ソ聯は今何を劃策してゐるか : 日ソ果して戦ふか』という本は、支那事変にソ連がどうかかわっていたかが詳しく...
開国前後

『日露和親条約』締結後閣老から出された無理難題と、ロシア使節の帰国問題

1855年に日露和親条約が締結され、船を失ったロシア使節は日本が建造したヘダ号やアメリカ船に分乗し帰国した。プチャーチンは日本の対応に感謝し二度にわたりロシアは幕府に感謝状を贈っている。明治二十年にはプチャーチンの娘・オリガ・プチャーチナが、父の受けた厚情に謝意を表するため戸田を訪れている。
開国前後

プチャーチンの交渉スタンスが変わり『日露和親条約』が調印されるに至った事情

当時ロシアはクリミア戦争の最中で、プチャーチンはディアナ号単艦で日本に向かった。下田で第一次の談判が行われた翌日に安政東海地震が起こり、ディアナ号は津波で大破した。戸田村で修理することとなったが曳航途中で沈没し、日本の船大工を使ってロシア人指導のもと、西洋型帆船にとりかかった。プチャーチンは日本側の対応に感激し、以後の交渉はスムーズに進んで、日露和親条約の調印に至る。
開国前後

二度目のペリー来航が、約束していた時期より随分早まった経緯

ペリーの二度目の来日はかなり早まった。それはロシアのプチャーチンが長崎に来訪したとの情報を掴んだことによる。琉球ではオランダの総督より書状が届き、将軍が崩御したため幕府の要望により再来日を遅らせて欲しい旨が書かれていたが、ペリーは無視して江戸に向かう。江戸湾に入り艦隊を碇泊させ、幕府は浦賀で会見を行う旨主張したがペリーは拒否し、結局碇泊場に近い横浜村で行うことになった。
ロシア・ソ連

レーニンが創設したチェーカーに付与された怖ろしき権限

ロシア革命以降チェーカーが設立され、裁判所の決定無しに即座に容疑者を逮捕、投獄、処刑を行う権限が与えられたのだが、この組織がロシア人の大量虐殺に関与した。ブルジョアジーや教会は財産が没収され、多くが処刑されたのだが、このような共産主義国の負の側面はわが国では殆んど伝えられていない。