キリスト教布教

キリスト教布教とその影響

仏像を「悪魔」と呼んだフランシスコ・ザビエル

キリスト教は一神教であり、唯一絶対神以外を崇めてはならず、偶像崇拝をタブーとしている。ところが、ザビエルが布教に来た日本は偶像崇拝の国であり、ザビエルの書翰には「この国は、偶像崇拝と、キリスト教の敵の土地」で仏像を「悪魔」と記し、それに勝利しなければならないと書いている。
キリスト教布教とその影響

フランシスコ・ザビエルに、日本行きを決意させた日本人

1549年にザビエルが鹿児島に上陸して、日本にキリスト教を伝えたことは教科書にも出ているが、布教活動を始めるにはまず日本語をある程度理解できることと、日本に関する情報を事前にできるだけ収集しておくことが必要となる。ザビエルの書翰には、マラッカでヤジロウという日本人と逢い、彼の言葉を聞いて日本に行く決心をしたことが記されている。
隠れキリシタン(茨木)

禁教の時代を乗り越えて信仰を繋いできた最後のキリシタン~~隠れキリシタンの里3

茨木市の千提寺地区には、江戸幕府が禁教令を出した以降三百年以上にわたり、秘密を守りながらキリスト教信仰を繋いでいた家があった。聖ザビエル像が発見された大正八年には4軒が存在し、大正15年にローマ教皇庁使節が最期の隠れキリシタンを訪ねた時は、中谷イトさんは「アヴェ・マリアのオラショ(祈り)」を披露したという。
隠れキリシタン(茨木)

聖ザビエル像が山奥で発見されたのち、売却された経緯~~隠れキリシタンの里2

聖フランシスコ・ザビエル像(国重要文化財)は大正九年(1920)に茨木市で発見されたのだが、なぜ山奥の民家でこのような貴重なものが出てきたのだろうか。またザビエル像は今は神戸市立博物館の所蔵品となっているが、どういう経緯で売却されたのであろうか。
隠れキリシタン(茨木)

聖フランシスコ・ザビエル像が北摂の山奥に残された経緯~~隠れキリシタンの里1

今から100年程前に、茨木市千提寺で聖フランシスコ・ザビエル像など貴重なキリシタン遺物が相次いで発見されている。このあたりはかつてキリシタン大名・高山右近が治めた地域なのだが、そののちキリスト教は禁教とされた。山深い地域で貴重な遺物が出てきた経緯を考えてみたい。
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