2019-08

関東大震災

震災直後の朝鮮人殺害は流言飛語によるものとする通説への疑問

当時の記録を読むと、地震直後に朝鮮人による放火や掠奪が起こっており、ダイナマイトも多数押収されている。朝鮮独立を目指していた義烈団は大正10年に裕仁皇太子(後の昭和天皇)を誘拐する計画を実行しようとしたし、上海仮政府は大正12年の皇太子の結婚の儀にテロを行う計画があった。偶々大震災が起こり、テロを行う好機と考えたとの朴烈の証言もある。
関東大震災

関東大震災のあと避難者たちが「朝鮮人暴動」を怖れたのはなぜか

通説では関東大震災の混乱の中で「朝鮮人暴動」の流言が広まり、これに不安を感じた住民の自警団が多数の朝鮮人を殺害したとされている。しかしながらそのような流言がなぜ広まった時代背景や殺害の具体的な記述がされることはない。 当時の新聞を読むと連日朝鮮人による犯罪やテロ準備の記事が出ているのだが、この事実を書かないのは歴史叙述として公平でないと思う。
関東大震災

関東大震災の貴重な記録は今日に活かされているのか~~その3.津波被害

関東大震災ののちに鎌倉、伊東、熱海、三浦、逗子などで津波が襲い、多くの犠牲者が出ている。観光地が多かったことと無関係ではなかったと思うのだが、抜本的な津波対策は行われずに復旧が急がれ、津波被害も矮小化して記録されていると思われる。地震後すぐに津波が来る可能性が高い地域なのだが、人々の避難は可能なのだろうか。
関東大震災

関東大震災の貴重な記録は今日に活かされているのか~~その2.横浜の大火災

関東大震災の横浜の被害は、都市の規模を考慮すると東京よりもひどかった。横浜も火災旋風のために市街の大部分が焼失したが、横浜公園に避難した人々は、水道管の破裂により公園内の広場に水たまりが出来ていて、濁水に首を浸して多くの避難民が焼死を免れている。しかし、被災者に水や食糧が充分に行き渡らず、食糧の掠奪などが起きた。
関東大震災

関東大震災の貴重な記録は今日に活かされているのか~~その1.大量の焼死者が出た東京

大正12年9月の関東大震災で10万5千人の死亡者が出たが、死因の9割は火災によるものであった。東京では本所被服廠跡の空き地に多くの人々が避難していたが、その場所に火災旋風が起こって、その場所で3万8千人が亡くなっている。この当時の記録や論文などを読むと、関東大震災の教訓は殆んど今日に活かされていないことに愕然とする。
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朝鮮総督府がまとめた朝鮮史

朝鮮総督府が朝鮮・中国・日本の史籍における朝鮮に関する記述を集めて編纂した朝鮮史。 タイトル出版社出版社出版年国立国会図書館URL朝鮮史. 第1編 第1巻新羅統一以前~新羅文武王8朝鮮史編修会 編朝鮮総督府昭和7朝鮮史. 第1編 第2巻神代...
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統計資料

日本帝国統計年鑑、 朝鮮総督府統計年報、満洲経済統計年報、陸軍省統計年報など過去の統計資料を集めてみました。数字の裏付けなどを取りたいときにご利用ください。 タイトル編集刊行年国立国会図書館URL日本帝国統計年鑑. 第31内閣統計局 編大正...
大阪

国史跡日根荘に残された国宝慈眼院多宝塔から七宝瀧寺などを訪ねて~~泉南の神社仏閣その2

国史跡の日根野に慈眼院と日根神社があり、伝承によるといずれも秀吉の紀州攻めで焼かれたとされている。更に山に入ると火走神社があり、さらに進むと七宝瀧寺がある。この寺も秀吉の紀州攻めで焼かれたと伝わっている。なぜこんな山奥の寺までが焼かれたのだろうかと誰でも疑問に思うところだ。