最後の将軍・慶喜の時代 孝明天皇は病死したのか、あるいは毒殺されたのか
孝明天皇の死に関しては、古くから毒殺説があり、英外交官のアーネスト・サトウの著書にもそのような噂があると書いている。天皇の主治医の手記を読むと、天皇の疱瘡は順調に回復しているとの診断後、容体が急変しており、誰かが砒素を盛ったことを疑う理由がある。具体的には岩倉具視や大久保利通が関与したことを疑われているが、いずれも親幕派の天皇の排除を望む理由があった。
最後の将軍・慶喜の時代
公武合体と尊皇攘夷
安政の大獄から桜田門外の変
開国前後