支那排日 我が国の国際連盟脱退までの米国及び支那の動き 支那排日9 張学良はなぜ山海関事件を起こしたか 前回の「歴史ノート」で、一九三二年十一月二十一日から開催された満州問題に関する国際連盟理事会において日本全権松岡洋右との論戦に勝てず、英仏が日本を支持する側に廻ったことを不満とした支那が、国際連盟に参加し... 2024.12.15 支那排日
満州事変から国際連盟脱退 わが国が国際連盟を脱退した経緯⑧ その後の張学良・蒋介石の動き 総会決議前後の張学良の動き 前回の記事で一九三三年二月二十四日に国際連盟総会において松岡洋右が最後の演説を行い、そのあとで満州問題に関する報告書草案の採決が行われ、賛成四十二票、反対一票で可決されたことを書いた。草案には、国際連盟は満州の主... 2024.09.15 2024.11.30 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 わが国が国際連盟を脱退した経緯⑦ 最後の松岡演説と連盟脱退 前回に引き続き、一九三三年二月二十四日に開かれた国際連盟特別総会に於ける、報告書草案採決直前の松岡の最後の演説の紹介を続けることしたい。国際連盟の満州認識について 松岡はリットン報告書における満州理解の誤りについて以下のように述べている。 ... 2024.09.08 2024.12.11 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 わが国が国際連盟を脱退した経緯⑥ 総会を意識した張学良の動きと最後の松岡演説前半 運命の国連総会の日が決まる 前回の「歴史ノート」で、昭和八年の正月以降の支那やアメリカ、国連事務局等の動きを書いたが、アメリカが圧力をかけたことで国際連盟の委員会の流れが一気に変わり、満州国を承認しない方向に傾いていったことを書いた。「神戸... 2024.09.01 2024.11.30 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 わが国が国際連盟を脱退した経緯⑤ 山海関事件とアメリカの干渉で流れが変わった 山海関事件「神戸大学新聞記事文庫」外交122-3 前回の「歴史ノート」で、一九三二年十二月八日の国際連盟総会における松岡洋右の演説とその直後の支那の動きを書いたのだが、一九三三年の正月早々に万里の長城の東端の山海関さんかいかんにある日本憲兵... 2024.08.25 2024.12.11 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 わが国が国際連盟を脱退した経緯④ 論戦では松岡が圧倒したが多数派工作が始まった 11/23国際連盟理事会における松岡演説 前回、前々回の歴史ノートで昭和七年(1932年)十一月二十一日の国際連盟理事会における松岡洋右の演説のポイントを纏めてみたが、その日に中国代表の顧維鈞こいきんも演説を行っている。そして十一月二十三日... 2024.08.18 2024.12.11 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 わが国が国際連盟を脱退した経緯③ 我々は侵略者ではない 前回の「歴史ノート」で国際連盟理事会でわが国の全権松岡洋右が昭和七年十一月二一日に演説をした内容の前半部分のポイント部分を紹介させていただいたが、今回はその後半部分について書くこととしたい。満州事変は不戦条約違反ではない リットン報告書では... 2024.08.11 2024.12.11 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 わが国が国際連盟を脱退した経緯② 支那の内乱と排日運動の実態 「リットン報告書」に批判的な海外論調が少なくなかった 前回の記事で、一九三二年十月一日に「リットン報告書」が国際連盟に提出され、わが国はその内容を不服として意見書を提出したのだが、満州事変以降の日支紛争について国連総会が開かれることが決定す... 2024.08.04 2024.12.11 満州事変から国際連盟脱退
初期の米国排日 鉄道王ハリマンの夢を打ち砕いた小村寿太郎 米国の鉄道王と呼ばれたハリマンが、ポーツマス会議の最中に訪日している。その目的は、彼の描いた世界一周通路の中の一つである南満州鉄道を日米共同で経営することを日本政府に提案するためであった。桂首相や井上馨はその提案に賛成し、桂は覚書に署名したが、ポーツマス会議から帰国した小村は反対した。 2022.06.09 2023.08.22 初期の米国排日
国会図書館デジタルコレクション 松岡洋右が若い世代に語った講演集『少年に語る』、『青年よ起て』 松岡洋右は明治十三年(1880年)に廻船問屋の四男として山口県に生まれたが、十一歳の時に父親が事業に失敗して破産してしまい、十四歳の時にアメリカに渡り、働きながら学校に通った。彼は著書に「アメリカでルンペンをやりました」と書いているが、早朝... 2021.07.14 2022.05.09 国会図書館デジタルコレクション
GHQ焚書 GHQが焚書処分したA級戦犯の著書~~松岡洋右 『東亜全局の動揺 』 昭和二十年(1945年)八月十四日にわが国は「ポツダム宣言」の受諾を連合各国に通告し、翌日の玉音放送により日本の降伏が国民に公表されたのだが、「ポツダム宣言」の第六条および第十条にはこう記されていた。六 われらは、無責任な軍国主義が世界より... 2020.08.13 2022.05.09 GHQ焚書