2021-01-25

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廃仏毀釈・神仏分離

法隆寺における廃仏毀釈・神仏分離の危機

聖徳太子ゆかりの法隆寺は、神仏分離令には大きなダメージはなかったが、元禄期に大修理がなされてから百五十年を経過して伽藍は相当傷んでいたうえに、明治四年と七年に上地令が出て、寺領を失いさらに寺録をも失い、修理どころか、僧侶の日々の生活にも困る状態に陥った。明治五年に法隆寺の一﨟職となった千早定朝は、寺の復興のため諸策を講じ、明治十一年に法隆寺の宝物類を皇室に献納することで下賜された一円で財政を立て直した。
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