戦争と共産主義
戦後の歴史叙述で第二次世界大戦に関してソ連が世界に於いてどのような活動をしていたかについて言及している書物は極めて少ないのだが、一九一九年にレーニンが提唱しモスクワで結成されたコミンテルン(第三インターナショナル)の動きを理解せずして、第二次世界大戦における各国の動きを正しく理解できるとは思えない。
一九二八年のコミンテルン第六回大会で採択された決議「帝国主義戦争と各国共産党の任務に関するテーゼ」に極めて重要なことが書かれており、政治家の三田村武夫が著書でそのテーゼの要点を抜き出ししている部分の一部を引用させていただく。この本は呉PASS出版社が復刻している。
「…帝国主義相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアート(労働者階級)は各々自国政府の失敗と、この戦争を反ブルジョワ(資本家階級)的内乱戦たらしめることを活動の主要目的としなければならない。」
「帝国主義戦争が勃発した場合における共産主義者の政治綱領は、
(1) 自国政府の敗北を助成すること
(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること
(3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能であるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること。
である。帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめることは、大衆の革命的前進を意味するものなるが故に、この革命的前進を阻止する所謂「戦争防止」運動は之を拒否しなければならない。…」
「…大衆の軍隊化は『エンゲルス』に従へばブルジョワの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。この故に共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。」
(三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』自由選書 p.38-40)

このような考え方は『敗戦革命論』と呼ばれているが、共産主義者に対して「軍隊を内部から崩壊させ」「自国政府の敗北を助成」し、「戦争を通じて共産主義革命」を起こせ。そのために「進んで軍隊に入隊」せよと言っている。これだけでも恐ろしいことなのだが、過去に於いてレーニンは、党幹部や世界の共産主義者等に対して示した文章のなかで次のようなことを主張していた。
「政治闘争に於いては逃口上や嘘言も必要である」
「共産主義者は、いかなる犠牲も辞さない覚悟がなければならない。――あらゆる種類の詐欺、手管、および策略を用いて非合法方法を活用し、真実をごまかしかつ隠蔽しても差し支えない。」
「党はブルジョア陣営内の小競り合い、衝突、不和に乗じ、事情の如何によって、不意に急速に闘争形態を変えることが出来なければならない」
「共産主義者は、ブルジョア合法性に依存すべきではない。公然たる組織と並んで、革命の際非常に役立つ秘密の機関を到るところに作らねばならない。」
(同上書 p.41-42)
要するに、国家を内部崩壊させて革命を成功させるためにはその手段は問わないと言っているのだが、もしこのような考え方の者がわが国の軍隊に多数入隊して主導権を握っていたとしたら、どういうことが起こり得るであろうか。
なぜ昭和の初期にテロ事件が多かったのか、なぜ宣戦布告がないままに日中戦争が全面戦争に発展したか、なぜ昭和天皇の『ポツダム宣言』受諾の御聖断に対して軍部の一部が強く抵抗したのか。それらの謎を解く鍵のひとつは先程紹介したコミンテルン第六回大会で採択された決議内容や「敗戦革命論」の考え方にあるのではなかったか。
昭和四十年代前半も学生の多くが共産主義思想に染まった時代だったのだが、火炎瓶や鉄パイプでは国家権力と戦えるはずがなく、簡単に鎮圧された。しかしながら、昭和初期の若い共産主義者達には、軍隊に入れば本物の大量の武器・弾薬が目の前にあったのだ。もし昭和四十年代の全共闘全盛期の学生たちが大量の爆弾や拳銃を手にしていたとしたら、大規模なテロ事件やクーデター事件が日本各地で起こっていてもおかしくはなかったと、この時代を知る人は思うに違いない。
若者に共産主義思想が蔓延していた時代
では、昭和七年(1932年)の五・一五事件や昭和十一年(1936年)の二・二六事件は共産主義思想と無関係であったのか。
このブログで、昭和初期にマルクス・レーニンの著作がバカ売れして、共産主義思想に共鳴した青年が多数いたことを書いたことがある。

例えば、マルクスの『資本論』だけでも大正八年(1919年)から昭和三年(1928年)にかけて六社(緑葉社、経済社出版部、大鐙閣、新潮社、岩波書店、改造社)が出版している。また昭和三年(1928年)から昭和十年(1935年)にかけて改造社から全二十七巻の『マルクス・エンゲルス全集』が出版され、昭和二年(1927年)から翌年にかけて白揚社から二十四篇の『レーニン叢書』が出版されている。
こんなに多くの左翼思想の本が売れた大正時代の後半から昭和初期というのはどのような時代だったのだろうか。 このブログで何度か紹介した『神戸大学新聞記事文庫』で、当時の経済記事や解説記事の検索を試みた。
新聞の過去記事については戦後のGHQの検閲や焚書の対象にはならなかったので、当時の論調がそのまま残されていて、その貴重な史料が次のURLで誰でもネットでアクセスすることができるのはありがたい。
この「新聞記事文庫 簡易検索」を使ってたとえば「左傾」というキーワードで検索すると六百十六件もの解説や記事にヒットする。

発行日順に並び替えて表題を読むだけでも、結構な情報を得ることが出来るが、この当時は学生や教員の左傾化が社会問題になっていて、政府や文部省がその対策に苦慮していたという記事がいくつもあるのに誰もが驚いてしまうだろう。
たとえば昭和七年(1932年)一月十五日の東京日日新聞の『学生の思想は何故左傾する』という記事がある。

この記事では左傾化の原因について当時の社会情勢として
① 資本家と労働者との生活の甚しき懸隔及び農村の著しき疲弊
② 労働問題及び小作問題の激化
③ 中産階級の経済的顛落
④ 卒業後における就職の不安
⑤ 政界の腐敗
⑥ 政治並に政党に対する不満…などがあり、
このような現状を根本的に変革しようとして多くの国民がマルクス・レーニンの著作に飛び付き、思想界、学会、教育界もその流れにあったことが記されている。

そして、この記事が掲載された翌月である昭和七年(1932)の二月から三月にかけて、前蔵相・井上準之助、三井合名会社理事長団琢磨が相次いで暗殺される血盟団事件が起こった。この血盟団のメンバーは大半が二十代の学生だ。真珠湾攻撃の頃には三十代後半、終戦時には四十前後の共産主義思想を持つメンバーが軍隊に相当数いたことが考えられるのだ。
この事件について付け加えると、検察は首謀者五名に死刑四名、無期懲役一名を求刑したのが、判決では全員無期懲役三名、懲役十五年二名となり、昭和十五年には全員恩赦で出獄し、それぞれ復権している。例えば牧野伸顕の暗殺を担当していたが未遂に終わり逮捕された東大中退の四元義孝は懲役十五年の実刑判決を受け、恩赦となってからは近衞文麿(元首相)や緒方竹虎(元国務大臣)のブレーンとして活動したことがWikipediaに書かれている。テロリストに対してなぜこんなに軽い判決がなされ、恩赦が許されたのか。このような研究がなされていないのは、戦後長きにわたり近現代史研究の学会が左巻きに支配されてきたことと無関係ではないと思う。
左傾化した青年将校がテロ事件を起こした
ついで五月には海軍の青年将校を中心とする一団が首相官邸に向かい犬養首相を暗殺する五・一五事件が起きている。この五・一五事件の檄文を読めば、共産主義的考え方の影響をかなり受けていることがわかる。一部を引用させていただく。
国民よ!武器を執って立て。今や邦家救済の道は唯一つ「直接行動」以外に何者もない。 国民諸君よ!
天皇の御名に於て君側の奸を屠れ!
国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!
横暴極まる官憲を膺懲せよ!
奸賊、特権階級を抹殺せよ!
農民よ、労働者よ、全国民よ!祖国日本を守れ
而して、陛下聖明の下、建国の精神に帰り国民自治の大精神に徹して人材を登用して朗らかな維新日本を建設せよ! 民衆よ!
此の建設を念願しつつまず破壊だ!
凡ての現存する醜悪なる制度をぶち壊せ。盛大なる建設の前には徹底的な破壊を要す。
(Wikisource 「五・一五事件『檄文』」)

『ビルマの竪琴』の著者・竹山道雄は昭和初期の状況をこう記している。ちなみに、文中の「前の檄文」というのは五・一五事件の檄文を指している。
インテリの間には左翼思想が風靡して、昭和の初めには『赤にあらずんば人にあらず』というふうだった。指導的な思想雑誌はこれによって占められていた。若い世代は完全に政治化した。しかしインテリは武器を持っていなかったから、その運動は弾圧されてしまった。あの風潮が兵営の厚い壁を浸透して、その中の武器を持っている人々に反映し、その型にしたがって変形したことは、むしろ自然だった。その人々は、もはや軍人としてではなく、政治家として行動した。すでに北一輝などの経典があって、国体に関する特別な観念を作り上げていて、国体と社会改造とは背馳するものではなかった。しかし、北一輝だけでは、うたがいもなく純真で忠誠な軍人をして、上官を批判し軍律を紊(みだ)り世論に迷い政治に関与させることは、できなかったに違いない。…いかに背後に陰謀的な旧式右翼がいたところで、それだけで若い軍人が『青年将校』となることはありえなかった。これを激発させたのは社会の機運だった。このことは、前の檄文の内容が雄弁に語っている。…
青年将校たちは軍人の子弟が多く、そうでない者もおおむね中産階級の出身で、自分は農民でも労働者でもなかった。それが政治化したのは、社会の不正を憎み苦しんでいる人々に同情する熱情からだった。インテリの動機とほぼ同じだった。ただ、インテリは天皇と祖国を否定したが、国防に任ずる将校たちは肯定した。ただし、彼らが肯定した天皇と国体は、既成現存の『天皇制』のそれではなかった。
(講談社学術文庫『昭和の精神史』p45-47)
では、「彼らが肯定した天皇と国体」とはどのようなものであったのか。
竹山氏は一人の青年将校を知っていた。その青年将校は職業軍人ではなく教師であったと書いているが、つねにブルジョアを激しく攻撃していたという。そしてその人物が思い描いていた『天皇制』とは、「国民の総意に上にたつ権力者で、何となくスターリンに似ているもののように思われた」(同上書p.48)と竹山氏は記している。
竹山氏の表現を借りると、青年将校たちは「天皇によって『天皇制』を仆(たお)そうとした」、「革新派の軍人が考えていた『国体』は、『天皇制』とはあべこべのものだった」ということだが、別の言い方をすると、その青年将校は、『天皇制』は認めても「天皇」というポストに就くべき人物は昭和天皇ではなく、スターリンのような人物を考えていたということなのだ。おそらく彼らは革命を起こしたのち、共産主義者を天皇に据える「天皇制」を認めようと考えていたのであろう。
軍隊に共産主義者が入り込んでいたことを報じている新聞記事
以前このブログで、陸軍に共産主義からの転向者が相当数入り込んだことを書いたが、当時は天皇制と国体を認めれば転向したものと判定されていたのだが、竹山氏が知っていた青年将校のような思想の持主が軍隊に合格できたのであれば、かなり多くの共産主義者が軍隊に入隊したことがあり得るのである。

先ほどの『神戸大学新聞記事文庫』で検索していくと、軍隊の中に共産主義者が入隊していたことがわかる記事をいくつか見つけることが出来る。

たとえば、昭和三年(1928)四月十四日の神戸又新日報の記事だが「重要な某連隊に本年入隊した現役兵二名が今回の共産党事件に関係して居り、党員と気脈を通じて軍隊中の細胞組織を行わんとひそかに画策していたことが判明したので当局では大狼狽」したと書かれている。

海軍関係においても同様で、「今日まで海軍関係において共産党の魔手が延されておるものは舞鶴要港部工作部で先頃の検挙に当って有力なる前衛分子六名の検挙を見た」と報じられている。
また、昭和三年九月二十四日から六回に分けて中外商業新報に連載された、「赤化運動の経緯」という記事には次のように書かれている。

今後も共産主義に感染した学生及び労農党に属する有識壮年等が赤化運動の首謀者となっている。…中略…
ここに最も注意すべきは兵営の内外から連絡を保って陰謀を企てた兵卒が、第四師団の軍法会議に廻された事実である。大阪におけるある秘密結社の如きは、軍隊の赤化に最も力を尽し、その手段すこぶる巧妙、運動者の一人久木某の如きは、軍事教官という綽名さえ持っていたということだ。
これ等赤化運動者が、個人として若しくは団体とし、ソウェート・ロシアと密接な関係を持っていたことは、これまで発表された宣伝の様式や運動の方法などを見ただけでも明々白々であるが、なおロシア側の情報に照らし合せると、まことに思い半ばに過ぐるものがある。
さらにこの記事を読み続けていくと、ソビエトの赤化工作は西欧では失敗したが、東洋の日本では急激に浸透していることを書いている。そして、全露共産党年鑑に掲載されている第三インターナショナル(コミンテルン)規約が引用されている。
規約第三条には
「欧米諸国における階級闘争は今や殆ど内乱の状態となり、ブルジョア国の法律は、共産党員に対し、厳刑を科するに至りたるを以て、本党員たる者は、今後各地一斉に秘密結社を組織し決定的時機の到来に際し、革命運動の成功を期する為め、普段の努力を怠るべからず。」
とあり、またその第四条には
「共産主義の宣伝は、極力軍隊に向って行うべし。特別の法律を以て宣伝を拘束する国においては、秘密手段に訴うべし。」
とある。以上は、素より世界各国に適用される一般的規約であるが、日本の山東出兵に際し、第三インターナショナルが、特に日本の共産主義者と陸海軍人とに与えた檄文には、実に詭激にしてしかも醜怪な文字がならべてある。
第三インターナショナル執行委員会西欧局の名を以て、日本の共産主義者のみならず、陸海軍人に与える形式として、ソウェート政府の半官報プラウダの五月二十四日の紙上に、わざとコミンテルン誌(第三インターナショナル機関)より転載する旨を附記して登載してある檄文の冒頭には、
「強盗に等しき日本帝国は山東出兵を断行した。」と悪罵を放ち
「世界のブルジョア諸国は、支那に対する内政干渉より一転して領土侵略に移った。日本はその機先を制せんとして、早くも要害の地歩を占め、山東を満洲と同じくその植民地とする野心を暴露した。」と妄断し、更に
「陸海軍人諸君よ、諸君は陸海軍両方面より、先ず反動勢力を打破し、而して支那を革命助成する為め、その内乱戦を国際戦に転換せしむるよう不断の努力を怠る勿れ」という煽動的発言を弄し、一石以て日支両鳥を打つの狡計を運らし最後に
「日本の反革命的強盗に打撃を加うべき共産党機関現在なれ」と結んである。まだまだ陋劣な文句が羅列されてあるが、筆の汚れと思って省略したけれども、これだけ見てもソヴィエト・ロシアの宣伝が、如何に露骨で、しかも如何に悪辣であるかが大概窮い知られるであろう。
このようなコミンテルンの宣伝戦は、支那の宣伝戦と似ているような気がするのだが、このような記事は時間をかければ『神戸大学新聞記事文庫』でまだまだ見つかるであろう。
しかしながら、日本軍にいくら共産主義に共鳴する軍人が多くいたとしても、幹部クラスが共産主義に毒されていなければ、クーデターを起こすようなことは不可能だと誰でも思うであろう。
ところが、いろいろ調べていくと軍のエリート層にソ連に忠誠を尽くそうとした者が相当数いて、終戦時には内閣の重要なポストに就いていたようである。その点については、次回に記すこととしたい。
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