桜田門外の変

安政の大獄から桜田門外の変

桜田門外の変と、その後の薩摩藩、彦根藩、幕府の動き

安政七年三月三日の朝は、桃の節句にしてはかなり寒く、雪が降り積もっていた。合図とともに水戸の志士達は前衛を衝き斬り込んだが、彦根藩警固の士は不意を襲われ、雪のために刀の柄や鞘を羅紗袋などで覆っていたため刀がすぐに抜けず、簡単に輿の戸を破られ、井伊大老の首を落とされている。その後彦根藩は、井伊家が取り潰しにならないように、大老の死を隠蔽し、幕府も彦根藩が断絶とならないように協力した。