中国排日

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当時のアメリカ人ジャーナリストが記した中国の排日・抗日運動

中国で排日運動を英米が仕掛けたことを、当時アメリカ人ジャーナリストであったフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが、1938年11月に出版した”Behind the News in China”(邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)に記している。その後わが国はなぜ日中の戦争に巻き込まれたのか。
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中国の共産主義化と抗日運動

満州国の独立に刺激されて、内蒙古が中国から独立する機運が盛り上がった。蒋介石は八万の大軍を送り込んで内蒙古軍を制圧したが、その際に全国民に対して民族戦の決起を促したために、中国全土で抗日の機運が盛り上がった。中国共産党は蒋介石を監禁して共産党と手を握らせ、共産党殲滅作戦を止めさせるとともに彼を抗日に転換させた。
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英米が仕掛けた「排日」に中国人が積極的に取組み「抗日」に至った経緯

英米が仕掛けた「排日運動」は、日本人に対して長い間民族的嫉妬心を抱いていたに中国人に火をつけ、英米と同様に日貨排斥を行った。当初から排日教育が行なわれて、共産主義青年団員が排日運動をリードするようになると、その後国民党が国策として取り組むようになり、抗日暴動が頻発するようになる。
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中国の排日運動がその後反帝国主義運動となり日本だけが排斥された経緯

中国の排日運動は、当初は英米が中国大陸から日本を排除する目的で仕掛けたものだが、中国大陸の赤化を狙っていたソ連が中国共産党に反帝国主義運動を始めさせ、最初にイギリス租界に鉾先を向けた。イギリスは租界を返還して反英の動きを止め、さらに蒋介石を抱き込んで、鉾先を日本に向けさせた。
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英米が排日運動を仕掛けたのは中国だけではなかった

中国の排日運動の始まりである1919年の「五四運動」に英米人が関与していたことは、当時のわが国の新聞にも多数報道されている。また、朝鮮半島で起きた三・一独立運動も米国宣教師が関与していたと報じられている。これらは、同年一月にわが国がパリ講和会議で人種差別撤廃案を提出したことと無関係だとは思えない。
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北京で排日運動が開始された背後に英米人の煽動があった

1919年のパリ講和会議でわが国が提案した人種差別撤廃案が否決された22日後に、北京で最初の排日運動(五四運動)が行われている。当時北京の民家に下宿していた長野朗が当時のことを記録しているが、支那の排日運動を煽動したのは英米人であった。彼らは黄色人種間の分断と、支那において日本が開拓した市場を狙っていた。