日清戦争

朝鮮半島情勢と日清戦争

連戦連勝の日清戦争と下関講和交渉の決着

明治27年7月に豊島沖海戦、成歓の戦に圧勝したのち、平壌の戦、黄海海戦、鴨緑江作戦、旅順口の戦い、威海衛の戦いと連戦連勝し、28年3月には遼東半島全域を占領し、いよいよ首都北京に迫ろうとした。とうとう清は全権大使李鴻章をわが国に派遣し、下関で講和にむけての交渉を開始させた。
朝鮮半島情勢と日清戦争

東学党の乱とその後の日清両国の動き

1894年4月に朝鮮半島南部で「東学党の乱」が起きたが、朝鮮国の軍隊では鎮圧が出来ず、朝鮮政府は清国に援助を求めている。一方わが国では、清国が朝鮮半島に出兵したことは国防上の危機と捉え、わが国も朝鮮半島に出兵することを決定した。 大鳥公使は朝鮮政府に対し、内政改革と清国軍の撤退、清朝間の宗属関係の解消を要求した。
国会図書館デジタルコレクション

松岡洋右が若い世代に語った講演集『少年に語る』、『青年よ起て』

 松岡洋右は明治十三年(1880年)に廻船問屋の四男として山口県に生まれたが、十一歳の時に父親が事業に失敗して破産してしまい、十四歳の時にアメリカに渡り、働きながら学校に通った。彼は著書に「アメリカでルンペンをやりました」と書いているが、...