戦争と共産主義

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ゾルゲ、尾崎秀実らが一斉検挙に至った経緯について

前回の歴史ノートでソ連のスパイ活動をしていた尾崎秀実が獄中で記した手記の一部を紹介した。この尾崎秀実を自白させたのは特高第一課係長であった宮下弘という人物だが、特高はその前に、アメリカ共産党員の宮城与徳を自白させてゾルゲや尾崎がスパイ活動を...
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コミンテルンのスパイ・尾崎秀実にとっての第二次世界大戦

今回はゾルゲ事件の首謀者の一人として昭和十六年(1941年)に逮捕され昭和十九年(1944年)に死刑に処された尾崎秀実おざき ほつみが、昭和十七年(1942年)三月か四月頃に獄中で書いた手記に記されている内容の一部を紹介させていただくのだが...
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関東軍はコミンテルンの工作活動の重要な対象であった

張作霖爆殺事件 以前このブログで、昭和三年(1928年)六月四日に起きた「張作霖爆殺事件」について三回に分けて書いた。 通説では日本軍(関東軍)が張作霖を暗殺したとされているのだが、ソ連の機密文書ではソ連が実行し日本人の仕業に見せかけたもの...
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二・二六事件と中国の西安事件でわが国が戦争に引き込まれる準備が整った

昭和十年(1935年)七月から八月にかけて第七回コミンテルン大会が開催されたが、この大会の後でわが国と支那で起こった事件を調べてみると、不可解な事件や重大な出来事が相次いでいることに気が付く。これらの事件は、この大会で決議された内容と無関係...
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昭和天皇が二・二六事件の叛乱軍討伐を命じられた

前回の「歴史ノート」で、竹山道雄が『昭和の精神史』で昭和天皇が二度だけ例外的に御親政を行われたと書いていることを紹介した。その「二度」というのは、「二・二六事件の際と終戦の際」だというのだが、いずれのケースも軍の暴走を止めるには天皇自らが動...
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なぜわが国軍隊の暴走を止められなかったのか

これまで、昭和時代の初期に学生や兵士等に赤化工作が行われ、若い世代を中心に共産主義思想が拡がっていったことを書いてきた。このことと日本軍の暴走したことと関係があるのではないだろうか。 一九二八年(昭和三年)のコミンテルン第六回大会で採択され...
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コミンテルンは全世界に共産主義を拡散させようとした

これまで、ソ連・コミンテルンがわが国の教育機関や軍隊に対して盛んに赤化工作を行ってきたことを書いてきたが、同様な工作を全世界レベルで行っていた。今回は彼らの世界の赤化工作について書くこととしたい。コミンテルンによる世界赤化工作 一九一七年(...
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コミンテルンによる日本軍への赤化工作を考える

コミンテルン第六回大会の決議内容 「コミンテルン」は「第三インターナショナル」あるいは「国際共産党」とも呼ばれ、世界の共産主義国化のために一九一九年にモスクワで結成された共産主義運動の指導組織であり、日本共産党はコミンテルンの日本支部として...
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満州事変後に共産主義者が大量に愛国陣営に流れたのはなぜか

前回記事で、昭和初期のわが国で多くの若者が左翼思想に共鳴し、全国の学校だけでなく軍隊にも赤化工作が行われていたことを書いた。当時は私利私欲で動く政治家が政争を繰り返し、庶民は貧困に喘ぐ状況が続いてマルクスやレーニンの思想に共鳴する若者が多く...
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昭和初期に多くの若者が左翼思想に共鳴したのはなぜか

前回記事で、小学校から大学まで多くの赤化教員が潜り込んで生徒に左翼思想が拡げられたことなどを書いた。 では、コミンテルンが日本共産党に指令した赤化工作が、実際のところ当時の生徒たちにどの程度の影響を与えたのであろうか。当時の新聞を調べると、...
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ソ連・コミンテルンによる教育機関の日本赤化工作

前回は一九二八年(昭和三年)の七月から九月にかけてモスクワで第六回コミンテルン大会が開催され、七月には長春、奉天、鉄嶺、安東の日本軍に対して赤化宣伝文書が大量配布されたことが国民新聞に報じられていることを書いた。 しかしながら軍隊の赤化宣伝...
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ソ連・コミンテルンによる初期の日本赤化工作

「赤化せっか」という言葉は今ではほとんど死語になってしまったが、共産主義的な思想や機構を広めていくことを意味している。戦後に出版された本やマスコミの解説などで触れられることはほとんどないが、わが国では大正期の終わりから昭和初期にかけて共産主...