戦争と共産主義

第二次世界大戦と共産主義

中堅将校によるさらなる内乱拡大を自刃して止めた阿南陸相

わが国の歴史を歪曲させたもの 前回まで『ポツダム宣言』受諾をめぐるわが国の動きを中心に書いてきたが、昭和天皇による『御聖断』のあとに、陸軍の異常な動きが際立っていることが理解して頂...
第二次世界大戦と共産主義

宮城事件後に若手将校が起こした二つの事件及び満州をソ連に差し出した関東軍

水戸教導航空通信師団事件 前回および前々回の記事で、昭和二十年八月十四日から十五日にかけて陸軍の若手将校たちが、戦争を継続させるために、「ポツダム宣言」受諾を伝える『玉音放送』を阻...
第二次世界大戦と共産主義

昭和天皇の最後の御聖断と「玉音放送」を阻止しようとした陸軍将校たち

クーデター準備 前回記事で、阿南陸相の義弟である竹下中佐らが、陸軍大臣らの許可を得て兵力を使用し、昭和天皇および和平派を軟禁拘束して、戦争継続の方向に導くことを計画したことを書いた...
第二次世界大戦と共産主義

昭和天皇の御聖断に従わずクーデターを計画した陸軍将校たち

第一回目の昭和天皇の御聖断 昭和天皇の御聖断でわが国が『ポツダム宣言』を受諾することが決まったのだが、この御聖断によりすんなりと終戦に向かったのではなかった。 今回は、昭和天皇の二...
第二次世界大戦と共産主義

終戦期にソ連に忠誠を尽くそうとした政府中枢の『軍国主義者』たち

共産主義が日本軍の中枢に浸透していた 前回の記事で昭和三年(1928)に中外商業新報に連載された小松緑の『赤化運動の経緯』を紹介させていただいたが、この論考によるとコミンテルン規約...
第二次世界大戦と共産主義

第二次世界大戦前のわが国では学生や軍隊に共産主義思想が蔓延していた

戦争と共産主義 戦後の歴史叙述で第二次世界大戦に関してソ連が世界に於いてどのような活動をしていたかについて言及している書物は極めて少ないのだが、一九一九年にレーニンが提唱しモスクワ...
戦争と共産主義

ゾルゲ諜報組織はアメリカまで伸びていた

チャールズ・ウィロビー少将はダグラス・マッカーサー大将の情報参謀で、戦後はGHQ参謀第2部 (G2) 部長として対日謀略や検閲を担当したが、わが国で共産主義勢力を増長させようと動い...
戦争と共産主義

昭和七年以降日本共産党でリンチ事件が頻発した事情

前回の「歴史ノート」記事の最後に、昭和八年(1933年)の十二月に日本共産党の宮本顕治・袴田里見らが仲間をリンチにかけて殺害した「日本共産党スパイ査問事件」のことを書いた。この事件...
戦争と共産主義

特高警察の取調べの際に用いられた暴力はどの程度のものであったのか

このブログで宮下弘の『特高の回想』の文章を何度か引用させていただいたのだが、この本を読むまでは「特高(特別高等警察)」という存在は悪いイメージしかもっていなかった。その理由は、「日...
戦争と共産主義

中国共産党に繋がる諜報ルートが解明できなかった事情

前回の「歴史ノート」で多くの共産主義者からの転向組が陸軍に入り込んだことを書いた。そしてその前の記事で、ゾルゲ諜報団が一斉に逮捕されたことを書いたのだが、特高は併行して中国共産党に...
戦争と共産主義

陸軍に共産主義からの転向者が入り込んだ影響

前回の「歴史ノート」で『近衛上奏文』の内容について紹介させていただいたのだが、近衛内閣のブレーンには多くの共産主義者がいたのは近衛の人脈に問題があり、近衛自身が重要人物を政治の中枢...
戦争と共産主義

軍部や官僚に共産主義者が多数いることを昭和天皇に上奏した近衛文麿

以前このブログでソ連のスパイであった尾崎秀実が獄中で書いた手記のことを書いたが、今回はこの尾崎を重用していた近衛文麿が、昭和二十年二月に天皇陛下に上奏した『近衛上奏文』についてその...
ゾルゲ事件

ゾルゲ諜報団の一斉検挙と戦後日本の言語空間

前回の記事で、北林トモの供述に基づき宮城与徳が逮捕されたのち、宮城は仲間のこと等について固く口を閉ざしていたことを書いた。では何がきっかけで、宮城が供述を始めることになったのか。宮...
ゾルゲ事件

ゾルゲ、尾崎秀実らが一斉検挙に至った経緯について

前回の歴史ノートでソ連のスパイ活動をしていた尾崎秀実が獄中で記した手記の一部を紹介した。この尾崎秀実を自白させたのは特高第一課係長であった宮下弘という人物だが、特高はその前に、アメ...
ゾルゲ事件

コミンテルンのスパイ・尾崎秀実にとっての第二次世界大戦

今回はゾルゲ事件の首謀者の一人として昭和十六年(1941年)に逮捕され昭和十九年(1944年)に死刑に処された尾崎秀実おざき ほつみが、昭和十七年(1942年)三月か四月頃に獄中で...
戦争と共産主義

関東軍はコミンテルンの工作活動の重要な対象であった

張作霖爆殺事件 以前このブログで、昭和三年(1928年)六月四日に起きた「張作霖爆殺事件」について三回に分けて書いた。 通説では日本軍(関東軍)が張作霖を暗殺したとされているのだが...
戦争と共産主義

二・二六事件と中国の西安事件でわが国が戦争に引き込まれる準備が整った

昭和十年(1935年)七月から八月にかけて第七回コミンテルン大会が開催されたが、この大会の後でわが国と支那で起こった事件を調べてみると、不可解な事件や重大な出来事が相次いでいること...
戦争と共産主義

昭和天皇が二・二六事件の叛乱軍討伐を命じられた

前回の「歴史ノート」で、竹山道雄が『昭和の精神史』で昭和天皇が二度だけ例外的に御親政を行われたと書いていることを紹介した。その「二度」というのは、「二・二六事件の際と終戦の際」だと...
戦争と共産主義

なぜわが国軍隊の暴走を止められなかったのか

これまで、昭和時代の初期に学生や兵士等に赤化工作が行われ、若い世代を中心に共産主義思想が拡がっていったことを書いてきた。このことと日本軍の暴走したことと関係があるのではないだろうか...
戦争と共産主義

コミンテルンは全世界に共産主義を拡散させようとした

これまで、ソ連・コミンテルンがわが国の教育機関や軍隊に対して盛んに赤化工作を行ってきたことを書いてきたが、同様な工作を全世界レベルで行っていた。今回は彼らの世界の赤化工作について書...
戦争と共産主義

コミンテルンによる日本軍への赤化工作を考える

コミンテルン第六回大会の決議内容 「コミンテルン」は「第三インターナショナル」あるいは「国際共産党」とも呼ばれ、世界の共産主義国化のために一九一九年にモスクワで結成された共産主義運...
戦争と共産主義

満州事変後に共産主義者が大量に愛国陣営に流れたのはなぜか

前回記事で、昭和初期のわが国で多くの若者が左翼思想に共鳴し、全国の学校だけでなく軍隊にも赤化工作が行われていたことを書いた。当時は私利私欲で動く政治家が政争を繰り返し、庶民は貧困に...
戦争と共産主義

昭和初期に多くの若者が左翼思想に共鳴したのはなぜか

前回記事で、小学校から大学まで多くの赤化教員が潜り込んで生徒に左翼思想が拡げられたことなどを書いた。 では、コミンテルンが日本共産党に指令した赤化工作が、実際のところ当時の生徒たち...
戦争と共産主義

ソ連・コミンテルンによる教育機関の日本赤化工作

前回は一九二八年(昭和三年)の七月から九月にかけてモスクワで第六回コミンテルン大会が開催され、七月には長春、奉天、鉄嶺、安東の日本軍に対して赤化宣伝文書が大量配布されたことが国民新...
戦争と共産主義

ソ連・コミンテルンによる初期の日本赤化工作

「赤化せっか」という言葉は今ではほとんど死語になってしまったが、共産主義的な思想や機構を広めていくことを意味している。戦後に出版された本やマスコミの解説などで触れられることはほとん...