大隈重信

文明開化とその裏面

暦を急遽太陽暦に改めることを強行した政府と国民の反応

改暦の詔書下る『新聞集成明治編年史 第一卷』p.512 明治政府が太政官布告第三百三十七号『太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス』を出した日付は明治五年(1872年)十一月九日のことなのだが、それによると「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候...
文明開化とその裏面

沸騰した反対論に打ち克ち、東京横浜間に蒸気機関車を走らせた大隈重信

ペリーが持ち込んだ汽車の模型 嘉永七年(1854年)にペリーが二度目の来日をした際に、横浜で汽車の模型を動かしたところ幕府の役人たちが、まるで子供のように喜んだことがペリーの『日本遠征記』に残されている。ペリー 小さい機関車と、客車と炭水車...
国会図書館デジタルコレクション

総理大臣を三名も輩出した戦前の報知新聞社の本を読む~~『大隈侯昔日譚』、『満州開拓戦士』

戦前の報知新聞社は人材の宝庫であった 「報知新聞社」は『スポーツ報知』を発行している新聞社だが、かつての『報知新聞』は多くの読者の支持を得た有力紙で、この新聞社から内閣総理大臣が三名(大隈重信、原敬、犬養毅)も出ているということは知らなかっ...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

明治二年から四年にかけての明治政府はいつ崩壊してもおかしくなかった~~廃藩置県への道

版籍奉還後の鹿児島藩、山口藩の混乱 前回記事で、明治二年(1869年)に行われた版籍奉還のことを書いた。伊藤博文や大隈重信は、これを機に封建的支配体制を一気に解体し、郡県制を布いて中央の統制権を高めることを望んだのだが、当時の情勢ではそのよ...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

版籍奉還で封建制度を廃滅させようと考えた伊藤博文と大隈重信

木戸孝允は藩主・毛利敬親に面謁して版籍奉還を急ぐべきことを説き、さらに大久保利通等を説得して、薩長土肥の四藩が率先して版籍奉還を上奏することで話がまとまった。四藩のあと各藩から奉還上表が提出されたのち版籍奉還が勅許され、旧藩主をそのまま藩知事としたが、政府によって任命される地方長官と位置付け、旧藩主と旧藩士との主従関係が建ち切られたことに意義があった。
キリスト教問題

キリスト教禁止と教徒処分問題で諸外国から激しい抗議を受けた明治新政府

五榜の掲示 前回の「歴史ノート」で、慶応元年(1865年)に長崎の浦上村で大量の隠れキリシタンがフランスの宣教師により発見され、慶応三年(1867年)になって宣教師による教導が行われていたことが発覚し、六月に六十余人の信徒が捕えられたことを...
廃仏毀釈・神仏分離

廃仏毀釈と、架け替えられた京都四条大橋

「文明開化」で国を挙げて洋風化に取り組んでいた時期に、京都の四条大橋が鉄橋に架け替えられたのだが、この時に金属製の仏具類がその材料に用いられたとの記録が残されている。神仏分離令の後の廃仏毀釈もひどかったが、文明開化期にも文化財の多くが失われた。