和歌山 世界遺産の高野参詣道を行く~~慈尊院、丹生都比売神社 高野山の参詣道は七つあるが、最もよく使われたのが町石道である。その始点にあるのが慈尊院で、かつては丹生官省符神社と一体であった。慈尊院から丹生官省符神社に向かう石段の途中に最初の町石である百八十町石がある。丹生都比売神社は、昔は多宝塔など多くの仏教的施設があったのだが、明治初期の神仏分離によりすべて撤去されてしまった。 2020.10.30 2022.04.09 和歌山
GHQ焚書 GHQにより焚書処分された、外交に関する書籍~~白柳秀湖 『日本外交の血路』 GHQが没収・廃棄した書籍の中には、日本と他国、あるいは他国同士の外交や関係史について書かれた本が少なからずある。 今回紹介する本の著者は、在野の歴史家である白柳秀湖(しらやなぎ しゅうこ)で、彼は島崎藤村を愛読し早稲田大学文学部に進学し... 2020.10.28 2022.03.23 GHQ焚書
京都 伏見稲荷大社近辺の古刹を訪ねて~~宝塔寺と石峰寺 伏見稲荷大社の南に宝塔寺という古刹がある。この寺はかつては極楽寺といい、源氏物語にも名前が出てきて、四脚門、本堂、多宝塔は国の重要文化財に指定されている。その北には石峰寺があり、江戸時代の画家・伊藤若冲がここで晩年を過ごし、五百羅漢の石像を製作している。 2020.10.25 2022.03.23 京都
GHQ焚書 GHQが焚書処分した政治家の著作~~池崎忠孝『太平洋戦略論』、安藤正純『日本の行く道』 GHQが没収・廃棄し、戦後の日本人が読めないようにされた著作の中には、国内外の政治家が著した本が多数存在する。ヒトラーの『我が闘争』もその一つだが、日本人の著作では池崎忠孝(いけざき ただよし)の著作が最も多く処分されている。この人物は東京... 2020.10.23 2022.05.09 GHQ焚書
京都 藤森神社の祭りの神輿が伏見稲荷神社の境内に入る歴史的経緯 伏見稲荷大社の大鳥居から参道を左に折れると藤尾社という末社がある。昔は稲荷社(現在の伏見稲荷大社)は稲荷山の山頂周辺に祠があったが、永享10年に後花園天皇の勅命で、それまで山麓にあった神社を藤森神社に遷し、その跡地に稲荷社の社殿を建て、境内にこの末社が残された。藤森神社の祭りでは神輿が伏見稲荷大社の参道に入り、この末社に宮入りする。かつては駈馬神事も伏見稲荷の参道で行われたとの記録がある。 2020.10.20 2022.03.23 京都
GHQ焚書 GHQが焚書処分した軍人の著書~~真崎勝次著『非常時局読本』 戦後の教育やらマスコミの解説などで、軍人はわが国を戦争に巻き込んだ犯罪者のようなイメージを擦り込まれていて、私の場合、恥ずかしながら軍人の書いた文章を読む機会はほとんどなく、読んではいけない本であるとか、学ぶところがないに違いないと、長い間... 2020.10.18 2022.10.07 GHQ焚書
京都 伏見稲荷大社と稲荷山の山巡り 伏見稲荷大社の本殿参拝ののち千本鳥居を抜けて奥社奉拝所で参拝を済ませたのち稲荷山の山巡りにチャレンジしてきた。稲荷山は決して高い山ではないが、一周して本殿に戻るのに約二時間かかる。楼門の南に国学者の荷田春満旧宅がある。この人物は赤穂浪士に吉良邸の見取図や茶会の情報を教えたことが伝えられている。 2020.10.15 2022.03.23 京都
GHQ焚書 GHQが焚書処分した外国人の本、及び外国語で出版された本~~『虐げられし印度』、 『国防と朝鮮人』 第二次世界大戦後日本へ進駐してきたGHQ( 連合国軍総司令部 )が、昭和二十一年から二十三年(1946~48年)にかけて、当時わが国で流通していた書籍のうち7769タイトルの単行本やパンフレットを「宣伝用刊行物」と呼んで没収・廃棄し、戦後の... 2020.10.13 2022.05.30 GHQ焚書
明治初年の外国人殺傷事件 知恩院からイギリス公使パークス襲撃事件の現場を訪ねて 慶応四年二月三十日に英公使パークス襲撃事件が起きたが、一行は知恩院を出発して新橋通りを直進し、縄手通りを右折するところで二人の凶漢に襲われた。実際に知恩院から襲撃地点まで歩き、犯人の墓を訪ねてみた。 犯人の一人はその場で首を斬られ、もう一人の三枝蓊は武士の身分を剥奪された上で斬首されたが、二人は霊山墓地に「神霊」と彫られた墓に眠っている。 2020.10.10 2022.10.31 明治初年の外国人殺傷事件
GHQ焚書 GHQが焚書処分した実業家・経済人の著書~~小林一三『戦後はどうなるか』 GHQが没収廃棄した書籍には実業家・経済人の著作も少なからずある。企業経営者は、時代の流れを読み誤ると事業にも大きく影響することになるので、名経営者と呼ばれる人物は当時の論調などに惑わされることなく、しっかりと世界や経済の動きを捉えており、... 2020.10.08 2022.03.23 GHQ焚書
明治初年の外国人殺傷事件 相次いだ外国人殺傷事件と五箇条の御誓文 五箇条の御誓文は大政奉還から五か月近くも経過してから発布されている。当時は新政府周辺に外国との交際を拒絶する者が少なくなく、「開国和親」という方針が決定してもそれに抵抗する動きが強かった。しかし、その後も外国人襲撃事件が相次ぎ新政府の危機を経験したタイミングで木戸孝允が動き、由利・福岡の案を修正し、五箇条の御誓文が発布されている。 2020.10.05 2022.03.23 明治初年の外国人殺傷事件
GHQ焚書 GHQが焚書処分した歴史記録~~永松浅造 『皇国海戦史 海ゆかば 』 歴史書と言っても、時代や地域によって、あるいは政治、経済、戦争、外交、文化、思想、宗教など様々な切り口で叙述されているものがある。今は出版不況のために、このようなテーマの本は、将来にわたり滅多に出版されないような内容の本が少なくなく、実際に... 2020.10.03 2022.03.23 GHQ焚書